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随筆/紅芝ノ丘・死せる鳥はどこへゆくのか

挿絵(By みてみん)


 いましがた「王様」ことトリスタンが亡くなりました。享年8歳。文鳥としては大往生です。ここのところ勢いはありませんでしたけれど、それにしても突然。ふと、横をみたときに彼は旅立っており、綺麗な白い遺体が残されているだけでした。宿舎のある千葉県から自宅のある群馬県に戻る間際の出来事。亡骸はそちらの庭先に埋葬します。8年つきあってくれてありがとう──わが友に感謝。

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 部屋の真ん中に小さなテーブルがあり、上には冊子が置いてある。相向かいの椅子には、明治時代の鹿鳴館で舞っていたかのような、古風な洋装をした女性が座っており、こんな質問をしてきた。

 ──『トリスタンとイゾルテ』をご存じ?

 ──もちろん知っていますとも。中世騎士物語の傑作で、別名を『トリスタン物語』。八年付き合った文鳥の名前はそこから名付けたのです。

 女性は黄金の髪をしていて、腕には長く白い手袋をはめている。私はそのことについての話題をした。

 ──そういえば、『トリスタンとイゾルテ』には、二人のイゾルテが登場しますよね。黄金のイゾルテと白い手のイゾルテです。

 古風な洋装の女性は小首を傾げて私の話を訊いた。

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 黄金の髪のイゾルテは、主人公トリスタンの祖国コンウォール王国を併合しようとした強国アイルランドの王女だ。王女の婚約者が軍勢を率いてコンウォールの海岸に上陸してきたところを、騎士トリスタンが一騎打ちを申し込んで撃退した。トリスタンは、相手が剣に仕込んだ毒により深手を負った。

 伯父マーク王は救国の英雄の一命を救わんとしたのだが、万策尽きる。かすかな望みは敵国アイルランド王妃と王女が素晴らしい医術・薬方を心得ているという噂だ。マーク王は、万に一つの奇跡を信じて、甥を小舟に乗せて海へ流したところ奇跡が起こった。トリスタンは救助されて、王女により一命をとりとめた。

 この頃アイルランドでは、黒き竜が暴れ回って同国を存亡の危機にさらしており、国王は、(黒き竜を倒した者に王女イゾルテを与える)という触書をだした。話を訊いたトリスタンは黒き竜の棲む小島へ渡り、大格闘の末に見事竜を仕留めた。

 トリスタンは王女を自分のものとはせず、祖国コンウォールとアイルランドの和平のために、イゾルテを輿入れさせるようアイルランドの国王に申し出た。

 ところが、トリスタンがかつての婚約者の仇であること、マーク王が老人であることをイゾルテが知ると、服毒自殺をはかるのだが、機転を効かした侍女が媚薬と取り替えたため、二人は激しく求めあうところとなり、マーク王に嫁してからも関係が続く。事態は国中に知れ渡るところとなり、トリスタンはブルゴーニュに追放される。

 古風な洋装をまとった女性は、「お茶でもいれましょう」といって、厨房に入り、ティーポットに湯を注いでからまた戻ってきた。そして私の話の続きを訊いた。

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 ブルゴーニュに追放されたトリスタンは、そこでも活躍して、ブルゴーニュの国王から王女を賜り結婚した。それが白き手のイゾルテである。結婚はしたものの、トリスタンの心は黄金の髪のイゾルテに向けられたままだった。

 トリスタンが病を得て瀕死となったとき、知らせを訊いた伯父マーク王は、甥のすべての罪を許し、妻である黄金の髪のイゾルテを白い帆の船に乗せて送り出した。

 海に臨んだトリスタンの居城でトリスタンが、事前にマーク王から、その旨の手紙をもらい、黄金の髪のイゾルテとの再会を指折り数えていたときのことだ。居城の見張りが、「沖合に船がみえます」と叫んだ。病床のトリスタンが白き手のイゾルテに様子をみてこさせ戻ってきた妻に、「船の帆は白いか?」と訊ねた。すると嫉妬した妻が、「船の帆は黒です」と枕元で嘘をささやいたところ、落胆して、そのまま逝った。

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 私は古風な洋装をした女性が注いでくれた紅茶を口にしようと、ティーカップを手にしたところで眼が覚めた。最近みる夢は、画像と音声にリアリティーがありすぎる。画像もカラーだった。ティーカップと思って手にしていたのは飼っている雌のシルバー文鳥姫姫だった。テーブルの上に置かれていたのは、文鳥を飼い始めたときに購入した『やさしい文鳥の飼い方』と書かれた入門である。  

 そうだ、私は十年以上も昔に購入した書籍をみつけて懐かしく思い、姫姫片手に頁をめくっていたところ、またしても、うたた寝してしまっていたのだ。私は姫姫を片手にもったまま、続きを読み始めたところ、ある記事のところで指す指が止まった。

 ──カップルとなった文鳥の愛情表現のひとつに、相手の羽毛を噛む行為があります。首根っこが禿げていたら、それは喧嘩で毛が抜けたのではなく、相手が何度も噛むものだから抜け落ちただけですからご心配なく。

 私は、八年付き合って先日逝った雄の白文鳥トリスタンに思いを馳せた。初めてトリスタンに出会ったのはホームセンターのペット売り場だった。トリスタンの首根っこは羽毛が抜け落ちており、私は喧嘩っ早い、トリスタンが、争った傷だとばかり思い込んでいたのだ。 

 ──トリスタンには、〝黄金の髪のイゾルテ〟が存在した。

 晩年、トリスタンの伴侶として、シルバー文鳥の姫姫を飼った。姫姫は左目が白内障であるためまともに飛べない。トリスタンが大好きで、セレナーデである歌や舞いを、ぎこちなく真似たものだった。格子ごしに口づけを交わすこともあった。

 セレナーデをしたトリスタンを、姫姫と同じ巣かごにいれてみたところ、トリスタンはしばらく呆然としたのち、姫姫を拒絶したので、私は仕方なく別々の巣籠で飼うことにした。

 私がトリスタンと過ごすときは、必ず巣かごの蓋を解放しておく。トリスタンは、それから後も、飛べない姫姫の籠のところにやってきては、死ぬ直前までセレナーデをし続けた。最晩年のトリスタンはハンデのある姫姫を愛しこそはしなかったものの、好意をもって励まし続けていたのだ。

 トリスタンが逝った朝、遺骸をみると姫姫のほうを向いていた。姫姫はそれから数日食が細くなった。

 私は考えた。(トリスタンの最後を看取った姫姫は、〝白き手のイゾルテ〟ではなかったのか)と。また、こうも考えた。(黄金の髪のイゾルテと白き手のイゾルテのどちらが幸せであったのか?)ということを。そして、(文鳥を飼うという行為は加害者になることだ)とも思うのだった(ノート20051019/校正20060507)。

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 霊的スピリチュアルな話しというのは慎んだほうがいいらしい。禍を避けるためだ。少年時代、この手の〝来訪者〟たちが次から次へとよく現れたものだったが、あるとき、(きても無駄ですよ)、と応えるようにしていたら喧騒が止まった。ただ例外はある。死せる鳥たち、飼っていた文鳥たちだ。

 来訪するのは決まって雌で、天井や壁を通り抜けて舞い降り、寝ている私の首や肩のあたりで、ひとしきり遊ぶと満足して帰っていく。手洗いに起きると、テーブルの縁にすわってこちらをみていることもある。あまりにも無邪気で害もなく恐怖を感じるということがない。文鳥の雌たちは一ヶ月ほどすると来なくなる。たぶん、生まれ変わるのだろう。

 対して雄の文鳥は遊びに来るということがない。凍てつく夜、伴侶を庇って落命した筋金入りもいることから、雄が来ないのは、(寂しさをさらさない紳士の)誇りというものだろう──そんなふうに解釈している。

 先日、出張先で供をしていたトリスタンが逝った。享年八歳。文鳥として大往生である。喧嘩が好きで、隣人の巣を攻撃しては、領土を広げようとするしたたかな鳥。異性からの愛情というのものを喜ばない。一方で、巣掃除がなされ牧草を新しいのになると、大いに喜んで、牧草の一本をくわえて私に届けにくるという義侠心があった。そこに(羽毛恐竜から進化した者、竜の末裔であるという)高貴さを観た思いがする。

 トリスタンが亡くなる直前、うたた寝していた私は、なだらかな丘の斜面に立つ夢をみた。

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 南国の花のような色をした芝草が繁茂しており、「観たこともない植物だ」とつぶやいていたとき、白髭の紳士が寄ってきて、「ああ、これですか? 〝紅芝くれないしば〟というのですよ」と答えた──ところで眼が覚め、彼の死を知るところとなった。

 色好みで有名な歌人・在原業平ありわらのなりひらは没後、桜の精となったという伝承がある。白髭の紳士がトリスタンであるかどうかは判らないのだけれども、(これから花園に戯れて暮らすのだなあ)ということを感じた。 

 私は大半を出張先で過ごし、月に一度、自宅としている家内の実家に帰る。郊外の丘にある住宅地のなかにあり、花の満ちた小さな庭がある小さな家だ。帰宅の間際に逝ったトリスタンの亡骸は、姑が用意してくれた青いパンジーを墓標にして、庭の隅に埋葬した。

 トリスタンの名の由来は、中世騎士物語の一つ『トリスタン物語』からとった。英雄トリスタンの物語に重ねて、一編の詩を添えることにする(ノート20100510/校正20160506)。

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   トリスタン

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  竪琴のしらべは、

  幾度、月夜の宴を潤したことだろう。

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  竜の系譜を宿した瞳に映るのは、

  宙を舞う長剣の火花。

.

  温もりを拒否したトパーズの翼よ、

  たたかいの幕は降りた。

  くつろがいい。

.

  花咲く丘で君を送ろう。

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