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随筆/シューベルト(子孫)のコンサート

「たしかシューベルトって三十歳くらいで亡くなった人だと思っていました。独身だったような?」

「子孫──ん……傍系かなあ」

 取引先の方が、コンサート主催側関係者で、無料だからというので行ってみました。私も子供の時はピアノを習っていた時期があり、家内や母はサークル活動をしているため興味をひきました。

 コンサート会場は千葉県香取郡多古町コミュティ・プラザ文化ホールで、仮住まいのある成田市から自家用車で一時間のとこにあります。――戦前はローカル線が通っており、大戦の鉄不足から、線路を剥がして武器の材料になったとのこと。

 国道二九六号線の一本道を抜けて市街地に入ると、一方通行でクランクだらけの街路を縫うように走行せざるを得なくなります。市街地には、コンビニが存在せず、土蔵やら木造瓦葺きの残る古い商店が軒を連ね、市街地を抜ければ、小舟を繋留した運河として機能しているだろう水量豊富な川が流れていました。まるで桃源郷にでも踏みいった感じです。

 数万石クラスの大名の城館を陣屋といい、陣屋を中心に開けた城下町が多古町でした。自家用車以外の交通手段はバスしかなく、〝陸の孤島〟──といったらいいすぎでしょうか。

 昼一時前に会場に到着。受付は一時三十分でしたが駐車場は八割がた埋まっており、コミュニティーホールに入ります。

「あっ、軽トラック──」

 家内が指さした軽トラックの荷台には、殻になった野菜コンテナが横倒しになり、少し葉が散乱しており、なにやら、(私好みな)ハプニングの匂いがしだしてきたではありませんか。

 北側後背を丘陵とした古びた市街地。唯一最先端をゆくような斬新な現代風建築がコミュニティーホール。高さでいえば地上三階地下一階。いかにもバブル期に建てたような建物でした。

 多古町は古来水運の町。もともと湿原であったのであろう水田地帯をほじくり返すと、どこからでも、縄文時代の丸木舟が顔をだし、ひどいときには、あぜ道に野積みされていることがあったのだとか。

 丸木舟は農家にとってはただの障害物にすぎなかったのでしょう。それでも舟は公認されているだけで四十隻を越えるのだとか。

 舟の現物とパネルが展示された玄関をくぐり、私と家内は、すでにできていた行列の終わりに立つことにしました。

.

 私と家内は音響の良さそうなホール真ん中の席を確保。受付開始から開演まで三十分、壇上では調律師がピアノを調整してときおり鍵盤を叩いているのをぼんやりと眺めているうちに、会場はほぼ満席状態となりました。 「トーマス・シューベルト──っていうんだね」

. 私は(やや年輩の)受付嬢から戴いたパンフレットを開いて出演者略歴に目を通しました。

 ピアノを弾く、ドイツの音楽家トーマス・シューベルトは、作曲家フランツ・シューベルトの祖父の子孫である。作曲、声楽の伴奏、指揮者として活躍。ドイツ・バイエルン州シューベルト協会会長及びオーストリア・ウィーンの森シューベルト協会会長。

. 記事を読んでいたら、すえた匂いの息がかかってきたのに驚き、顔を挙げると、七十歳前後と思われる四角い顔の老人が、「すみませんねえ。写真をデジカメで撮りますんで立ち上がったりします。みえなくなるかもしれないので、前もって──」 と愛想のいい笑みを浮かべたのでした。老人を仮にデジカ氏としましょう。

「コンサート中に撮影ってあり?」

「パンフレットにも禁止をうたっているわよ」

私と家内は顔を見合わせていると、照明が暗くなり、いよいよ開演となりました。

.

 拍手に迎えられて、ピアノ奏者とテノール歌手が登場。ピアノ奏者がトーマス・シューベルト氏、テノール歌手が、児玉陽介氏です。

 児玉氏は芸大卒業後、ドイツの国立音大二つを卒業し、ドイツ・オスナブリュック市立劇場専属団員の肩書き。その筋のエリートです。俳優の柳葉敏郎に少し似た風貌で、小柄な容姿が、才能からくる嫉妬をかき消して、独自の愛嬌をかもし出していました。コンサートを仕切っているのはこの人です。

 トーマス氏は大柄、児玉氏はどちらかといえば華奢。プロレスラーと漫才師の凸凹コンビというふうにみえなくもない感じがします。

 コンサート開始。演目は四部に分かれ、主に歌曲が主体の構成でした。

 第一部はトーマス氏のご先祖、フランツ・シューベルト作品である「ます」、「野ばら」、『冬の旅』から「菩提樹」、『白鳥の歌』から「セレナーデ」──と、児玉氏の透きとおった美声にトーマス氏の伴奏という豪奢な音色がホールに反響する……はずでした。

 パンフレットをめくる音、咳払い、赤ちゃん・子供の泣き声がやみません──まあ、この程度はどこの会場にもありがちなこと。

 さらには、後部席からは、開演前から続く小母様たちの小声がやまず、とどめに例のカメラを手にした老人デジカ氏のシャッター連射音が……。

 ──高度経済成長を支えてきたのだから、まあ、(〝冥土のみやげ〟→校正→)〝素敵な思い出〟になるだろうなあなどと、すぐに現状肯定してしまう私。

そこに。

「ちょっと、あなた。さっきからうるさいですよ。カメラで撮るのをやめてもらえませんか」

 そういって振り向いたのは、精悍な風貌の紳士で、デジカ氏の前部座席の方で、元大臣桝添洋一氏に酷似した人物。〝大臣閣下〟の後半分をとって閣下と仮にしましょう。

 デジカ氏は閣下にしかられ写真をとるのをやめました。  物理にいう〝慣性の法則〟があるように、人の習性にもそれがあるようで、案の定、閣下が正面をむいてからしばらくして、デジカ氏は連写を再開したのでした。  ちょうど、第一部の演奏が終わり、第二部に入りかかったころでした。第2部はショパン生誕二百年を記念するもの。

 ショパンは、革命・病気・失恋をし、四十代に亡命先のロンドンで客死した薄幸の天才作曲家。演目は、『名もなき星になる日まで』から「別れの曲」、ポロネーズ嬰ハ短調の二曲でした。

.

 第二部が終わり、スライドショー。シューベルト家に伝わる作曲家フランツ・シューベルトの秘められたエピソードが語りだされます。

 合唱が行われている最中、ついに前部座席にいた閣下がキレたご様子。振り返って罵声を浴びせ始めました。

「いったいあなたはなぜ撮影をやめないんだ。ずっとうるさくって迷惑千万。考えてもごらんなさい。コンサート会場ですよ。みんな音楽を聴きに来たんだ。あなたのシャッター音を聴きに来たんじゃない──演奏者にも失礼だ」

 デジカ氏は一言も言い返せず沈黙。市民合唱の途中で退場していきました。

 実のことをいうと先述しましたように、パンフレットをめくる音、赤ちゃんと子供の泣き声、小母様方の小声で終止ざわめいていたため、シャッター音も、

閣下の罵声もさほど目立たなかったように、私には感じられました。

 市民合唱団の演目が終わり、「魅惑の四音」という副題がパンフレットに書いてありました第四部の始まりです。

.

あらあら。

 トーマス氏と一緒にあらわれた児玉氏が、急にコスプレしてのご登場。まるでアラビアンナイトのアラジンのようなターバン姿ではないですか。ざわめいていた会場が、華奢な児玉氏に釘付けになりました。 ――パンフレットの目次にはないモーツアルトの『魔笛』の一部をご披露し、会場の雰囲気を一変させます。

 ついで演目にあるベートーベンの歌曲「キス」を披露。解説が面白い!

「部屋に男の子と女の子の二人がいました。男の子が女の子に、『キスさせて』と詰め寄ると、女の子は、『大声をだすわよ』と拒みます。しかし男の子は女の子を追いかけ回してついに思いをとげます。女の子は、男の子を、じっとみつめます。……しばらく経って、 『きゃあ~!』と叫ぶ──という曲です」

『キス』という曲は『魅惑の四音』というものがつかわれております。では『魅惑の四音』のみで構成された曲をどうぞ」   

 児玉氏がトーマス氏にうながして弾いていただいたのは、ペ・ヨンジュン主演韓流ドラマ『冬のソナタ』。観客たち(特に話し込んでいた小母様方)は、すっかり児玉氏の奇抜な演出に引き込まれていき、曲目がつぎつぎに奏でられていくのでした。

 土井晩翠作詞・滝廉太郎作曲『荒城の月』、北原白秋作詞・山田耕筰作曲『この道』、二木露風作詞・山田耕筰作曲『赤とんぼ』、荒井満日本語詞・作曲『千の風になって』 

 フィナーレは、萩原栄一作詞・イギリス民謡『ピクニック』来場者全員の唱和です。私は閣下のほうに目をやりました。ちょっと気恥ずかしいようなご様子で大きく口を開けてうたいだしました。

 拍手喝采。「素晴らしいコンサートだったわね」という家内の言葉に相槌ちした私は会場を後にしました。

.

 後日談。

 先日、仕事でコミュニティプラザに行きましたところ、野菜箱の軽トラックが停まっているのが目に入りました。軽トラックのドアにはデジカ氏がもたれかかっていて、私をみつけると微笑み、「やあ、こないだはどおもお~!」と声をかけてくださいました。蝉時雨のなかのことです。

     了

.

ノート20120612/校正20160508


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