名詩/ジャリ 「臨終の子守歌」
吸血鬼が襲い掛かってきたかのようなおどろおどろしい詩。これは、十九世紀初頭、三十四歳の若さで結核により亡くなったものの、世にその才能を知らしめた、作家アルフレッド・ジャリの詩である。この詩人は、『アーサー王』や『トリスタン』といった、英国先住民・ケルト人と同系であるブルターニュ地方の出身。死の床の断末魔にあえぐ、鬼気迫る様であるとともに、静かに死を受け入れる、潔さというか、崇高ささえも感じる次第。ざっくり和訳。
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アルフレッド・ジャリ
「臨終の子守歌」
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寝室にいると壁掛けの絵が陽射しのように思えてくる。
毛布のなかで身体に抱きついていた幽鬼めが、すっくと半身をもち上げ、北斗七星が照らした満月みたいな額に収まった絵では、ヴァンパイアが息をひそめ、蜘蛛がか細い腕をだし這いだしてきて、青ざめた私の吐血した溜まりを嘗めまわしている。
私は両手を立てて宙を掻き廻し、ヴィロードの投網を放つのだけれども、もどかしく指に絡みつき徒労に終わる。
誰がフクロウの鳴き声のような笛をわが喉に隠したのだろう。
群れた蝶は皆、コオロギの羽をつかんで、壁掛けの花の絵に舞い飛んで吸い込まれてゆく。
黄色い祠が、瓦ぶきの屋根でパラパラとカードを切っている、深く眠る平べったい天井から、剣が雨アラレと落ちてきても、どうか私に痛みを与えないで欲しい、クラゲの触手が息絶えた身体に皮膚を透かして通り抜けてゆくまで。
黒タコどもめが寝台の周りで触手をつないでロンドを踊るとき、運命は炎と燃え上がるキャンドルから、脈打ちながらシトシト雫をこぼしてゆく。
ほどなく。
長いカーテンを身にまとった幽鬼どもが両足を浪にユラユラさせて泣きだし、さざ波が、兎の螺旋を描く耳穴から、僕の唇に飛沫を吹きかけてくることだろう。――そのとき私が、どうにか、部屋に漂うパステルの匂いを嗅ぐことができたとき、ふっと、腫れた膝を締めつけていた爪鉤が外れて楽になれることだろう。
寝間着の袖が日曜の鐘の音をのせた風に煽られはためき、棺桶の担ぎ手たちが、疲れ切った腕で舌をだした蜘蛛の彫られた弔鐘を鳴らしたとき、太陽が大地に沈んでゆく空のもと、薄絹をまとった死者の顔を目に浮かべることができる。
了
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ノート20160114/校正20160510




