紀行/筑波の湯
一月三日、筑波山にいったのは神社参拝ではなく温泉入浴が目的だった。曇り空、昼近く宿舎をでて車を走らすと、路上には動物の死骸が転がっていた。犬猫のほかに狸やら兎の死骸がある。
そば屋で昼食をとり、渋滞でなかなか進まない。雑木のなかの曲がりくねった山道を登っていくと中腹に、少し開けたところがあり、大きな鳥居が立っていた。鳥居は十メートル、いやそれ以上あろう。周囲にはホテル・旅館・民宿・土産物屋があって門前町をなし、温泉宿がいくつかある。少し探索してからやがて日帰り入浴施設をみつけ湯につかる。
湯の匂いはかすかにゴムのようなにおいがする。温泉らしからぬにおいだ。洗い場には、老人が孫娘と思われる童女と綱引きをしていた。老人は腹に大きな傷がある。――胃潰瘍をわずらったんだなあ、きっと、昔は企業戦士で、飲みたくない酒を無理して飲んだり、煙草をふかしまくったんだろうなあ。横にいるぽっちゃり顔のお孫さんは、パパに似たんだな。パパは自衛隊隊員のマッチョマンでママは専業主婦に違いない。
そうやって勝手に家族像をつくってしまうのは私の悪癖だ。
露天風呂にうつると先客がいた。アジア系の男二人で英語で会話していた。一人は日本人、もう一人は中国系の男性。日本人はジャパニーズ・イングリッシュ、中国系の男は流ちょうに話している。
「政権が民主党に代わったけれど、日本の景気に期待がもてる?」
「判らないね」
「ふーん」
「腹減ったか?」
「食いに行くか? ご馳走するよ」。
上り坂と反対に下り坂はすいていた。――はずだった。だが途中で車が渋滞した。
なぜだ?
やがて、一台の軽トラックが横から割り込んできて、歩道すれすれで走り、不自然に停止した。軽トラックの先にいたのは、突っ伏した猪だった。三百キロはゆうに超えていよう成獣である。くるとき、やけに動物が死んでいたのは、筑波山の住人である動物たちが里におりてくる道だったのだ。
ふとこんなことを考えた、国家にせよ人生にせよ、岐路で、道を誤ったりタイミングを外すと、えらいことになるのではなかろうかと(ノート20100122/校正20150507)
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追記。
漠然とした胸騒ぎというのか不安は、私だけでなく、湯につかっていた日本人と中国人ビジネスマンの会話にでたいたように、誰しも感じていたような気がする。そして具体的には、翌年3.11地震と原発事故という形で体験することになる(ノート20160507)。
了