随筆/貴公子文鳥シルフィー
先日、八歳の大往生で他界いたしました文鳥王トリスタン。やたらと喧嘩に強かった彼にも、最強のライバルが存在しておりました。既に発表しました「文鳥王トリスタン」で覚えていらっしゃる方もいらっしゃるでしょう。そう、シルバー文鳥のシルフィー、名前の通り風の妖精のようでもあり、貴公子のようでもありました。
クリスマスが間近に迫ったころ、私はシルバー文鳥を手で包んでいた。放置しておくと身体が冷えてしまうので、ときどき、手やポケットに入れて温めてやるのだ。名前はシルフィー、雄のシルバー文鳥だ。ペットショップの大きな巣籠にトリスタンと一緒の籠に入っていたで、一緒に購入した。シルバー文鳥というのは、比較的新しい品種で、白黒が際だつ桜文鳥の色を淡く灰色にさせたもので人気がある。
シルフィーは、トリスタンが仕掛けてきても、軽やかに、少し離れたところに飛んでいく。シルフィーの素早さには風切る翼のトリスタンもついてはゆけない。トリスタンが追いついた瞬間には、シルフィーは舞い上がって逃げてしまうのだ。それを何度も繰り返した。
シルフィーが逃げるのは弱いからではない。争いを好まないのだ。軽やかな逃げっぷりは優雅でもあり、私には、貴公子のように映った。
ところで、わが家には、もともと、蘭丸という雌の白文鳥がいた。二羽の雄のうち、白文鳥は蘭丸の婿として迎え、シルバー文鳥は私の趣向で飼いだしたものだった。蘭丸は、孤独を愛する気性の激しいトリスタンよりも、穏やかで心優しいシルフィーを選んだ。
つがいとなった二羽は仲むつまじく、巣籠を出入りしては大いに喜んでいた。トリスタンが侵入してくると、けたたましく威嚇して撃退。無駄な戦いを避けてきたシルフィーと、弱々しいが共同戦線である。だが、同じ年の夏に蘭丸が突然亡くなった。シルフィーは、伴侶の死に、よほど堪えたのか、秋から衰弱し、ついには飛べなくなってしまった。
手で温めたシルフィーを、運動させるため、床に離してやる。シルフィーは舞い上がろうと何度か羽ばたくのだけれども飛ぶことはかなわず、あきらめて休み休み歩きだした。
十分以上かけて、隣室にある格子でできた巣籠に到着。巣籠の屋根を外しているので、いままでなら跳躍して帰還することができた。だが、その日は無理である。みかねた私が掌をだすと、シルフィーは手に乗って、二三度軽くノックした。
──戻りたいんだ。上げてくれないか?
「わかってるさ」
シルフィーは、「感謝する」とはにかむように横顔をみせて巣籠の中に戻った。いつものことだが、そういうときはきまって、来訪者がいる。来訪者というよりは侵略者といったほうが正確だろう。そう、白文鳥のトリスタンが陣取って、餌箱から餌をついばんでいるのだ。むろんシルフィーも黙ってはおらず、〝宣戦布告〟した。
白文鳥トリスタンは、後方へ退いて、シルフィーに対抗する体勢をとった。
──来たな色男。あの娘、蘭丸を捜していたのか? 恋には毒がある。死んでしまった女を未練がましく想っておるから病など得るのだ。
──ふっ、恋を知らずに生きる君は哀れだよ、トリスタン。……それより、ここは、わが領域。出ていってもらいたい。
──〝愛の巣〟の跡地など墓場にすぎぬ。死守して何の意味がある?
──墓? そうかもしれない。だが私には必要な場所なのだ。愛した証を胸に生きていたい。もっとも、そんなことなど、君には理解できないことだろうけどね。
〝宣戦布告〟の儀礼において、これほど美しい行動をとる種族を私は知らない。南国の鳥特有である華麗な歌と舞いをするのだ。シルバー文鳥はハイ・ソプラノ、白文鳥はアルトとソプラノでさえずり、軽やかなステップ、さらにデュエットが始まる。総毛立つほど華やかで澄んだハーモニー。銀と白の競り合いだ。
その冬のクリスマス、シルフィーは、〝紅芝の丘〟に逝った。享年三歳。トリスタンは、それからさらに五年生きたのだけれども、鏡に映る自分ばかりをみるようになった。
了
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ノート20100515/校正20160506