随筆/甘粕正彦伝・名優森繁久彌逝去に関して
ふだんは観ないテレビを、久しぶりにつけたところ、昨日11月10日に名優が逝去したことが報じられていました。森繁久彌----この役者は私が生まれるはるか昔から存在した名優です。
戦前、俳優を志したものの、日本ではほとんど相手にされず、満州国にわたり、満州映画協会に就職します。戦後ソビエト軍により抑留され、帰国すると、日本の名優・重鎮として2004年まで活動し、以降は闘病生活となりました。
さてここにでてくる満州映画協会、通称〝満映〟とは? 映画会社なのですけれども、これほど、ミステリアスな存在はないでしょう。名前に冠するように満州に存在した映画会社です。戦前、日本軍部が、中国東北地方において、清朝の元皇帝だった溥儀を擁立して建国した満州国、その満州国の国策映画会社が〝満映〟でした。
第2代理事長甘粕正彦は、当時不振であった満州映画協会を建て直し、満州をして一大映画王国に育て上げた人物です。この甘粕正彦は、もともと陸軍大尉で、関東大震災直後のどさくさに乗じて、憲兵隊分隊長であったことから、反体制の旗手であった大杉栄とその家族を暗殺した人物です。甘粕は事件発覚後、数年の服役ののち、フランスへ渡り、さらに満州に渡って〈満映〉の理事長となり、そこの売り上げを資金源とする特務機関〝甘粕機関〟を立ち上げました。平たくいえばスパイ組織ですよ。〝満映〟は、第2次世界大戦の謀略活動の一翼を担う〝甘粕機関〟の資金源となった組織だったのです。
甘粕の人となりを示すエピソードにはこんなものがあります。日本本土の映画界の重鎮たちが満州を訪れ、「女優を抱かせろ」といったとき、「俳優は酌婦ではありません」といって、きっぱり断りました。エロオヤジども、甘粕に、ぎろっ、とにらまれて、「きゃあーっ、こわいよーっ、甘粕隊長、殺さないで~っ!」と悲鳴をあげ、ちびったかも……(笑) 。
映画『ラスト・エンペラー』では、まだ若い坂本龍一が甘粕正彦を演じていました。〝馬上の麗人〟こと清朝粛親王家令嬢で日本人の養女となった川上芳子までが登場して、昭和史裏舞台のフルコース。
さてその甘粕正彦の家系は、大河ドラマ『天地人』の上杉家米沢藩の出身です。戦前戦中において、軍部の実権を握った高級将校たちって、薩長出身者ではなく、かないしいかな、私と同じ東北人、あるいは新潟県人が多かったのですよ。奥羽越列藩同盟の復活? ――東条英機は南部藩の能師の家系、山本五十六は長岡藩家老の家系です。
日本敗戦時における甘粕のとった行動は、映画では満州帝国皇帝溥儀と日本へ脱出しようとするものの飛行場でソビエト軍に阻止される様子が描かれますが、事実は違います。
〝満映〟中国・日本スタッフ社員全員に、〝満映〟の全預金をおろして退職金を支払い、さらに日本人スタッフ全員を本土に帰還させる手続きを行った上で、青酸カリによる自殺をとげました。映画よりもはるかに爽やかさがあり、さすがは侍の血ひくだけのことはあると感じさせました。それにしても、なんという壮絶な人生----。
非情さと紳士の二面性をもった昭和の謀略家甘粕正彦と交遊があった森繁氏、歴史の裏舞台を知る人の逝去は寂しい限りです。ご冥福をお祈りいたします。
了
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ノート20101111/校正20160506