ハグ・ウィズ・ミー -7
土日の間だけで、本当にタダさんは技術を完成させたらしい。月曜日、会長が放課後に実証実験をするということで、僕たちとササベに招集をかけた。場所はクラス棟の裏庭。放課後は人気がなく、静かな場所だ。繊細なモモになるべくストレスがかからない場所をササベが指定した。
ササベが来るより少し早く生徒会の面々は集合がかけられた。花壇では、夕日に負けないくらい鮮やかなオレンジ色のマリーゴールドが花咲いている。
「これが例の魔法道具だよ」
会長は身幅に収まるくらいの段ボール箱を持っていた。タダさんから送られてきた機械だ。会長が段ボールを開けて、中身を取り出した。一同の視線が自然とそちらに向いた。
「じゃーん、『ハグ・メーカー』!」
「え?」
聞き覚えのない単語に、僕は首をかしげる。
「私が名づけたよ」
通りで安直な名前だ。さて、会長が手にする『ハグ・メーカー』は、一見すると分厚くてごつごつした、黒い手袋だった。とても生物の皮膚感覚をだますような精密機器には見えない、ただの武骨なグローブのようだった。
「ほんまにこれだけでできるんですか?」
ユヤマが目を丸くしている。
「こっちの端末で設定すれば動くみたいだよ。専用のアプリケーションが入ってるって」
会長は今度は段ボールから小型のスマートフォンを取り出した。
「テストとかせんでいいんですか?」
ユヤマが提案した。
「たしかに、ササベさんが来てから上手く動かないことが分かったら悪いね。まあ、タダさんが作ったものだし大丈夫だとは思うけど……」
「でも動物なんて居ませんよ」
僕は首を傾げる。
「木とかでいいんじゃないか」
ハギワラさんが提案する。
「そうだね。じゃあ、どうぞ」
会長がハギワラさんにグローブを差し出した。
「は、なんで俺」
「いや、だってさあ」
会長はハギワラさんにグローブを渡しつつ、目を泳がせている。
「なんか……神経を騙すって、自分が自分じゃなくなるみたいな……ちょっと怖いなって、ね」
「えぇ~? へんなところ怖がりなんやから」
「本当、こどもかよ。会長なら先陣切って行けよ」
言いながら、グローブを受け取るハギワラさん。うすうす気づいていたが、会長は生徒会の中で会長は甘やかされている節がありそうだ。
ハギワラさんがグローブをつけ、会長は説明書を見ながらなんとかアプリの設定を完了させた。ハギワラさんはちょうど両腕で抱けそうなくらいの楠木の下で棒立ちしている。
「じゃあ、電源入れるね」
会長がアプリから『起動』ボタンを押した。まだ、ハギワラさんは木とハグしていないから、何も変化はない。
「オッケー。ハグしてみて」
「愛情込めてくださいよ」
会長の言葉に、ユヤマが茶化して付け足す。
ハギワラさんは言われた通り、楠木にぐるっと腕を回した。ハグというより……。
「ハグって言うかこれから木登りする準備って感じやな」
ユヤマは僕と同じことを思ったようだ。
「変わらんだろ」
ハギワラさんはつまらなそうに言う。
「何か感じるものとかあります? 暖かい感じがする、とか」
僕の質問に、ハギワラさんは首を振った。
「いや……固いし冷たい」
「木のほうからハグしてくれないと、ハギワラさんは何も感じないのかもしれないね」
「さあな」
会長の言葉に、ハギワラさんは肩をすくめた。
「人選ミスなんじゃないのか? ユヤマにしろよ」
「えー、なんでですかあ」
「ロマンチストだしな。木の方もその方が嬉しいだろ」
ハギワラさんはあきらめたように木から腕を離し、ぽんぽんと木の幹を軽くたたいた。落ち込んだ友人の肩を叩いて励ますような仕草だった。ハギワラさんがグローブを外すマジックテープの音に交じって、遠くの方から草を踏む足音がした。一同はそちらを振り返った。
「お待たせしました」
と、リュックサックを背負ったササベが姿を現した。
「お、来た来た」
とユヤマは嬉しそうだ。
「わざわざ裏庭までありがとう」
「いいえ、僕の依頼ですから」
お礼を言う会長に応えるササベの視線がハギワラさんの持っているグローブに注がれた。察して会長が補足する。
「あのグローブみたいなのが魔法道具だよ」
「この短期間で出来上がったんですか」
「タダさんにかかれば、ちょちょいのちょいさ。とはいっても、協力者の方とリモート会議をすぐにつなげたのは運がよかったと言っていたけどね」
「僕のためにここまでしてくれて、少し申し訳ないのですが」
「どうせ休日も開発してるからって、気にしないでいいと思うよ。ささ、早く試そう」
「あはは、ありがとうございます」
会長はハギワラさんに手を差し出し、ハギワラさんはグローブを受け取った。
「モモは連れてきた? 出してくれるかな」
「はい」
ササベがリュックサックを下ろし、ジッパーを開け、リュックの奥に腕を突っ込んでケージを引っ張り出す。落ち着かない様子でケージの中を行ったり来たりするモモの小さな姿が見えた。
「大丈夫だよ、モモ」
ケージを地面におろして、ササベがそう声をかけた。ササベは落ち着いているようだ。機械の仕組みを事細かに聞いたりしないあたり、あまり『成功』を期待していないようにも見える。『本気じゃなかった』と言っていた通り、ササベは実験が失敗したとしても落ち込まないだろう。やるせなさはあっても、ただモモの傍にいることがササベにとっての幸せだという感じがする。
「ハギワラさん、グローブ貸して」
「はいよ」
ハギワラさんはグローブを会長に手渡した。ササベはケージをそっと地面に置いて、グローブを装着するために制服の袖をまくった。
「はい、付け方は分かりそう?」
「ええ、なんとなく」
会長からグローブを渡されたササベはてきぱきとグローブを自分の手に装着した。
「落ち着いてるね」
「いえ、そうでもないですよ」
会長の言葉を否定したササベだが、僕の目にもササベはいやに落ち着いているように見えた。最愛の「娘」とハグをしたい、という当たり前のような願い。しかしそれはササベとモモの間では、実現不可能なことだった。他の人にとって当たり前のことが自分では出来ないのは、やるせない。積もる思いがあったからこそ、ササベは『MEYASU』に投稿したのだ。その願いが今叶おうとしているのに、ササベは機械の仕組みにもあまり興味がない様子で、自分の願いを叶える直前というよりは、与えられた仕事を淡々とこなそうとしているようにも見えた。
ササベにとって『これ』は願いを叶えることになるのだろうか?
ササベはその時どう感じればいいのか?
モモはどう感じているのか?
僕たちにはわからない。ササベも分からないのではないか?
会長はスマホを操作している。専用のアプリを起動しているのだろう。ササベはそれをぼんやり見つめている。
「これで合ってるのか?」
唐突に言ったのはハギワラさんだ。一同の視線がハギワラさんに集中する。ハギワラさんはササベを見ていた。僕はなんとなくササベの反応を見ていた。ササベは一瞬、真顔になった……気がする。しかし次の瞬間には、愛想よく微笑み、首を傾げて、
「えっと……どういう意味ですか?」
と聞き返した。
「いや……」
聞き返されたハギワラさんは逆に戸惑っているようだった。自分が何を言ったか分からないというような。ハギワラさんらしくないような。
「私もちょっと気になったよ」
言ったのは会長だ。
「ササベさんとモモは親子だけど、ササベさんが憧れた『アイコイ』っていうドラマは、親子愛じゃなくて恋人同士の恋愛だから……ってユヤマが」
「えっ、おれに振らんでくださいよ!」
不意を突かれたのはユヤマだ。ササベがユヤマを見て、ユヤマはササベが何か言う前に言葉を紡ごうと焦って続けた。
「別にハグしたいなんて親子でも同じやから、ええと思いますけど……」
言葉を濁して視線を右上に泳がせるユヤマだったが、ふと「あ」と何か思い出してササベを見た。
「そういや、『アイコイ』の十二話見た?」
と聞く。ササベは意外にも気まずそうな表情で、
「いや……あんまり覚えてないかな」
と言う。あれ、観ているのに覚えていないのか、と僕は思った。ユヤマも、「えー」と残念そうに言う。本当にササベは「アイコイ」のファンなのだろうか。ササベがモモとハグをしたくなったきっかけは、別のところにあるような気がした。「アイコイ」なんて観てなくても、ササベの中に元々あった願望なのではないだろうか――だとしたらなぜ、「アイコイ」を観たなどという理由づけが必要だったのか――この考えは僕の推測でしかないので、疑問は口には出さないでおく。
「二人がめっちゃケンカする回やんか。付き合ってないのに、二人の家をお互いに行ったり来たりしてたけど、『私たちの関係、ハッキリさせて』とか言ってメアリが怒って、『無責任すぎるのよ』って捨て台詞吐いて家飛び出したやんか」
本当にベタなメロドラマだ。流行は循環するというが、今は逆に古っぽい脚本が流行るのだろうか。ササベは困ったように笑う。
「つまり……僕は無責任?」
「や、おれがそう思うってわけじゃないで? でもササベが『アイコイ』見てるんやったら、そのあたりどう思ってるんやろーって、思っただけ」
「僕はただ、モモとハグしたいだけ」
ササベは手にしたグローブに視線を落とす。
「おかしいですかね」
ササベのつぶやきに、いや、とハギワラさんが応える。
「誰もおかしいとは思ってない。普通のことだ」
「そうですか?」
ササベの語尾に疑問符がつく。それならばなぜ『合ってるのか』なんて聞いたのかとでも言いたげだ。ハギワラさんはその気持ちを汲み取ってか、言葉を付け足した。
「すまん、俺も最近思うことがあったんだ。つまり……誰かと俺の関係について、何か定義付けする必要があるのかってことだ。……わかるか?」
「はい、分かりますよ」
「モモとの関係について何か意見したい訳じゃない。ただ、ササベの考えが気になっただけだ。で、『ハグしたいだけ』。それが答えだろう。それ以上深追いしようとは思ってない」
「なるほど」
ササベは納得したようだ。
「まあ、とにかくやってみよう。私も早くこのマシンを動かしたい」
会長が専用アプリ画面を開いたスマートフォンを掲げて言う。
「はい、お願いします」
ササベはグローブを装着した。会長はスマートフォンを少し操作した。スマートフォンのカメラが両者のサイズや体温を測定しているのだ。
「モモを出して」
会長が言うと、ササベはしゃがんでケージの中からモモをそっと取り出した。グローブの中で、モモはきょとんとしてササベの目を見詰めている。慣れないグローブに包まれても、モモの背中のハリが逆立つことはない。それもササベが相手だからだろうか。
「カウントしたら感覚装置を起動させるよ。そしたら目を閉じてみて。その方が、『等身大のハグ』を効果的に体感できるって、タダさんが言ってた」
「分かりました」
僕はなんだか祈るような気持ちでササベとモモを見ている。会長はなんだかたのしそうだが、ハギワラさんも、そしてユヤマも真剣な表情だ。『何が』。それは分からないけれど、心配が胸の中に燻っている。ハギワラさんとユヤマも同じ気持ちだろうか。会長が、よし、と呟く。準備ができたようだ。
「それじゃいくよ、3、2,1、起動!」
会長がスマートフォンの画面をタップした。ササベは目を閉じて、モモの小さな体をグローブで包み込む。
「あっ……」
ササベが閉じていた瞼を開いた。
その時だった。モモの体はびくっと跳ねて、スルリとグローブの中から飛び出した。ササベがはっと目を開ける。モモの体がササベの手を逃れて、空中を浮遊し、草の上に落下した。
ササベはしゃがんで、慌ててモモの体を掬い上げようとする。しかしモモは驚くべき速さで、自身より背の高い草むらの中を動き回る。モモの体は見えない。ただあちこちでカサカサと草が揺れて、ササベの手は追いつかない。僕らも地面を目で追う。しかし――草は揺れなくなってしまった。僕らは静まり返った草むらに目を落として言葉を失った。
「モモが……」
草むらに膝をついたササベが深いため息を吐く。空っぽのケージの扉が風に吹かれ、甲高い音を立てて少し開いた。