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読書/高村光太郎『智恵子抄』ノート20161108

高村光太郎『智恵子抄』 感想文



人に


いやなんです

あなたのいつてしまふのが――


花よりさきに実のなるやうな

種子たねよりさきに芽の出るやうな

夏から春のすぐ来るやうな

そんな理窟に合はない不自然を

どうかしないでゐて下さい

型のやうな旦那さまと

まるい字をかくそのあなたと

かう考へてさへなぜか私は泣かれます

小鳥のやうに臆病で

大風のやうにわがままな

あなたがお嫁にゆくなんて


いやなんです

あなたのいつてしまふのが――


なぜさうたやすく

さあ何といひませう――まあ言はば

その身を売る気になれるんでせう

あなたはその身を売るんです

一人の世界から

万人の世界へ

そして男に負けて

無意味に負けて

ああ何といふ醜悪事でせう

まるでさう

チシアンの画いた絵が

鶴巻町へ買物に出るのです

私は淋しい かなしい

何といふ気はないけれど

ちやうどあなたの下すつた

あのグロキシニヤの

大きな花の腐つてゆくのを見る様な

私を棄てて腐つてゆくのを見る様な

空を旅してゆく鳥の

ゆくへをぢつとみてゐる様な

浪の砕けるあの悲しい自棄のこころ

はかない 淋しい 焼けつく様な

――それでも恋とはちがひます

サンタマリア

ちがひます ちがひます

何がどうとはもとより知らねど

いやなんです

あなたのいつてしまふのが――

おまけにお嫁にゆくなんて

よその男のこころのままになるなんて


或る夜のこころ


七月の夜の月は

見よ、ポプラアの林に熱を病めり

かすかに漂ふシクラメンの香りは

言葉なき君が唇にすすり泣けり

森も、道も、草も、遠き街ちまたも

いはれなきかなしみにもだえて

ほのかに白き溜息を吐けり

ならびゆくわかき二人は

手を取りて黒き土を踏めり

みえざる魔神はあまき酒を傾け

地にとどろく終列車のひびきは人の運命をあざわらふに似たり

魂はしのびやかに痙攣をおこし

印度更紗サラサの帯はやや汗ばみて

拝火教徒の忍黙をつづけむとす

こころよ、こころよ

わがこころよ、めざめよ

君がこころよ、めざめよ

こはなに事を意味するならむ

断ちがたく、苦しく、のがれまほしく

又あまく、去りがたく、堪へがたく――

こころよ、こころよ

病の床を起き出でよ

そのアツシシユの仮睡をふりすてよ

されど眼に見ゆるもの今はみな狂ほしきなり

七月の夜の月も

見よ、ポプラアの林に熱を病めり

やみがたき病よ

わがこころは温室の草の上

うつくしき毒虫の為にさいなまる

こころよ、こころよ

――あはれ何を呼びたまふや

今は無言の領する夜半なるものを――



世は今、いみじき事に悩み

人は日比谷に近く夜ごとに集ひ泣けり

われら心の底に涙を満たして

さりげなく笑みかはし

松本楼の庭前に氷菓を味へば

人はみな、いみじき事の噂に眉をひそめ

かすかに耳なれたる鈴の音す

われら僅かに語り

痛く、するどく、つよく、是非なき

夏の夜の氷菓のこころを嘆き

つめたき銀器をみつめて

君の小さき扇をわれ奪へり

君は暗き路傍に立ちてすすり泣き

われは物言はむとして物言はず

路ゆく人はわれらを見て

かのいみじき事に祈りするものとなせり

あはれ、あはれ

これもまた或るいみじき歎きの為めなれば

よしや姿は艶に過ぎたりとも

人よ、われらが涙をゆるしたまへ


おそれ


いけない、いけない

静かにしてゐる此の水に手を触れてはいけない

まして石を投げ込んではいけない

一滴の水の微顫も

無益な千万の波動をつひやすのだ

水の静けさを貴んで

静寂の価あたひを量らなければいけない


あなたは其のさきを私に話してはいけない

あなたの今言はうとしてゐる事は世の中の最大危険の一つだ

口から外へ出さなければいい

出せば則すなはち雷火である

あなたは女だ

男のやうだと言はれても矢張女だ

あの蒼黒い空に汗ばんでゐる円い月だ

世界を夢に導き、刹那を永遠に置きかへようとする月だ

それでいい、それでいい

その夢を現うつつにかへし

永遠を刹那にふり戻してはいけない

その上

この澄みきつた水の中へ

そんなあぶないものを投げ込んではいけない


私の心の静寂は血で買つた宝である

あなたには解りやうのない


あどけない話


智恵子は東京に空が無いといふ。

ほんとの空が見たいといふ。

私は驚いて空を見る。

桜若葉のあいだに在るのは、

切っても切れない

むかしなじみのきれいな空だ。

どんよりけむる地平のぼかしは

うすもも色の朝のしめりだ。

智恵子は遠くを見ながら言ふ。

阿多多羅山あたたらやまの山の上に

毎日出ている青い空が

智恵子のほんとうの空だといふ。

あどけない空の話である。


レモン哀歌


そんなにもあなたはレモンを待つてゐた

かなしく白くあかるい死の床で

わたしの手からとつた一つのレモンを

あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ

トパアズいろの香気が立つ

その数滴の天のものなるレモンの汁は

ぱつとあなたの意識を正常にした

あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ

わたしの手を握るあなたの力の健康さよ

あなたの咽喉(のど)に嵐はあるが

かういふ命の瀬戸ぎはに

智恵子はもとの智恵子となり

生涯の愛を一瞬にかたむけた

それからひと時

昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして

あなたの機関はそれなり止まつた

写真の前に挿した桜の花かげに

すずしく光るレモンを今日も置かう


【所見】

この夫妻には子供がない。彫刻家と洋画家の夫婦だ。僕は女を抱きたいという詩をもって、彫刻家が肉欲を満たすだけで妻の話をきこうともしなかったので壊れたという記事をYAHOO知恵袋で読んだ。――安いっぽいアンサー。馬鹿め。

     ノート20161108

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