随筆/アルプスの少女ハイジ・アルムおんじ傭兵伝説
挿図/Ⓒ奄美剣星 「アルムおんじ傭兵伝説」
「軍装のアルムおんじ」(『アルプスの少女ハイジ』より)
よお、ハイジか? わしがアルム、おまえのおじいさんだ!
昔、宮崎アニメの代表作の一つ、『アルプスの少女ハイジ』の冒頭で、叔母に連れられたハイジが、アルムお爺さんの牧場小屋を訪れる際、村の人々が、「アルムおんじは、変人で、昔、人を殺したこともあるそうだよ」と噂する場面があり、頑固者だけれどもハイジに親切なお爺さんが犯罪者? とTVを視ていて疑問に思ったものでした。
さて、黎明期のオーストリア・ハプスブルク家に取材した自作小説を書いています。舞台は15世紀末から16世紀初頭のルネッサンス期。資料を読んでいると何度もでてくるのがスイス傭兵。
のちにオーストリア帝国を支配するハプスブルク家は、もともとスイスの山岳貴族です。14世紀、独立を画して反乱を起こしたスイス農民兵を鎮圧すべく、騎兵隊を送りこんだところ、逆に壊滅させられました。結果、スイス農民兵は、一躍、「欧州最強」といわしめられるようになります。――ハプスブルク家に仕える悪代官に、息子を捉えられ、頭に載せた林檎を射抜く豪傑『ウイリアムテル』の物語はこのあたりに取材しているようですね。
スイスは山岳地帯の貧しい土地で、これといって産業がない。他方で戦争の絶え間がない欧州中から傭兵としての依頼が殺到。当時のスイス政庁は傭兵を各国に輸出することで一大産業化させます。
ルネッサンス期は傭兵の時代です。一般的に傭兵は、略奪はやるわ、旗色が悪くなると逃げてしまうような問題児です。ところが山岳農民を主体とするスイス傭兵は精鋭であるばかりか極めて統制がとれており、人に涙させるほどに律儀でした。
スペイン軍がローマ教皇クレメンス七世と抗争していた時期、指揮官が殺されると、暴走したスペイン側の傭兵たちがローマを占拠して略奪を欲しいままとした状況となり、絶体絶命となった教皇の盾となって逃がしたのがスイス傭兵。以降、教皇庁は、それまで多方面から寄せ集めていた傭兵をスイス兵限定の近衛兵としたのでした。
またフランス革命のときは、絶望的な状況にある国王一家をパリ・チューリー宮殿で守り、ルイ十六世の発砲許可が出なかったために民衆に虐殺され、国王の脱出にも最後までつきあってここでも皆殺しにあってます。
スイス政府が関与した傭兵産業は一九二〇年代に、バチカンを除く傭兵輸出が法律で禁止されるまで続きました。
中世から近代にいたるまで欧州の戦場で主要な役割を担ったスイス傭兵を調べるうちに、「人を殺したこともある」というお爺さんと戦死して故人となっているらしい父親が伝統的な基幹産業であるスイス傭兵に属していたのではないかという記事を目にしました。
誠実頑固、実は優しい。スイス傭兵の人となりは、アルムおんじの人となりそのもの。
なるほど。
了
ノート20120622/校正20160508
挿図/Ⓒ 奄美剣星 「牧場の湖にて」(『アルプスの少女ハイジ』より)
訓練!
ハイジ、立体起動装置の使い勝手はどうだ?
おんじ、コンセプトが違うよ!
牧場で見ていたペーターはそう思った。
挿図/Ⓒ 奄美剣星 「フォークダンス」(『アルプスの少女ハイジ』より)
おじいさん、今日はなんの訓練?
ハイジ、今日は連携攻撃の訓練じゃ。それには山羊との鍛錬が効果的なんじゃ。
おんじはハイジとフォークダンスしたかっただけでは? 見ていたペーターはそう思うのであった。
挿図/Ⓒ 奄美剣星 「ハイジとクララ」(『アルプスの少女ハイジ』より)
「ハイジ、私、立てない」
「クララ、頑張って」
おじいさんに鍛えられたハイジは、ゼーセマン家令嬢のリハビリに成功。それをきっかけに、同家に三顧の礼をもって迎えられ、執事として辣腕を振るう。新たなる伝説、ここに始まる。
fin