パーフェクト・スノー・ホワイト -11
劇が終わった後、僕はほとんど飛び出すようにしてホールを出た。一人、建物の周囲をぐるっと半周して裏口に向かった。今すぐクシロと話をしたかった。そしてクシロは一人で居るような気がしたのだ。僕の予感は当たっていた。
ホールの裏口のすぐ側で、クシロは白雪姫の衣装のまま、片手にペットボトル持って佇んでいた。人の気配を感じ取ったクシロは何気なく水を飲んでから、僕の方を見た。
「あ、ミナミ」
クシロにしては平坦な呼びかけだった。クシロに自覚はないと思うけど、声を弾ませて、ニコニコと僕に笑いかける余裕がないのだと思った。
「クシロ、お疲れ様」
「うん……ありがとう」
クシロは曖昧に答えて、ペットボトルの蓋を閉めた。そして何か言いたげな表情のあと、少し迷って、
「危ないとこだった……あはは」
と作り笑いをした。
クシロはシラユキが泣きかけたことを気にしているらしかった。僕はそうは思わないが、自分がシラユキを泣かせるところだったと感じているようだ。
クシロは舞台の上で何を考えていただろう。劇をうまくやることはもちろん考えただろう。シラユキと話している時は頭をフル回転させて、シラユキの気持ちを汲み取ろうとしただろう。演じる自分と記憶の中の母を比べる瞬間もあったかもしれない。僕がこれまで読んできた小説から推測するに、幼いころに大事な人を失った人は、その人に「成長した自分見てほしかった」と思うものらしい。クシロが観客から拍手をもらった時は、母に劇を見てほしかったと思ったかもしれない。
すべて僕の推測だ。でも、クシロがたくさんのことを考えていることは間違いない。人当たりの良いクシロを保つ余裕がなくなったから、こうして一人で居るのだと思う。でも僕が思うに、頭がパンクしそうなときは一人でいると、思考のループに嵌って抜け出せなくなる。それが心配だった。
一方、クシロに作り笑いを向けられた僕の頭もそれなりに動いていた。ホールを飛び出して来たくせに、何を言うか考えていなかったのだ。素晴らしい劇だったよ、僕にとっては君が一番の白雪姫だ、お母さんもきっと喜んでるよ。どこかで見たような陳腐な台詞がいくつも浮かんでは消えた。実際、劇は中断していたし、僕にとってはクシロはクシロだし、クシロの母がどう思うかはクシロ自身がよく分かることだ。
僕は考えるのをあきらめて、頭に浮かんだことを言った。
「まあ、とりあえず皆で何か食べにいかない?」
なにが『まあ、とりあえず』なのだろうか。我ながら頼りない台詞だ。丁度昼すぎだったので、僕はお腹が空いていた。彼女の気持ちを汲み取れてもいない、ただ自分の口から自分の考えがぽっと出ただけなのだが、結果的にクシロの求めていた言葉かもしれなかった。クシロのお腹が、ぐぐーっとくぐもった音を出したのだ。
「あっ! ごめんね」
クシロはぱっと自分のお腹に手を当てた。
「ううん。僕もお腹空いててさ、幼稚園の前にレストランあるでしょ。そこで食べよう」
「うん、ありがとう」
クシロは頷いた。そして付け足す。
「えっと、ご飯のお誘いのことだけじゃなくて……ここ、来てくれてありがとう」
クシロの率直なお礼に、僕は少し困ってしまった。
「あ、うん、こちらこそありがとう」
親切心で動いた訳ではなく、ただクシロの様子が気になって来ただけなので『どういたしまして』と言うのも躊躇われてしまった。なんとなく、二人とも沈黙してしまう。すると、クシロがふふっと笑った。
「ミナミって、ちょっとすごいね」
突然、そんなことを言う。
「うん? なんで?」
僕は不意を突かれた。褒められたときは素直に受け入れるのがセオリーだが、とっさに疑問形が口を突いて出た。
「だって、私はずっと自分が本当に何になりたいのか、ずっと分かってなかった。でも、ミナミと話して、私お母さんみたいになりたいんだって分かった」
「それは……たまたま話の流れで、クシロが自分で気づいたんだと思うけど」
謙遜でなく、僕はそう思っている。僕は確かに、クシロが白雪姫に憧れる理由を探ろうと思ってクシロに対話を仕掛けた。けれどそこで自分の本当の『憧れ』に気づけたのはクシロ自身が勇気を出して過去を振り返ったからだ。しかし、クシロは首を振った。
「でも、ミナミにはなりたいものが、ちゃんとあって、それを自分で分かってるでしょ?」
「そうかな」
「作家さんになりたいんだよね」
これにはぎょっとした。
「どうして知ってるの?」
「昨日の学校新聞に載ってたよ。知らないの?」
言われた途端、僕の頭に目をキラキラさせたヒラノの顔が思い浮かんだ。別に隠しているようなことでもないが、そうおおっぴらにされると恥ずかしい。ヒラノにとっては、あの話も含めて取材だったのかもしれない。
「知らなかった……新聞ってどこで読めるの?」
「食堂の掲示板に張ってあるよ。校内SNSの掲示板にも上がってる」
「そっか、また見ておくよ」
「良い写真だったから、安心して」
クシロの言葉に、僕は苦笑いした。それにしても、まだ実現したわけでもないのに、自分の将来像があることは、記事にするようなことなのだろうか。ヒラノにもクシロにも褒められたから、悪い気はしていないが、少し照れくさい。
「それじゃあ、着替えてくるね」
クシロは白雪姫の衣装のままだった。
「うん、レストランの前で集合しよう」
僕は小さく手を振った。クシロも同じ仕草で応えて、また裏口からホールへ入っていったのだった。
僕たちは幼稚園のそばのファミリーレストランで昼食を取った。子育てに勤しむ人々が少しでも落ち着くにはぴったりの、地中海の雰囲気漂うレストランだ。タイル貼りの白い床、水色と白のストライプを基調としたソファやテーブルクロス。そして軽快なバイオリンの音楽。壁紙のレンガや大理石はプリントだが、レストランは島の端に位置しているから、大きな窓の外には、本物の海が広がっている。実際のところ、店内は落ち着いているというよりは賑やかだった。子どもたちはスプーンやフォークを打楽器のように鳴らし、楽しそうにケラケラ笑い、その近くで親たちが話に花を咲かせている。そして食べ盛りの僕たちは、好きなピザやパスタを何種類も頼んでドリンクバーと一緒に楽しんだ。
「クシロ、会長が泣いてるの見た?」
「えーちょっと、恥ずかしいから言わないでよ」
「ばっちり、見えてましたよ」
「舞台からは立ってる客の顔がよく見えるからなあ」
「じゃあ会長、演劇部全員に泣き顔晒したってことやんか」
「でも劇で泣いてくださるなんて嬉しかったですよ」
「そうそう、私は演劇部の皆に喜んでほしくて号泣したんだ、わざとね」
「そりゃ名演技だな。俺のハンカチもぐしょ濡れになった甲斐があったよ」
もー会長、と言いながら僕は笑った。僕たちは料理を食べ終えても、ドリンクバーをおかわりし続けて、二時間ほどだらだらと談笑を続けた。店を出るころには、窓の外で日が傾き始め、オレンジ色の光を海に降り注いでいた。この日は僕が転入して、最初の思い出になったのだった。




