随筆/楚の荘王、大器晩成
楚の荘王ときいてそのままわかる方はいらっしゃらないと思いますが、故事成語にでてくる、「大器晩成」という言葉をご存じの方は多いと思います。荘王はそのエピソードの主人公。楚の荘王は即位して間もなく、権臣の勢力の力が強く、暗殺される危険があったため暗愚を装い、知謀武勇の士が集まるまでの三年間、馬鹿を装っていました。三年目にして、機は熟したと、立ち上がり、国王によるクーデターを起こし、腐敗官僚を一掃して国内を固めます。このように雌伏していた英雄が立ち上がることを称して「大器晩成」といわれた次第。
春秋時代、周王朝が傾いて天下の宗主国から一都市国家に地位が転落していきます。有力な諸侯が盟主となり、衰えた王室を補佐して、天下に覇権をとなえだします。まずは、斉、次に晋。その晋と約百年にわたって激しく抗争をしたのが楚です。
当時、楚はすぐれた揚子江文化をもちながら不当に南蛮とさげすまされていましたが、諸侯ではなく王を名乗り天下一統に出撃します。その旗手が英雄荘王熊侶。対するのは、中国史上初の軍略家と呼ばれる士会という老将軍です。局地戦においては荘王もこの人だけにはかないませんでした。後にこの人は晋の宰相になります。さらに〝運命の女〟というべき美女夏姫が登場し彩りをそえつつ、楚と晋、それぞれ十万の大軍を率いての大会戦となります。荘王と宿命のライバル・士会将軍は、黄河のほとり泌に対峙することに。
了
ノート20090821/校正20160506