読書/太宰治 『畜犬談』
実家の老犬が他界しましてね、母が代わりにチワワを飼いだしました。生後一歳弱の男子で、「ちゃあちゃん」と呼ばれております。室内犬です。子犬で悪戯盛り、皆で甘やかすものだから、スリッパやら座布団を食いっ散らかして、糞尿まで所定の場所以外でする始末。もちろん躾のため、母だって、たまに、叩くこともあります。でも行儀の悪さは日に日に酷くなっていくばかり。
居間のゲージに収監されて、人間どもの食事どきにでもなれば、飛び跳ねるやらの大騒ぎです(あれまあ)。
以下の文章は、太宰治の『畜犬談』。一読して、諧謔と思ってましたけれど、けっこう本気でそう思っていたのでは? と考えてしまいました。
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私は、犬については自信がある。いつの日か、かならず喰いつかれるであろうという自信である。私は、きっと噛まれるにちがいない。自信があるのである。よくぞ、きょうまで喰いつかれもせず無事に過してきたものだと不思議な気さえしているのである。
諸君、犬は猛獣である。
馬を斃し、たまさかには獅子と戦ってさえこれを征服するとかいうではないか。
さもありなんと私はひとり淋しく首肯しているのだ。あの犬の、鋭い牙を見るがよい。ただものではない。
いまは、あのように街路で無心のふうを装い、とるに足らぬもののごとくみずから卑下して、芥箱を覗きまわったりなどしてみせているが、もともと馬を斃すほどの猛獣である。
いつなんどき、怒り狂い、その本性を暴露するか、わかったものではない。犬はかならず鎖に固くしばりつけておくべきである。
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――などと『畜犬談』の一節をそらんじていると、〝ちゃあちゃん〟は私のところにきて、枕を食いちぎり始めました。怒ったわけではありませんが、「ためならぬ」と判断しまして、頭に一撃くらわせました(もちろん手加減しましたよ)。
ぎゃいん、ぎゃいん、ぎゃいん……。うううう。
〝ちゃあちゃん〟は、殺されかけたといわんばかりの絶叫をしてゲージに逃げ込み、私を盛んに威嚇しだします。
それから、帰郷するたびに、母が苦笑するようになりました。
「ふだん、世話をしている私のいうことなんて、ききやしないのに、あなたが帰ってくると途端に、『とってもいい子』になるのよ」
一撃をくらわしたのは半年以上も前のこと。あれが最初で最後なんですけれども、以来、人間の食事中はおとなしく「伏せ」しています。私が実家にいるときだけは……(やっぱり文鳥が一番可愛いですわい。ふう~っ)。
了