覚書/滅亡文明 ・ヒッタイト
ヒッタイト帝国の都ハットゥシャ(現トルコ共和国)
~ヒッタイト帝国(BC1680-BC1190)は、小アジア(現トルコ共和国)の山間部にあるハットゥシャ都城を拠点に栄えた。鉄器を発明し、馬にひかせた戦車で周辺諸国を圧倒、古バビロニア、ミタンニを滅ぼした。やがて、穀倉地帯であるシリアをめぐって、古エジプト王国と激突。会戦後に史上初の平和条約を結んでいる。
ヒッタイト文明は鉄器を発明したことで有名だ。現在のトルコ領であるところの小アジアとも、アナトリアとも呼ばれる地方で成立した。鉄製武器を装備した三人の戦士を、馬にひかせた戦車に乗せて戦った。斬新な戦術と新兵器「鉄」で、当時の「世界」を席巻した。インド・ヨーロッパ語族とされている。首都はハットゥシャ。
古王国・新王国・新ヒッタイトがある。古王国の建国は紀元前1680年ごろのことだ。古王国初代国王ハットシリ1世、王妃タワナアンナの名を王号、王妃号とした。紀元前1595年頃、メソポタミアの古バビロニアを滅ぼした。
新王国は紀元前1450年頃の建国である。紀元前1330年、メソポタミアのミタンニ王国を滅ぼした。1285年頃、当時の大穀倉地帯であるシリアの領有をめぐって、ピラミッドで有名なエジプト古王国のラムセス2世の軍隊と激突して勝利。世界初の平和条約を結び、王女をエジプト王妃として送りだす。
だが、ヒッタイトの栄光は1190年に突如終わる。新王国は飢饉と内乱が続き疲弊していた。そこを東地中海で猛威を振るっていた謎の海賊集団『海の民』が襲ったのだ。海の民は、ミケーネ文明と同様にヒッタイトを殲滅した。
1190年以降に興った新ヒッタイトは統一国家としてのまとまりはない。新王国滅亡後もヒッタイトは、小アジア南東のあたりで、都市国家群をなし紀元前8世紀ごろまで命脈を保つ。しかし住民は支配民族のフルリ人と同化してヒッタイト人としてのアイデンティティーは失われたようだ。
環境考古学的な観点からすれば、この時期あたりは、地球全体が寒冷化してゆく不安定な時期である。鉄生産・青銅器生産で大規模な森林破壊があった可能性がある。船舶・戦車といった乗り物、港湾・道路インフラの建設不能。そういったことで文明力が弱体化したのだろうか。いかなる精強な国家も飢饉と内紛があると瓦解する。
またしても、文明にとどめをさしたのは、謎の掠奪集団 『海の民』である。
了
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ノート20120508/校正20160508