日本国憲法の違憲審査制と表現の自由
法は、我々の生活において重要な役割を担っている。特に、社会生活を送る上で我々に最も身近な「民法」という法律は、避けては通れない最重要な法律といえる。
しかし、そんな「民法」でも敵わない法が存在する。それが「日本国憲法」である。
そもそも憲法とは、国家権力の濫用を抑制し、国民の権利・自由を守る基本法をいう。日本国憲法(以下、「憲法」という)には、いくつかの人権についての規定があり、それらに反する法律を国会が制定したならば、その法律は無効となる(98条1項)のである。
裁判所は、法の違憲をどのように審査するのか。これについては、抽象的違憲審査制と付随的違憲審査制の二つの制度が存在する。
抽象的違憲審査制は、具体的事件とは関係なく裁判所が違憲を判断できる制度をいう。対して、付随的違憲審査制は、具体的訴訟事件を前提として、その訴訟の解決に必要な範囲内で裁判所が違憲を判断できる制度をいう。
我が国の制度は、最高裁判所の違憲審査権について規定した81条が第6章の「司法」の中にあること、憲法の中には抽象的違憲審査制に関する規定が存在しないことなどを理由に、付随的違憲審査制を採用しているとするのが通説である。
では、裁判所はどのように違憲審査権を行使するのか。21条1項の「表現の自由」を例にみてみよう。
表現の自由。21条1項は【集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。】と規定する。
我々には、思想良心の自由(19条)があり、いろいろなことを考えたり、感じたりすることが自由にできる。これは、人の頭の中で起こっていることであり、他人には推測はできても知ることは出来ない。だから、思想良心の自由を侵すことは絶対的に許されないのだ。
ただ、人は他人との関わりなくして社会を生活することはできない。その中において表現行為は非常に重要な役割を果たす。すなわち、表現行為によって自己の人格を形成する(これを「自己実現の価値」という)、我々の社会を我々自身が決めるために話し合う(これを「自己統治の価値」という)必要があるのだ。これらを保障するために21条1項は存在する。
表現行為は、思想良心と異なり外部に表出する性質があり、他人の権利を侵すことがあるから、絶対的に許されないものではなく、「公共の福祉」による制約を受けうる。
上で見たように、表現の自由は、自己の価値形成に非常に重要な役割を果たすから、「公共の福祉」による制約も最少限でなければならない。
こんな事件があった。Xという団体が集会をするため、Y市民会館の利用をY市に申請したところ、Y市はXの申請を不許可処分にした。
Xの立場からしたら、集会という表現活動の場を奪われたわけで、本件不許可処分は21条に違反すると主張したくなる。
しかし、Y市にも主張はある。Xは中核派(過激派)の団体であり、Y市民会館条例7条のうち1号の「公の秩序をみだすおそれがある場合」及び3号の「その他会館の管理上支障があると認められる場合」に該当すると判断して不許可処分としたのであって、21条には違反しないと主張する。
すなわち、本件会館の使用を拒否することによって憲法の保障する集会の自由を実質的に否定することにならないかが問題となっている。
これについて最高裁判所は、【本件条例7条1号は、「公の秩序をみだすおそれがある場合」を本件会館の使用を許可してはならない事由として規定しているが、同号は、広義の表現を採っているとはいえ、右のような趣旨からして、本件会館における集会の自由を保障することの重要性よりも、本件会館で集会が開かれることによって、人の生命、身体又は財産が侵害され、公共の安全が損なわれる危険を回避し、防止することの必要性が優越する場合をいうものと限定して解すべきであり、その危険性の程度としては、前記各大法廷判決の趣旨によれば、単に危険な事態を生ずる蓋然性があるというだけでは足りず、明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要であると解するのが相当である。】と述べている。
集会の自由は、表現の自由として十分に保障しなければならないから、余程のことがない限り、市民会館の利用を拒否してはならないとしているのだ。
本件では、Xは、関西新空港の建設に反対して違法な実力行使を繰り返し、対立する他のグループと暴力による抗争を続けてきたという客観的事実があり、本件集会が本件会館で開かれたならば、本件会館内又はその付近の路上等においてグループ間で暴力の行使を伴う衝突が起こるなどの事態が生じ、その結果、グループの構成員だけでなく、本件会館の職員、通行人、付近住民等の生命、身体又は財産が侵害されるという事態を生ずることが、具体的に明らかに予見される。
だから、本件不許可処分は憲法第21条に違反しないと判断された。
このように、裁判所は、保障される人権にどの程度の制約を加えるのかを判断し、違憲審査基準を示して、具体的事件の違憲性を判断しているのだ。
《参考判例》
最判平7.3.7 [泉佐野市民会館事件]