番外編:花と巡り合う魔法使いの話 04
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やはりというべきか案の定というべきか。
頬に衝撃を受けてマーリンが目を覚ますと、そこには二つの大きな影があった。
1人は、金糸の髪を月夜に輝かせたひどく目付の悪い上等な服を着た男。もう1人は酷く猫背の何の特徴もない男だった。上等な服の男は猫背の男の一歩後ろに立っている。マーリンの頬をはたいたのは、この猫背の男だろう。
マーリンは目の前の2人が一体どういう立場の人間かを瞬時に理解した。ヴィヴィアンはお返しは愛しかいらないとは言ったが、ヴィヴィアンが助ける様に伝えた人物――彼女の親はそうは思っていなかったということである。
「カラムの民の生き残りか――それも随分な魔法使いのようだな」
「何でそう思う」
目つきのひどく悪い男はマーリンを見下ろしながら淡々とした表情でぼそりと呟いた。やはり、この男は魔法使いについて知っている。マーリンは思わずシーツを握る手に力を込める。
「お前のような鮮やかな髪と目をもった幼子が、誰にも囲われてないからさ」
猫背の男が、主人の代わりに答えた。主人の側に侍る従者としては、些か言葉遣いがよろしくないことに、マーリンは眉をひそめた。
それに、男は猫背で、面構えもお世辞にも良いと言えない人物だった。貴族というのは体面や体裁といった見てくれをひどく気にする人種だ。フットマンなんていう見た目がいい男しか就けない職があるほどだ。彼らの外見主義は筋金入りだろう。
となると、こいつは表に出てこない仕事をする奴か。
貴族など叩けばホコリどころか汚泥が出てくるような奴らばかりだ。この領地はディンダル王国で一番栄えてはいるが、それは日向と、彼らのような影の存在どちらの尽力もあってなのだろう。
「小僧。お前はこの方に恩義があると思わないか」
「思わないね。 俺を助けたのは信心深い少女だ」
「ハッ、お嬢様だけではなにもできないさ」
「でもそのお嬢様が見つけなきゃ俺は死んでた。 恩義を感じるのはあの子だけだね」
「お前っ」
「――よい」
眉を吊り上げた猫背の男が拳を振り上げたが、それを貴族の男が静かに制止した。猫背の男は少しだけ悔しそうな顔をしながら、手を引っ込める。
「確かに、貴様の恩義は我が娘にある。しかし、受けたものは返さねばならない。そうだろう?」
貴族の男が言う受けたものは恩義などという精神的なものでなく、もっと俗物的なものだ。治療費、世話をした手間賃、部屋やベッドなどの貸与費などのことだろう。
マーリンはそれについては口を噤む。沈黙は肯定だ。マーリンの様子に、貴族の男は少しだけ口角を上げた。元々悪人面のそれが、もっと悪くなる。
「やはり貴様は幼子にしては頭が良い。気味が悪い程だ」
「はあ」
「だからこそ、やはり私はお前を取り込まねばなるまい」
わが領土の影になれ。という言外の命令にマーリンは口を一文字に結んだ。
そしてサイドテーブルにあった花瓶を掴んで思い切り床にたたきつけて割り、突然の行動に驚く二人の視界を魔法で入れ替える。何が起こったのかと事態に混乱している隙に、落ちた花瓶の欠片を握りしめて貴族の男に思いきり体をぶつける。
混ざった視界に酔った男は容易に倒れ込む。倒れ込んだ男に裸絞をする様に首を拘束すると、脈打つ首筋に花瓶の欠片をピタリと当てた。
裸絞で意識を落とすには、マーリンの腕力も技量も足らない。しかし首筋に当てた花瓶の欠片を勢いよく引けば、幼い子供の力でも、この頸動脈を切れる。
首の切り方は、浮浪児として生きた2年間で、兎や野鳥などの狩りの血抜きででいやという程経験していた。
「ぐぅっ……!」
「旦那様っ!」
「お前は動くなよ。お前が動くよりも早くこの雇い主が死ぬ」
「この糞ガキッ!」
「何とでも。 さあ、お貴族様。これで辛うじて対等だな。 誤解しないでほしいが、別に影に入ることが嫌なんじゃない。むしろ歓迎だ。 ただ、無条件で入るのはごめんってだけだ」
影という組織がどういうものかわかっていないが、たかが子どもの戯言に利があるとはいえ浮浪児をここまで回復させてやってもいいぐらいには公爵家に経済的余裕があり、また領地も城下町が栄えていた様子から過剰な重税による徴収はされていないように感じる。
正常な統治経営に、財力のある領主。そんな領地ティンダル王国の中でもあとどれだけあるのだろうか。
元々、浮浪児になったのはどこに身を寄せれば不当に搾取されないかを考えるための時間だった。今まで見てきた領地で一番良いこの領地に腰を据えるのは良い案だとマーリンは考えている。しかもあちらから提示されているのだから、受けない手はない。
マーリンが自分を殺すことはないと感じたのだろう。貴族の男は手を上げて猫背の男を制止した。怒りに戦慄く猫背の男は一度理解できないという顔をしたが、よく躾けられているのか、腰に差した武器から手を離した。
いつでも殺せるぞという殺気立った目はマーリンに向けたままだが。
「条件は」
「俺はこの家でも、アンタにもつかない。 あの少女――お前の娘の直属にしろ」
「ヴィヴィアンは公爵家の駒だ。それでもか」
「ああ。どうせつくなら、自分がつきたい人間につく。あいつのためになるなら、公爵家やお前のために動いてやらない事もない――俺の力は身を持って知っているだろう」
魔法適性のない人間への魔法。視界の取り換え。魔法使いを知っていれば知っているほど、この力の異常さが解る。マーリンの言葉に、貴族の男も猫背の男も息を飲んだ。
「娘の専属の影は既に決定済みだ。それを覆したいなら――1年だ。1年やるから結果を見せてみろ。あれより娘を守れるなら、お前を専属にしてやる」
「それでいい」
「無理だった場合は公爵家についてもらう」
「わかった――謀った場合は、隣の王領に行ってやる」
「……つくづく貴様は子供らしくないな」
マーリンの言いたいことが分かったのだろう、貴族の男は一度目を見張った後苦虫をかみつぶしたような顔で、忌々しそうに言葉を吐いた。
マーリンは貴族の男から手を離した。すると、即座にマーリンの視界がぶれる。
殴り飛ばされた。
マーリンがそれを把握するときには既に壁に体を打ち据えた後だった。
「ぐ、ぅ」
「魔法がなければ貴様なぞオレでも殴り飛ばせるくらいだと自覚しろ、この糞ガキ」
武器に手をかけないのは主が了承したことをちゃんと理解しているからだろう。それでも殴らずにはいられなかったのだろう。それは忠義なのか自身のプライドのためか、マーリンには興味がない。
「丁度良い、教育はお前に任せよう。くれぐれも殺さぬように」
「……はっ」
貴族の男――クロムウェル公爵はそれだけ言うと、踵を返して早々に小さな部屋から出て行った。猫背の男はその後を追わず、出て行ったドアに向かって敬礼をして見送っていた。
つまり殺さなければ何してもいいということかよ。
選択間違えたかな、とため息を吐いたマーリンを、猫背の男が足で小突いた。
「立て。お前の居場所はここじゃない」
お前が吹っ飛ばしたんだろ、という言葉を何とか嚥下してマーリンは言われた通り立ち上がった。そんな彼を一瞥した後猫背の男は音もなく部屋から出て行ってしまう。
マーリンは慌ててその後ろを歩く。
先ほどまで怒っていた割にちゃんと先導する辺り、この猫背の男は切り替えが早いのかもしれない。
「おい、お前」
「なに」
「何故、そこまでお嬢様に肩入れする――惚れでもしたか」
「だったら、良かったんだけどな」
「は?」
「残念なことにたまたまなんだよ」
たまたまクロムウェル公爵領内で体調を崩した。
たまたま体調不良が悪化して死にかけた。
たまたま死にかけたところに少女が通りかかった。
たまたま助けた少女が領主の娘だった。
そして、たまたまマーリンは魔法使いで浮浪児で、自分の雇い先を探していた。
すべてが偶然で、全てが本当にたまたま一致しただけなのだ。
「しいて言うなら、愛を返さないといけないらしいんだけど、俺はその愛がまだわかんないから、返す為に眼の見える範囲に居ようと思ったから、かな」
「ますます意味が解らん。やはりガキらしくないガキだ。気持ち悪い」
猫背の男はそれだけ言うと、それきり話しかけてくることはなかった。




