その子のともだち
『……バックミラーを見たが、そこには誰もいなかった。って話だけど、こういうの似た話が多いな。もう少しオリジナリティが欲しいな』
『いやいや、"実際にあった怖い話"にオリジナリティ求めたらヤラセやん』
『それもそうか』
カーラジオから流れてくるのは、中堅のお笑い芸人のコンビだ。
夏休み企画の第一弾として、「実際にあった怖い話」を応募し、今日何件か発表している。
本当に怖い話からネタ話まで様々だが、パーソナリティの芸人が上手く笑いを混ぜて話すのでけっこう面白い。
『そういや、俺の兄貴の話なんやけどな。友達とツーリングで山道を下ってた時に道路脇に子どもが一人おってマジでビビったらしいわ』
『子どもの幽霊かいな』
『やったらネタになるんやけどな。慌てて戻って聞いてみたら、親に車から無理やり下ろされて怖くて動けなかったって言うから、すぐ警察に電話して保護してもらったらしいで』
『なんつー親や』
『後で警察から聞いたんやけどな、子どもがワガママばっか言うから躾のつもりで置き去りにしたらしいわ。後で迎えに来るつもりやったって言うけど、子どもにしたら捨てられたんと一緒やで』
『なんつー親や』
『これ話したら、タノケンの兄さんも『俺はわざわざ車で運ばれて捨てられたけど自力で帰ったぞ』って自慢げに言いだしてな、他にも捨てられかけたとか、デパートで置き去りされたとか話がボロボロ出てくるのにビビったわ』
『子ども置き去りにする親が多い事実がエグいわ』
そこまで聞いて、気分が悪くなったので音楽主体の番組に変えた。
俺も、小学3年か4年の時に町中で車から下ろされた事がある。
あの時は、何が原因だったか。確か、まだ帰りつかないのかとか早く帰りたいとか文句を言ったとかだったと思う。
道路脇に停車したと思ったら、運転していた父親から車から引き摺り出されて驚いている間に車は走り去ってしまった。
あの時はショックが大きくて、しばらくしてから捨てられたんだと徐々に悲しくなって泣いたなぁ。
泣いても待っても車は戻って来なかったから、とりあえず歩いてコンビニで自分の住む町の方角を聞いてひたすら歩いた。疲れても歩いてる間は何も考えなくて済んだから、とりあえず足を動かして歩いた。どれだけの距離があって、どれだけ時間がかかったのか覚えてないけど、なんとか家が見える場所まで辿り着いた時はもう夕方だった。その家も自分を拒んでいるみたいな気がして、足が動かないまま遠くに見える家を見ていた。
日が沈み始めた頃、家の反対側から歩いていた母親が俺の名前を呼んで抱きしめてくれた。
泣きながら謝罪する母親の腕の中で大泣きしたのは、まぁ、子どもだったからなぁ。
気の短い父親は、俺を置き去りにして帰ると早々に部屋に閉じこもって寝たらしい。
母親が迎えに行こうと泣きつけば怒って暴れたので、諦めて歩いて捜してくれたそうだ。暗くなったので、警察に連絡しようと帰った先で俺を見つけたのだとか。
父親とか近所の目もあったからだろうけど、もう少し早く警察に連絡しようぜ。
今思い出しても、よく無事だったなぁと思う。
そんな両親は俺が中学生になったと同時に離婚した。俺を引き取ってくれた母親は高校卒業してようやく再婚して今は幸せに暮らしている。
少し離れた大学に合格した俺はこれ幸いと一人暮らしを始めてもう二年になる。
母親から顔を見せろと催促されるのは多少面倒ながらも嫌ではない。
助手席に置かれた手土産に苦笑してると、ラジオにノイズが入り始め音が飛ぶ。山だと電波悪いからなぁ。
切ろうか内蔵の音楽に切り替えようか迷っているとノイズが一際悪くなった。
「ザザ……ザザ……その…コ……ザザザ…に………ザザ…」
「……?」
なにかが聞こえた。
ラジオの声だったのかも。
そんな事よりも運転に気をつけないといけない。ここからカーブも増えるのだから。
「っ!!うわ!!」
大きくカーブを曲がった先で人影を見て慌てて急ブレーキを踏んだ。
心臓が破裂しそうなほど動いている。
そろりと顔を上げると2〜3メートル先で子どもが尻餅をついていた。
良かった。轢いてない。良かった。
一度息を吐いて外に出る。
幸い後続車も対向車も無かった。
「大丈夫かい?どこか怪我は?」
小学生らしき女の子は俺を見上げると首を横に振った。
女の子に手を差し出して立たせながら周りを見る。人どころか車もない。
こんな山道でこんな小さな子がどうして?
そう不思議に思ったが、さっきのラジオを思い出した。まさか、この子も……?
「君、お父さんかお母さんは?」
女の子は黙って首を振る。
無表情な顔が悲しさを押し隠しているようにも見えて、知らず眉間に皺がよる。
「…いなくなったの」
小さな声だがちゃんと聞こえた。
どちらにせよ、放っておけない。ここからなら、戻るより進んだ方が町に近い。そこの交番まで連れて行こう。
お巡りさんから両親に連絡を入れてもらうこと。その交番まで車で送り届けることを伝えると女の子は大きく頷いた。
先に交番に連絡を入れようと女の子に名前を聞くと「中村苑子」だと教えてくれた。
交番に連絡をして、助手席の荷物を後ろの座席に移動させる。
苑子ちゃんを助手席に座らせてシートベルトをしてもらい、車を発進させた。
入りの悪いラジオは切って、内蔵の音楽に変えるが、なぜかこれも調子が悪い。ぶつぶつと音が切れる。
壊れたかもしれない。修理代はもったいないなと考えながら、使えないオーディオを切る。
「交番に行ったらお巡りさんにお父さんとお母さんに連絡してもらおうね」
車酔いしないようにゆっくりとカーブを曲がりながら緩やかに上っていく。
苑子ちゃんは人見知りなのか口数が少ない。
緊張をほぐす為にも話しかけた方がいいのか、変に緊張させない為に黙っていたらいいのか、大いに迷う。
相手が女の子っていうのも躊躇う一因だよな。
これ、見ようによっては小学生を誘拐とか拉致してるように見えないか…?
ちゃんと説明すれば大丈夫だろう。
それよりも、こんな山道に置き去りする親なんて碌なもんじゃないよな。
町中でもかなり怖かったもんな。
見た目に怪我とかは無さそうだけど、日常的に暴力とかあったなら…。いや、そういうのも簡単に口を挟んでいいことじゃないよな。警察とか児相とか専門の人に任せたほうがいいのかもしれない。
「……寂しかったよな…」
言わないでいるつもりの言葉が溢れでた。
しまったと思ったが、出たものはしかたない。
過去の自分に重ねてしまったんだ。怖いよりも、悲しくて、寂しかったんだ。ひとり取り残されて、誰もいなくて、要らないと言われた気がして。
「……うん」
「俺も、昔、置いて行かれたことがあってさ。思い出したんだ」
「お兄さんも?」
「うん。オヤ……父親にね。苑子ちゃんと同じくらいの年だったかな。泣きながら必死で帰ったよ」
「帰れたんだね」
「苑子ちゃんも帰れるよ」
運転していたから苑子ちゃんがどんな顔をしているかは分からなかったが、なんとなく嬉しそうな感じがした。
「お兄さん、苑子のお友だちになってくれる?」
「え?いいの?嬉しいな」
好印象っぽくて良かった。
誘拐犯扱いはなさそうで胸を撫で下ろす。
峠を越えてあとは下り坂だ。速度が上がる。
「苑子もうれしい」
最初の緩やかなカーブを前にしてブレーキを踏む。
「?あれ?」
いつもの踏み込んだ感触がない。
おかしいと思って踏む力を入れたら、踏み切ってしまった。
なのに、スピードが落ちない。
嘘だろ。
緩やかなカーブをなんとか曲がったが、冷や汗が背中を伝った。
ギアを落とすが、下り坂も相まって焼け石に水だ。
そうだ。フットブレーキ。
危ないけど、エアバックもあるし、死ぬよりマシだ。
「苑子ちゃんっ、ちょっと衝撃くるから気をつけてっ!」
声をかけてフットブレーキを思いっきり踏む。
決死の気分だったのに、なんの手応えもない。
スピードも変わらない。いや、むしろスピードが上がっている。
「うそだろっ!!」
そこからはもう必死だ。
蛇行する道をハンドル捌きだけで進んでいく。対向車がいない事だけが救いだ。
どうする?ガードレールにぶつかって止めるか?
どこに?
考える間にも心臓が止まりそうな場面に何度も遭遇する。
くそっ、なんでブレーキが効かないんだよ。
エンジンブレーキもフットブレーキも、何度踏み込んでも、手応えがない。
「私も、さびしいって泣いてたの」
心臓がどくどくと脈打つ。
左足を何度動かしてもスピードが落ちない。
「そしたらね、お友だちを連れておいでって言われたの」
くそっ。
きけよ。反応しろ。
なんだよ、なんでだよ。
「お兄さん、苑子のお友だちだよね」
必死でハンドルを切ってカーブを曲がる。
目と手を必死に動かして運転する。
嘘だろ。
無理だよ、どうするんだよ。
「その子といっしょにいってくれるよね」
ハンドルが動かない。
固まってしまったハンドルを力一杯握りしめる。
ぐんっとガードレールが近づく。
向こう側に見えた空は、あの日泣きながら見た夕暮れと似ていた。
「これで三件目か?」
「いや四件目だ」
「なにかあんのかねぇ」
クレーンで引き上げている車は前半分がぐしゃりと潰れている。
現場検証を終えた警官はタバコを吸おうとポケットを探ったが、禁煙を始めたのを思い出して顔を歪めた。
「今回もブレーキ痕は無かったらしい」
「またか」
最初に家族三人が亡くなった事故以外は全部ブレーキ痕がない。
車種もバラバラ、過去にやんちゃしている経歴もない。年齢も性別も違い、共通点は無い。あるとすれば、乗っていたのが運転手一人だけだったことぐらいか。
『死者は呼ぶから、ちゃんと供養してやらんとな』
不意に亡くなった祖父の言葉を思い出した。
一度寺に相談してみるか。
ガードレールに置かれた花束を見ながら、警官は真っ青な空を仰ぎ見た。
*終わり*
お読みくださりありがとうございます。