シュザベルの小さな嫉妬
本編終了後の魔法族の集落にて。
「にーたん、あしょんで!」
最近、言葉を操るのが楽しくなってきたらしい妹がシュザベル・ウィンディガムの袖を引く。
シュザベルはそれを優しく解きながら、「用事が済んだら時間を作ります」と真面目に答える。
妹は不満そうだったが、シュザベルそっくりのくせ毛の頭を撫でて母親に託す。
母親は少しだけ眉を下げて、心配そうにシュザベルを見た。
「……炎魔法族のあの子に会いに行くの?」
またこの話題だ、とシュザベルは小さく息を吐いた。
今日の予定は新しく小さな子たちに勉強を教えることになった恋人のティユ・ファイニーズの様子を見に行くというものだ。ティユ直々に「見に来てほしい」と頼まれた。
大精霊祭以降、ゆっくりとだが、魔法族の意識は変わり始めている。炎魔法族のティユと交際する風魔法族のシュザベルを温かく見守ってくれている人は少なくない。他にも他魔法族間での交際を始めた者たちが何組かいるからだろう。
それでも、やはり反発はないわけではない。
現にシュザベルの母親はどちらかと言えば「心配派」だ。まるっきり強く反対するわけではないが、やはり息子が前例のないことをするのは心配らしい。
シュザベルは出来るだけ愛想よく笑って母親を見た。
「彼女は悪い人ではありませんよ」
「それは……わかってるわ。炎精霊神官さまのお姉さんだもの、しっかりしているし、なんだったらわたしが若かったら仲良くなりたいくらいだもの! ……そうじゃなくて、他魔法族との交際なんて……」
「……」
「……変なこと言ったり、なにかしてくる人がいないか心配なの」
母親が心配するのも十分理解している。シュザベルはそれを察せるくらいには頭がいい。
でも、流石にこの件だけは退くつもりはなかった。
「大丈夫ですよ。……二人で切り開くと、決めましたから」
「……」
ふぅ、と母親は妹を腕の中であやしながら息を吐いた。
「……なにかあったら、遠慮なく言うのよ。パパにでもいいから」
「はい」
強く反対しているわけではないとわかるから、無下にはしたくない。シュザベルはしっかりと頷いた。
妹が再びぐずり始めそうになったのを見て、慌てて家を出る。
背後で泣き声が聞こえた気がしたので少々心が痛んだ。
速足に家を離れて集落の中心に立つ講堂に向かう。
「それじゃあ、少し外に出て実践してみましょうか」
講堂の中にある多目的室に近付くと、そんな声が聞こえた。ティユの声だ。
それに続いて子どもたちの高い声が「はぁい」と元気よく続く。
シュザベルが顔を覗かせると、それに気付いたティユがぱっと顔を輝かせた。
「シュザベル、来てくれたのね。ありがとう」
頬を薄紅に染める様子はいつもの大人びた様子より少しだけ年相応に見える。
「特になにも出来ませんが」
「今から少し外に出ようと思っていたの。目が増えるのはありがたいわ」
子どもたちを見れば、そわそわと椅子を立ち上がり、ティユのそばに寄ってくる。水魔法族の女の子がティユの腕に絡みつきながらじぃっとシュザベルの顔を見上げた。年齢は四歳くらいだろうか。
「おにいちゃん、ティユおねえちゃんのコイビト?」
「こっ」
「ちょ、いきなりなにを言い出すの、アルセ!」
少女の名前はアルセというらしい。真っ赤になったティユと視線を交わして、シュザベルは言葉に詰まった。
いや、確かに恋人ではある。正式に、お互いのちゃんとした気持ちを交わしたし、周囲にも公表した(というか公開告白されたようなものか)。
ただ改めて他人からそう言われると照れ臭いものがあった。
「わ、わわ、わたしたちは……」
こほん、とシュザベルは小さく咳払いをする。ティユは耳まで真っ赤だ。
「こ、恋人……ですよ。ティユと私は、恋人同士です」
ひぇ、とティユが消え入りそうな声で呟いた。
わぁ、とアルセはにこにこと笑う。
「よかったねぇ、ティユおねえちゃん」
「……そ、そうね」
うふふと笑うアルセはおませさんのようだ。ティユの腕をぎゅうと抱きしめるように握って甘えている様子も可愛らしい。
後ろで聞いていた他の子どもたちも二人を囃すように口笛を吹いたりしている。
「も、もう……さぁ、外に出て。授業の続きよ!」
「ティユせんせぇ、真っ赤!」
「おねえちゃん照れてるー」
ケラケラと笑う子どもたちを急かすようにティユは講堂を出た。最後の子の後ろについて、シュザベルも外に出る。
パンパンと手を叩いたティユはもう照れる少女の顔ではなく、年下の子どもの面倒を見るお姉さんの顔をしていた。
「さ。さっき教えた通りに魔力を練ってみて。掌大のボールを作るみたいにね。それが出来たらもう一つ同じものを並べて作ってみる。混ざらないようにね。出来るかしら?」
おや、とシュザベルは首を傾げた。
彼女が教えることになったのは読み書きと簡単な計算ではなかっただろうか。何故、魔力の扱い方を教えているのだろう。
あちこちで子どもたちが「出来た!」「無理」「難しい……」と口々に言いながら真剣な目で魔力を練っている。
子どもたちが勝手にどこかへ行かないように目を光らせつつ、ティユに近付く。
「なにを教えているんです?」
「重弾のやり方よ」
「…………はい?」
気のせいだろうか、シュザベルの耳には「重弾」という言葉が聞こえたような気がした。
……気のせいではない。
「二つ出来たらもう一つ、三つ出来たらまたもう一つ増やしてみてね」
「できなーい! せんせぇやってみせて!」
あらあらと苦笑するティユをシュザベルはぽかんと見つめた。
ティユは少しだけシュザベルから離れ、魔力を練り始める。ぽ、ぽ、ぽ、と彼女の周囲に拳大の火の玉が浮かぶ。
全て同じ大きさ、同じ威力であろうことはシュザベルでさえ見てわかった。
「拳大ならこのくらいの速度で出来るようになるといいわね」
おお、と出来ないと声を上げていた光魔法族の少年が目と口を見開いていた。
重弾なんてものは魔力の調整が難しく、出来る者は少ない。精霊神官ならともかく、一般の魔法族が扱えるのは稀だ。
シュザベルは素直にティユの能力に感心する。
(……………………いや、感心している場合ではないのでは?)
出した火の玉を危なげなく消したティユに近付いて、その細い肩をぽんと叩く。
「なんで読み書きではなく重弾なんて教えているんです?」
「……その……みんな、ずっと読み書きばっかりは飽きちゃったみたいで……」
子ども好きなところがあるティユのことだ、飽きた子どもの中の誰かがティユの重弾が見たいとか教えてとか言い出したのだろう。それを断れずにこうして教えることになったのかとシュザベルは推測する。そしてそれは当たっていた。
「少しだけやったら、またちゃんと読み書きに戻るわ」
「その方が親御さんも安心でしょうね」
いや、ここにいる子どもたちの親のことだ、ティユの性格を知っているはずだし、能力も知っている大人ばかりのはずだ。特に炎魔法族の家族などは。
子どもの中に見知った顔を見つけて、その子の親が「うちの子、魔力の操作が苦手なのよね」と言っていたのを思い出す。
(ティユは魔力操作が上手いし、教え方も丁寧。……親御さんもこれを狙っている部分もあったのかもしれませんね)
はぁと呆れたため息が出る。
ティユを見れば、楽しそうに子どもに寄り添ってそれぞれに適した言葉遣いで教えている。楽しそうだ。
変に利用されているわけではないだろうし、とシュザベルは気にしないことにする。
楽しそうな子どもたちの声とティユの笑い声が聞こえて、なんだか胸の辺りが温かくなった気がした。
+++
子どもたちを解散させ家に帰し、シュザベルとティユは並んで炎魔法族の集落に向かっていた。ティユを家まで送るために。
シュザベルはちらりとティユを見る。胸元できらりと夕日を反射する緑の石が嵌った指輪が見えた。
「……」
「どうしたの?」
いえ、と言葉を濁らせつつも、シュザベルの目は緑の石から離れない。ティユはその視線を追って、シュザベルが胸元で光るチェーンに通した指輪を見ていると気付いた。
こてんと可愛らしくティユは首を傾げる。
「これが、どうかしたの?」
「……その……」
はっと我に返ったシュザベルは視線を逸らす。自然と二人の足が止まった。もう少しで炎の集落だ。
夕日が二人を照らして長い影を作る。それを眺めながら、シュザベルはもごもごと口を詰まらせた。
「…………言いたいことは、ちゃんと言ってほしいな。約束したでしょう?」
「……はい」
以前、彼女に話しもせず勝手に決めて離れたことがある。それが少しトラウマになったのか、ティユはシュザベルに「ちゃんと言葉にして言ってほしい」ということが増えた。
悪いのは自分だとわかっているシュザベルはもちろん頷いた。
だが、今回のこれは少々言い辛い、とシュザベルはあーとかうーとかいう意味のない言葉を繰り返す。
もう、とティユは手を腰に当てて怒っているとポーズを取る。
その、とシュザベルがようやく口を開いた。
「…………怒らないで、呆れないで聞いてくれますか?」
きょとんとティユは目を瞬かせる。
もちろん、とすぐに答えは返ってきた。
シュザベルはもう一度あーと声を出すと、意を決したようにティユに向き直り直す。
「あ、貴方がそれを……その指輪を大切にしているのはわかっていますし、その指輪の入手経路も聞きました」
「うん」
「で、も……その……こ、恋人である貴方が私以外の人から貰った、私が選んだわけでもない指輪を、装飾品を持っているのが……その……」
もご、とまた口どもる。
「………………………………すみません。ちょっとだけ、嫉妬しています……」
「えっ」
きっと今、シュザベルの顔は真っ赤になっているだろう。夕日がそれを隠してくれていればいいが、とティユの顔を真っ直ぐ見つめる。
ティユはぽかんと小さく口を開いてシュザベルを見つめていた。
「……嫉妬……?」
「……はい」
「……この、指輪に……?」
「…………アーティアさんにも少し」
ティユの顔がみるみる赤く染まっていく。しかし、口元は嬉しそうに口角を上げている。
「……呆れましたか」
ぶんぶんと勢いよく彼女は首を振る。そして両手で自分の頬を押さえるとにまにまとした顔を隠しきれないように「えへへ」と小さく笑った。
「そっか、嫉妬……してくれたのね」
「つまらないことで嫉妬する、狭量男だと思いました?」
もう一度、ティユは首を横に振る。
「ふふ、嬉しい」
「? ……嫉妬が、ですか?」
「だって、それだけわたしを想ってくれてるってことでしょう? ふふ」
「……笑わないでください。自分でも小さい男だと思っているんです」
「ごめんなさい。でも小さいだとか、狭量だとかなんて思わないわ。それだけあなたに愛されてるのかと思うと、嬉しいの」
「……」
シュザベルは思わずティユから目を逸らす。
ねぇ、とティユがシュザベルの名を呼んだ。
「前にアーティアさんが来たときに、街で流行りの告白方法を聞いたの。知ってる?」
「? なんですか」
ふふ、とティユはまた笑って、シュザベルの手を取る。
「指輪を贈るんですって。自分の色をした宝石が嵌った指輪を」
「……自分の、色……」
「ねぇ、わたし、赤い石の指輪をあなたに贈りたいわ」
「……私も、緑の石の指輪を、貴方に贈ってもいいでしょうか」
目を合わせて、二人同時に吹き出した。
ティユの細い指がシュザベルの薬指をするりと撫でる。
「心臓に近い、薬指がいいわ」
「はい。私もそう考えていました」
夕日でない色で染まった頬にそっと手を伸ばす。少し冷たくなったまろい頬がシュザベルの指を受け止める。
ドキドキと心臓が煩いなと思った。
ティユのぽてりとした桃色の唇に視線がいく。ごくりと思わず喉を上下させた。
その可愛らしい唇がゆっくりと開く。
「……シュザベル、背……伸びた?」
ぱちり、シュザベルは目を瞬かせる。はっとして手をティユの頬から離した。
「じ、自分ではよくわかりませんが……」
「伸びたわ。……だって、前は同じくらいの目の高さか、少しわたしより低いくらいだったもの」
「……」
少し、男としてのプライドが揺れた。いくら彼女の方が年上とはいえ、いつまでもこちらの方が背が低いのは――少し、少しだけ、辛い。
むぅと口を尖らせたシュザベルを見て、ティユはふと吹き出す。
「これからもっと伸びるわ。だって、シュザベルのお父さまは背が高いもの」
「……母は少し低いですが」
「お母さまも女性では背が高い方だわ?」
くすくすと少女は笑う。
他人から見るとそうなのだろうか。風魔法族としては平均的だと思っていたが、ティユには背が高く思えるらしい。
(……魔法族ごとの平均身長って違うのでしょうか)
少し気になる。やっぱり、好きな子よりは大きくなって守りたいものだから。
夕日が山の向こうへ消えようとしている。
我に返って、シュザベルはゆっくりティユの手を握った。このままでは遅くなってしまう。
ティユを見れば、驚いた顔をして目を瞬かせていた。ぎゅっと手に力を入れて引く。
暗くなってしまうとわかっていても、足は速く動かなかった。ティユも同じだ。
二人黙ったまま、手を繋いで、のんびりとした速度で歩く。
「このまま家に着かなかったらいいのに」
ティユが小さく小さく呟いた。
シュザベルは――否定も肯定も出来なかった。
集落に灯りが点っていく。
少しだけ、惜しかったなと思うシュザベルだった。
ティアナ:17歳
シュザベル:15歳