アラフォーが年下ワンコにご所望されてます
「僕、お付き合いしたことがない年が年齢と同じです」
会社の飲み会中、入社して1年目の和久流星が、恥ずかしそうに言う。
部署の者達は驚きの声を上げる。
「今時、珍しいことじゃないんでしょう?」
ちさ子はビールジョッキの中身を飲み干した。
エンジニアの和久はいかにもだ。彼は色白で華奢で、分厚いレンズの眼鏡をかける。勉強とゲームとSNSで青春を終えたタイプだ。
こういうのが増えたから、38歳まで自分が売れ残るのだと、ちさ子は悪態を吐きたくなる。
「そうだな。珍しいことじゃないな」とチーフマネージャー。
「彼女が欲しいんです。でも、緊張して女の人と上手く話せないから、練習するのにレンタル彼女を頼もうと考えているんです」
和久は姿勢を正すと、お替りを頼もうとしてメニューを眺める、ちさ子の方に体を向けた。
「大場さん、僕の彼女になってもらえませんか?」
「どうして私が?」
ちさ子は目を剥いた。ひっくと、しゃっくりをする。
一斉に悲鳴が上がる。
「トラウマになっちゃうよ」
「緊張しないですむだろうが、母親に頼んだ方がまだましだぞ」
皆が止めるのを、和久は退ける。
「料金をお支払いしますから」
「乗った! デート代も全額、和久君持ちだからね」
「もちろんです。お願いします」
面倒くさいが、金のためなら仕方がない。ちさ子にとって和久は弟どころか、(産んだことないが)息子にしか見えない。けれども、久しくデートをしていないし、仮にも男なのだから、ホルモン活性に効果があるかもしれない。
その晩にも、ちさ子の携帯に和久からメールがきた。服を選んで欲しいとのこと。
やりとりをして日にちを決める。
ちさ子は寿司を奢らせようとたくらむ。
ちさ子はデート場所にショッピングモールのある港町を指定して、『デートまでに眼鏡をコンタクトにして、美容院に行くように』とメールを送った。
◇ ◇ ◇
ちさ子は改札口の前で、和久を待っていた。
ちさ子の目の前にすらりと背の高い青年が立った。
青年は黒髪を真ん中分けでセットしている。上品な鼻筋、くっきりとした二重の目。形のいい、やや赤い唇。正統派のイケメンだ。
ちさ子が避けようとすると、「大場さん」と、聞き慣れた和久の気弱な声がする。
「あんた、和久君?」
「はい。僕です」
「身長が高かったんだね」と、ちさ子が驚くと「180センチあります」
彼は背筋を伸ばして、ちさ子の頭のてっぺんを見下ろした。
ちさ子と和久はショッピングモールに向かって歩き出す。
「髪型、変ですか?」
「かっこいいよ」
「ありがとうございます」
和久は足を止めて、口を手で覆って、照れた顔を隠す。
伝染して、ちさ子も照れる。きれいな顔面のせいで、ちさ子の調子が狂う。
「和久君、可愛いね」
若いときは異性を気軽に褒められなかったが、この歳になるとちさ子はむしろ軽口を叩きたい。親戚のおばさんはこんな気持ちだったのだろう。おばさんはちさ子の美形の弟によく可愛いと言っていた。
和久は更に顔を赤らめる。
「どう呼んだらいいですか? 今日1日、僕の彼女ですよね?」
そうだったと、ちさ子はレンタル彼女という役目を思い出す。
「好きに呼んでいいよ」
「ちさこにします」
やめてよ、と言おうとして、好きにしていいと言った手前、ちさ子は黙る。
呼び捨てが思いの外、ちさ子の心に響いた。
「ちさこは僕のこと、年下だと思って全く相手にしてくれていないから、呼び方だけでも年上ぶります。僕のことも、りゅうせいでお願いします」
「善処します」
「レンタル彼女って、どこまでしてくれるんですか?」
考えていなかった。
和久の裸に、抱かれるの?
肌が綺麗でみずみずしい。余計な贅肉がない。モデル級のスタイル。美しい顔面。
ちさ子は想像して、慌てふためく。
待って、今日の下着は3年選手だ。服を脱げない。
ベッドまでのわけがないと、ちさ子は我に返る。
ちさ子の唇に、和久の視線が留まる。ぽってりとした彼の唇が薄く開く。彼の目が欲しそうに潤む。
え、私とキスしたいの?
自分が、若くて圧倒的な男の魅力を放つ彼に、性の対象として狙われているの?
キスはいくらなんでも、会社の後輩相手にできない。
ちさ子はどぎまぎする。
「手、繋いでもいいですか?」
和久は掌を見せる。ちさ子の顔より大きい、綺麗な指の長い手。
手ならと、ちさ子はほっとして手を差し出す。
「どうぞ」
和久はちさ子の手を手で覆い包むと、指と指を絡ませる。
恋人繋ぎとは意外に大胆だなと、ちさ子は思う。
ごつごつとした、ちゃんと男の手だ。
「女の人の手の感触って、こんな感じなんですね」
和久がちさ子の手をにぎにぎする。
そんな風に初めてに感激したのは遠い昔だと、ちさ子は思いを馳せる。
自分の手で感心する、きらきらな顔の若い男というのが、ちさ子は違和感を覚えずにいられない。
男女の服が売られている店舗に入る。
和久はちさ子の荷物を持つ。
ちさ子が服を見繕う。素直に、和久は手に取って、服を体に当ててみせる。ちさ子が服を選ぶのに邪魔にならない立ち位置に彼は常にいる。
ちさ子と和久は試着室を待つ列に付く。
「自分が並ぶので、好きな服を見ていてください」と和久は言う。
気が利くなと、ちさ子は思う。仕事でも、彼はそうか。
女子高生2人組の囁き声が、聞こえる。
「服をお母さんに選んでもらっているよ」
「どう見ても、お母さんと息子に見えるよね」
ちさ子はそう言って、自虐で笑う。
和久が服を持っていない腕で、ちさ子の頭を包み込んで、撫でた。
ちさ子の耳元で、和久が囁く。
「ちさ子も服を選んで。お礼に買ってあげる」
トーンを低めたイケボだ。
ちさ子の心臓が反応する。
和久がマネキンの着るワンピースを指差した。
「あんなの似合いそう。着てみてよ」
アイドルが着そうな花柄のふんわりとしたデザインだ。若過ぎる。
ちさ子は断る。
ちさ子は試着室に入る和久を見送った。
ああいうのが似合う女の子が好きなのか。あんなのが似合ったのは何年前だろう。
若返らせた自分にマネキンのワンピースを着させて、和久と並ぶ姿をちさ子は空想する。
遅く産まれていたら彼と付き合えたのかな。
ちさ子はきゅっと胸の痛みを感じる。
試着室のカーテンが開いた。
オーバーサイズのシャツとパンツのセットアップが和久によく似合う。
メンズ雑誌から抜け出たモデルのようだ。
「かっこいいですか?」
かっこいいと言おうとして、ちさ子は言葉を詰まらせる。親戚のおばさんメンタルはどこにいったのか。ちさ子は照れを誤魔化して俯く。
和久は着ていた服を袋に入れてもらい、買った服で店を出た。
通りすがる若い女達の和久に向けるハート型の眼差しとちさ子にぶつける嫉妬の眼光が、ちさ子は痛い。
和久の放つオーラがまぶしくて、彼の方を向けない。
ショッピングモールのレストランフロアに上がる。
2人は回転寿司屋に入った。カウンター席に横並んで座る。
和久は汗を、ハンドタオルで拭きながら食べる。
「醤油をかけないの?」
「忘れていました」
「握り寿司に醤油をかけ忘れるか?」
和久は醤油差しを取って、掛け過ぎる。
「かけ過ぎだよ」
ちさ子は湯呑みに緑茶を入れて渡す。
和久はむせる。
「もっとゆっくり食べなよ」
「緊張しているんです。ちさ子が綺麗だから」
隣に座るカップルが同時に顔を向ける。
ちさ子は綺麗と言われたことよりカップルの視線が気まずくて赤面する。手で和久の口を押さえたくなる。
「流星にとって、私ってどう見えているの?」
和久は、人気女子アナウンサーの名前を挙げて似ていると言った。
「コンタクトしているよね?」
ちさ子は彼の目の中をのぞき込む。和久はちさ子の目を見られないようだ、ちさ子の視線から彼の黒目が逃げ惑う。
もしかして、和久流星は私にガチ恋している?
まさかね。
「流星は年上好きなの?」
和久は、彼の目にちさ子がそう見えている女子アナウンサーの名前を言って、彼女がタイプだと言った。
「うまいね」ちさ子は、ははっと笑う。
「ちさ子はどういう人がタイプなんですか?」
「私のタイプを聞いてどうするのよ?」
「この流れで聞けると思ったのに」と、和久は残念そうに呟いた。
「夢だったんだ」
和久は売店で、1つのソフトクリームを買う。
「あーん」と、和久はソフトをすくったスプーンをちさ子の口に運ぶ。
年甲斐もない。断ろうとして、ちさ子はレンタル彼女であることを思い出す。
ちさ子は赤面しながら目をつむって、口を開けた。
和久は歩くペースをちさ子に合わせてくれる。車道側を歩く。ちさ子が人や障害物に当たらないように誘導する。守られている感じがちさ子は常にする。
「気のせいかな? 女の扱いに慣れてない?」
「ユーチューブを見て勉強したんです。ちさ子に少しでもときめいてもらいたいと思って」
駅まで、2人は手を繋いで歩く。
駅前で、和久が携帯を操作する。
ちさ子のスマホに今日のお代である電子マネーを送金しているようだ。
「また、お願いします。お疲れ様です」と、和久は爽やかに去って行く。
ジェネレーションギャップ……
ちさ子は若者の背中を見送って、そう呟いた。
◇ ◇ ◇
部屋に帰り着き、ちさ子は風呂につかった。
疲れた。
風呂を出ると和久から、メールが届いていた。
ちさ子は長文メールを読む。
不甲斐ない自分に腹が立った。リベンジしたい。
要約すると、そんな内容。
『自信を持つように。次は好きな子とデートしな』と、ちさ子は返信する。
好きな相手にダメ出しされて凹んだ。このままではトラウマになる。彼女が一生できないかもしれない。
すぐに、彼からそのような返信があった。
どうやら、彼を傷付けたらしい。
ちさ子ははるか昔の初デートの緊張を思い出す。相手に嫌われたくなくて、始終、心臓がばくばくいっていた。料理の味もしなかった。
寿司に醤油をかけ忘れるか? かけすぎだよ。ゆっくり食べなよ。
どれも、言葉がきつかったか。
なんて思うか!
ちさ子は今のドラマのトレンドが気に入らないと常々思っていた。コミュ障の内気な男が可愛い子に尽くされて、迫られるなんてことがあるわけない。
流星はデートのエスコートが上手かった。
彼は会話の端々に、相手にされていないから年上ぶるとか、ときめいてもらいたいだとか、綺麗だから緊張するだとか、女をどきりとさせる台詞をちりばめた。そうかと思えば、顔を赤くさせて照れてみせた。
そのギャップに、ちさ子はとろけそうになった。
メールの『好きな相手』という文を、ちさ子は見つめる。
妙に意識してしまう。
どうも怪しい。何かの罰ゲーム?
年上女をたぶらかして、会社で笑いものにする気じゃないのかしら?
『流星と同じ歳の可愛い子を紹介するよ』と、ちさ子はメールする。
『緊張するから嫌だ。デートがだめなら用事に付き合わせてもらうだけでいいですから、お願いします』
食い下がる和久に、ちさ子は『デートの報告を聞いて、アドバイスするよ』と送った。
どんな返信が来るか。
無邪気に喜ばれたらちょっと嫌だな。
そわそわしながら、ちさ子は返信を待つ。
『僕が他の人とデートしてもいいんですか?』
ちさ子は胸を突かれる心地がした。
『応援しているよ』
ちさ子はそう文字を打って送信した。
◇ ◇ ◇
ちさ子は前の職場の後輩を、和久に引き会わせた。
和久はちさ子が見立てたデート服を着ている。
2人は、お似合いだ。
ちさ子の胸がずきんと痛む。
ちさ子は2人を見送った。
ちさ子は帽子を被って、サングラスをかけて、和久達の後を追った。ちさ子はデートの行方が気になって仕方がなかった。
和久達がカフェに入る。
ちさ子も時間をあけてカフェに入り、彼らから遠い席に座る。
和久はちさ子の後輩をテーブルの奥に座らせて、メニューを差し向ける。和久は落ち着いた様子で、彼女の話に相槌を打っている。
エスコートがやっぱり、上手い。
あれでは、後輩が好きになってしまう。
和久が照れることもなく、笑うこともないのが、ちさ子にとって救いだった。
和久から、ちさ子の携帯にメールが届く。
『つまらない』
ちさ子はほっとする。
和久達はカフェを出る。少し歩いて、彼らは観覧車の列に並んだ。
2人は観覧車に乗り込む。その際、ちさ子の後輩が和久の腕に、手を掛けた。片側のシートに、2人は隣り合って座る。
ちさ子は柱の陰から、彼らの姿を見ていた。ちさ子の胸が切なく痛む。
上空から見下ろす夜景はさぞや綺麗だろう。
後輩の子が和久の肩にしなだれかかる姿を、ちさ子は想像する。
てっぺんで、2人はキスをするのだろうか。
『やめてよ』
ちさ子は和久の携帯に送信した。
ちさ子は観覧車乗り場を立ち去った。
手を繋いだ彼らがゴンドラから降りてくる姿を、見ることができない。
これ以上、流星の近くにいてはいけない。
彼のからかいを真に受けてしまうから。
人気のない雑木林をちさ子は行く。海辺で心を落ち着かそう。
足音が付いてくるのに、ちさ子は気付く。
ちさ子が足を速めると、足音の間隔も早くなる。
振り返ると、黒い人影が見えた。男のものだ。
ちさ子は駆けた。
怖い。ちさ子は悲鳴を上げてしゃがみこむ。
そばで男と別の男が揉み合っている。
男が逃げて行く。
「大丈夫ですか?」流星だった。
ちさ子はしゃがんだ和久に頭を撫でられる。
「大したことないわ」
声が震える。
ちさ子は足腰に力が入らない。気力で立ち上がる。
「女として見られたってことは、喜ぶことよね」
「女でしかないですよ。ちさ子は魅力的な女でしかないですよ。馬鹿なことを言わないでください。やめてよっていうメールを見て、ちさ子が近くにいるのかもって思って、探してよかった」
和久の腕に、ちさ子は抱きすくめられる。
和久が切ない溜め息を吐く。よかった…… 本当に。
和久は顎をちさ子の頭にこすりつける。彼の抱く腕の力が強くて、ちさ子は息苦しい。
「自信ないのはちさ子だったりしませんか?」
「待ってよ」ちさ子は和久を押しやる。
「私の歳、知っているの?」
「年齢なんて関係ない。一目惚れだったんです。毒舌で面白くて、裏表がなくて、なんだかんだいって面倒見が良い。性格も知って好きなって。気持ちが抑えられなくなって。普通にデートに誘っても、ばっさり断られるだろうから、頭を使ったんです」
金で釣って、動画で学んだ知識をちさ子に繰り出して恋に落とすのが、計画通りだったというのか。
和久に肩を抱かれて、ちさ子はベンチに移動する。
2人はベンチに座る。
和久は自販機で茶を買い、蓋を開けて、ちさ子に飲ます。
「ちさ子の歳を知ったとき、将来、僕が介護できるなと思って嬉しかったんです。デートして、ちさ子は意外に純粋だなって思いました」
「ちょろいなってこと?」
「こう見えて、空手の大会で優勝したことがあるんですよ、僕」
スポーツは賢くないと勝てないのだと、和久はにっこりと笑う。
「僕の初めて、全部、もらってください」
返事は、私の最期を看取ってくださいが、正解だろうか。
ちさ子は頭を傾けていき、和久の肩にもたれた。
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