パーフェクト・スノー・ホワイト -1
翌朝、僕は一番のスクールシップに乗って登校した。スクールシップは、この辺りの島々の各港を巡回し、学校のある『ヒバリ島』へ生徒たちを送り届ける。海の上に埋め立てられた土地に造られた街だから、そのままの呼び名で『アクア・ニュータウン』と呼ばれるこの諸島の中で、最も大きな島が『ヒバリ島』だ。
スクールシップは定員三十名程の中型の船だ。学校の規模に対して定員は少ないが、その分便の数は多いので不便はしない。船内に定員分の座席はあるのだが、僕は上の階に出るのが好きだ。まだ残暑も厳しいから、朝の海風が涼しくて気持ちがいい。白い太陽から降り注ぐ光が海面を滑り、時折魚の影を照らし出すのだ。回りの生徒たちは友人との喋りに興じたり参考書に齧り付いたりしているのだが、何せ僕は友人も少なく試験に追い立てられてもいないので、そうして空と海面を互に眺めるくらいしかやることがなかった。
「ミナミさんでしょう」
知らない声に呼ばれて振り返った。眼鏡をかけたその生徒は、推理癖のある名探偵さながら、見透かしたような笑みを浮かべていた。僕はその雰囲気が面白くて
「うん、ふふ、そうだけど」
と笑い交じりに応えた。クラスの中では見ない顔だったが、全校生徒の前で紹介されたのだから僕の顔と名前が一致しているのは当然のことだ。しかし好奇心を持って話しかけられるのは、転入してから初めての経験だった。
「僕はヒラノ。同学年だし、呼び捨てにして。よろしく」
言いながら、ヒラノは僕に握手を求めた。なんだか欧米風だ。僕は握手に応えながら、
「あ、うん、よろしく。僕も呼び捨てでいいから」
「わかった。じゃあミナミ」
頷いて、ヒラノは握手を解いた。
「いくつか質問してもいい?」
「いいよ、何でも」
「おお、太っ腹だな」
言うと、ヒラノはズボンのポケットから何か取り出した。メモ帳だ。バサバサと海風に煽られるページを押さえつけ、ペンを構え、準備をした。僕は思っていた『質問』と違うので戸惑った。まるで、僕と知り合いになりたくて声をかけたというよりは、
「取材みたいだ」
僕は感想を呟いた。
「取材だよ」
ヒラノはさも当然のように言った。僕は面食らった。
「取材って、なんの」
「僕は新聞部なんだ」
「あー、そうなんだ」
僕はなんだか興覚めして空返事した。話しかけられて嬉しくなった僕の気持ちを返して欲しくなった。
「はは、そう面倒くさがらないでよ。君のことを皆にアピールするチャンスだ」
「そうだね」
とは言っても、僕は自分のパーソナリティについて細々と学校新聞に載せられることに良い印象は持たなかった。
「じゃ、早速聞くけど……。趣味は読書なんだよね。今までで一番、良かった本は何?」
「いきなり難しい質問だなあ」
「直感でいいよ」
『直感』と言われると、余計に考えてしまう。僕はしばらくモーターの水しぶきを眺めて、ぼんやりと頭に浮かんだ本を答えることにした。
「『注文の多い料理店』かなあ」
「宮沢賢治の?」
「うん」
「どんなところがいい?」
「そうだなあ」
じんわりと、初めて『注文の多い料理店』を読んだ時の記憶を思い起こした。僕の胸の中にその時の感想の一つが思い出された。
「人間も胃に入ってしまえば一緒ってとこ」
「胃って山猫の胃?」
「そうそう」
「あはは、怖いこと言うね」
そう言うヒラノは、先ほどまでの見探るような観察眼をやめて、口に手を当てて可笑しそうに笑っていた。怖がっている感じはしない。
「それ、新聞に載せてもいいの?」
ヒラノが聞く。
「サイコパスって思われるかな」
「大丈夫、優しそうな写真使うから。ハイチーズ」
「えっ」
パシャっとシャッター音がした。僕は不意を突かれて目を瞬いた。フラッシュは無かったので目を閉じては居ないが、きっと驚いたような、間抜けな表情だったと思う。目の前のヒラノはいつの間にか小型のフィルムカメラを手にしていた。今時、フィルムカメラとは物珍しい。ほとんど流通していないし、一部のカメラマニアしか使わないだろう。
「うまく撮れた」
「うそだ。見せてよ」
「フィルムだから無理だよ」
じゃあ『うまく撮れた』かどうかなんて分からないじゃないか、といいかけてやめた。たとえ僕が気に入らなくても、ヒラノはさっきの写真を使うような気がした。ヒラノなりの自然な表情を映す撮影方法なのだと思うことにして、僕は文句を飲み込んだ。
「じゃあ、インタビューを続けるね」
ヒラノの質問は、好きな食べ物とか、休日の過ごし方とか、ほとんどは当たり障りのない内容だった。僕は副生徒会長としてのマニフェストや前の学校での成績を聞かれるのではないかと身構えていたが、想像よりも気楽に進んでほっとした。4、5個の質問をして、ヒラノはメモを仕舞った。『取材』と言われて身構えていた僕だが、思ったより長引かずにほっとした。間もなく学校の港に着こうと言う時、ヒラノは言った。
「もう一つ聞いていい?」
「何?」
ヒラノの丸い目が僕を見つめる。
「夢はある?」
シンプルだが、なかなか踏み込んだ質問だと思った。念のため、
「それは進路の話?」
と聞いた。ヒラノは肩をすくめて
「なんでもいいよ」
と答えた。特に求めてる答えがあるという訳でもなさそうなので、僕は正直に解答した。
「あるよ」
「えっ、あるんだ」
「意外?」
僕はそんなに掴みどころが無いように見えるだろうか。
「いや、そうじゃないけど……ちなみに、その夢が何か聞いても?」
ヒラノの丸い目が僕を見つめる。今までより増して興味津々という感じだ。僕はヒラノの前かがみな姿勢に押されないよう、出来るだけ堂々と言うことにした。本心では少し恥ずかしかったが。
「作家になりたいんだ」
僕の答えに、ヒラノはへぇーと感心した様子だ。
「すごい! もうなりたいものがあるんだ」
「いや、目指すのは自由だよ。実際になれるかは別の話だし……」
ヒラノがあまりに感心するので、僕は気恥ずかしくなってしまった。
「何謙遜してるんだよ! この年でゴールが決まってることがすごいんだから。僕の周りにもそうそう居ないよ。僕自身も迷ってばかりだ。自分が何者になりたいのか、まだ分からない」
「いや……そうだな、うん、ありがとう」
少々褒められすぎだと思ったが、ヒラノの言葉は素直に嬉しかったので受け止めることにした。
そこで、唐突に軽快なメロディが船内に流れた。アナウンスの合図だ。
『間もなく船は学園前に到着します。下船の準備をしてください』
船から身を乗り出して前方を見ると、島が見えた。ヒラノが背後で
「取材受けてくれてありがとう。またね」
と言って船内に戻って言った。僕はその背中に
「うん、また!」
と追いかけるように言った。そして、自分の写真が学校新聞に載ることを考えてハラハラする。ヒラノの人の好さに乗って答えてしまったものの、僕が自分の夢を人に話すは初めてのことだった。ヒラノにとって将来の夢の話は、取材の一部だっただろうか。