ジグザグ3
今日の夜はなんだか蒸し暑い。五月の陽気は行ったり来たり。まるで今のあたしみたいだ。
止まり木探して羽ばたいてる。土曜の夜の八時半。幾つかの視線に追い掛けられる繁華街。ケイコの働く店は一つ裏手の雑居ビルの中にある。
オーセンティックて言うみたい。オースティンパワーズなら観たことがある。兎に角、お酒が飲めれば良いのだ。今なら居酒屋独りデビューもいけそうな感じ。まあ、そんなことには成らないだろうけど。
店内の見えない覗き窓が付いた飾り気のない重々しい鉄扉。取手を握って慎重に開く。途端に耳を騒がすジャズと歓談の声。声だけが一瞬途切れて、皆があたしを振り返る。直ぐにまた会話が始まる。あたしはスルリと店内に滑り込み、入り口に近いカウンター席に腰を下ろした。
「ヘイ、バーテンダー」
なんて気取って言ってみる。もちろん、とっても恥ずかしいから囁くような声になる。それでもケイコは気付いてカウンター越しに眉根を寄せながら嗤いかける。
「あんたね、今時そんな呼び方する客いないよ」
隣のオジサンが笑う。あたしは精一杯、顔が火照るのに気付かない振りをする。だってホラ、ハリウッド映画とかでよく見るじゃない、そんなシーン。
「なに飲むの」
「うんと甘いヤツ。お任せで」
「強くていいよね?」ケイコは言った。分かってるじゃん。酔いたいんだから。
ケイコはシェイカーによくわからないお酒と名前を忘れたリキュールと、あれやこれやを注いで氷を投げ入れた。あたしのためにシャカシャカをする。シャカシャカと言うよりはコンコンとかカンカンとかかな、実際は。高い音出してるのはシェイカーの上手い証拠なんだって。以前話してくれた。
ケイコのシャカシャカは前に見た時よりずっと様になってた。逆三角形の可愛いグラスに注がれる赤ぁいカクテル。ほんのり浮いた氷の膜。隣のオジサンの視線。黙ってグラスに口付ける。ケイコがオジサンに話し掛ける。オジサンの視線が外れた。もう一口。今度は誰にも気がねしないで。
「美味しい」
ケイコが微笑った。