読書/萩原朔太郎 『猫町』
自作小説執筆のため資料を探しに、本屋さんと図書館にいくことがあります。そこにいけばなんとかなると思って予約注文したりすると、「絶版です」「取引がないので」「置いてませんねえ」などという返答。近頃は、そういう傾向に拍車がかかてきたように感じるのは私ばかりでしょうか。
悶々として年の暮れに帰省し亡父の書斎をみわたすと、「な~んだ~ここにあるのに~」といわんばかりに、おびただしい蔵書のなかで目につく高さのとこに横積みされているではないですか。しかもポンと一番上に載っかっています。こんなことが一度ならず。今回で三度目だったりして(かたじけない、パパうえ)。
さがしていたのは『猫町』。詩的なタッチで描かれた二〇頁ばかりの短編小説で、シュールというか、ファンタジーというかといった作風です。
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モルヒネ中毒患者にして詩人である主人公「私」は、医者の薦めもあって、気分転換の散歩が日課。散歩というのも風変わりでわざと路地を間違えて彷徨を楽しんでいました。ミステリー感覚が味わえるというのです。
旅行好きな詩人が、北越のある温泉旅館に滞在し、彷徨の散歩をして、ひなびた集落に迷い込んだ集落。そこには人がおらず、おびただしい猫だけが住んでおり、主人公「私」はパニックにおちいりながら、現実世界に逃げかえったという展開。
「ねっ、猫だ~。猫だらけじゃ~っ」
けっきょくのところ、麻薬中毒の後遺症が治りきっていないために起きた幻覚症状というのがオチ。――けれども詩人は考えます。(幻覚と現実とどちらが真実か? 古代中国・荘子に胡蝶になった夢をみた人の故事がある)胡蝶と人間とどっちが夢をみている自分なのか?
世界観は、村上春樹『1Q84』にでてくる猫の町は朔太郎が書いたこの短編作品によく似ているような気がします。
ノート2009/校正20160506