ひとりぼっちのハウンド
第三期神魔戦争終盤次期。ハウンドという少年がひとりぼっちじゃなくなった日。
ハウンドは孤児だった。多分、戦災孤児になるのだと思う。
よくはわからない。
物心がついたときには知らない大人に手を引かれてあちこちを渡り歩いていた。その保護者(自称)は何度も変わったし、よく覚えていない人も多い。
名前もよく変わった。
いつの間にか、「ハウンド」という名前が定着していたのでそう名乗るようになった。
子どもというよりは多少成長したころには、気付いたら神魔戦争とやらに参加していた。
前線に送られたのは悲しむ身内や親しい友人がいないから。
ハウンドもそんなものだと思っていたし、否やはない。ただ、胸の辺りの奥の方が擦れて擦り切れていくような心地がしただけだ。
攻撃魔法はそんなに得意ではないけれど、代わりに隠蔽や索敵の類は得意だったので周囲に重宝された。大きな怪我もなく戦場を転々とすることが出来た。
(前線と言ってもこんなもんか)
そんな風に考えていた罰が当たったのかもしれない。
少々負傷の多い日だった。でも、これくらいはいつも通り。そう思っていたのに。
――あ、死ぬ。
そう思った。
いつものつまらない戦場だと思って油断していたのかもしれない。
目の前に不可視の刃が迫っていた。見えたのは直前。避けることは出来そうにもない。
(ああ、なんだ……オレもここまでかぁ)
先日、上官を庇って死んだ最近の保護者役の笑い声が聞こえた気がした。
それだけだ。
特に後悔や未練は思い浮かばなかった。走馬灯なんてもっての外だ。
なんだ、死ぬのって案外つまらないんだな、と思った。
目を瞑る。
音が聞こえない。静かだ。
(――……いや、なにもなさすぎじゃん?)
息を吐くほどの時間があることに気付いて、ハウンドは目を開けた。
逆光に照らされて、誰かがハウンドの前に立っている。
「生きてイルカ」
「……は?」
思わず出たのはそんな言葉だった。いや、言葉ではない。ただの音だ。
だって、目の前に立っているのは――四天王と呼ばれる、新しい族長の右腕の一人だったのだから。
ちょっと前に、保護者役だったおっちゃんが「あれが、これから俺たちが仕えるお方々だ」と教えてくれた姿と寸分違わぬ後ろ姿。
黒髪に赤い目、真っ黒な服に両手には何枚もの呪符。
「じゅ、呪術師……」
四天王の呪術師、ロウ・アリシア・エーゼルジュ。
それがどうしてだか、ハウンドの前に立っていた。
切れ長の目が様子を伺うようにハウンドを見下ろしている。手にした呪符が光り、魔族の刃を受け止め消滅させているのが見えた。
「怪我が酷いなら下がっテイロ。動けるようなら手伝エ」
ちょっとカチンと来た。
当てにはしていないと言外に聞こえたから。
「……動けるし」
立ち上がって、男を見上げる。悔しいことにまだまだ子どもに毛が生えた程度のハウンドの身長ではロウを仰ぎ見るしかなかった。
ふ、とロウの唇が緩む。
「アア、意気がいいのは嫌いじャナイ」
「そりゃ、どーも!」
護身用に持っていた鎖に繋がった鉄球を振る。鉄球に割れ目が走り、ガバリと大きな口を開けた。
「行け、ポチ・コロ!」
二条の鎖とその頭のような鉄球二つが新たに迫ってきていた魔族に噛み付いた。
「ホウ……お前の魔力を食って成長した武器カ。面白イナ」
言いながらロウも札を敵に投げつけ前進を阻む。
「この一団を退ケル」
そうすれば今日のところは神族側の勝ちだ。
切れ長の赤目が「出来るダロウ」と細められる。
それを見てハウンドは全身の血が沸騰するような、高揚するような心地を感じた。
「オレの実力、見てびっくりしないでよね!」
「上等ダ」
獲物を見失っていた鉄球を引き戻し、再び魔族の集団に投擲する。もう一つの鉄球はハウンドの魔力を更に吸って肥大化し、その巨体で大型の魔族を押し潰していた。
もちろん鉄球コンビにだけ任せているハウンドではない。
隠蔽魔法を最大出力で自身に掛け、近くに迫っていた魔族の背後を取り、隠し持っていた針のような棒で首を突いた。魔族はなにが起こったのかもわからないまま地面に倒れる。
掌に納まる大きさの針をくるくると回して投擲。ポチが仕留め損なった敵兵の眉間に刺さったそれは簡単に敵の命を奪う毒針。
「毒まで扱ウカ」
「扱いに気をつければ、こんなん耐性つけなくてもヘーキなもんだよ」
「なルホド」
感心してみせるロウに、ハウンドはふふんと胸を張る。
気が付いたら団体さんはみんな地面に倒れていた。今日のところは乗り切ったのだと気付き、ハウンドは鎖鉄球を回収して地面に座り込んだ。
頭がくらくらする。額の汗を拭えば、それは汗よりも赤い粘度の高いものだと気付く。
「……は、れれ……?」
目の前が暗く、なんだかちかちかと光っているようにも見える。
オイとロウがこちらに手を伸ばしたような視界が黒に塗りつぶされていく。
(あー、ちょっと、はしゃぎすぎちゃったな)
なんだか、とても眠い。
ハウンドは目を閉じる。温かいなにかがハウンドを抱えた気がした。
+++
ハウンドが目を覚ましたとき、何故か彼はロウの小脇に抱えられていた。
「……は?」
起キタカ、というロウの声は耳を通り抜ける。
その間にもロウはスタスタとどこかへ向かっている。……今回の前線基地に併設された野戦病院だ。
その天幕をくぐって、ロウはきょろりと全体を見渡した。
院内にいた医療班は突然の四天王一角の登場にぎょっと目を見開いて硬直している。
ロウは面倒くさそうにそれを空いた手で仕事に戻るように指示する。
「ニアリー」
ロウが呼んだのは女性の名前だった。
はいと一言返事をして現れたのは金色の髪をした神族の女性。
「これを手当てしてやっテクレ」
「これって……もう、荷物じゃないんですから」
呆れた様子の女性がハウンドを見下ろすと、ロウはその辺の空いたシーツの上にころんとハウンドを投げ出した。
「いてっ」
「ロウさま! 怪我人を投げないでください!」
慌てた様子の女性がハウンドを起こしてくれる。頭を打ったので、止まったと思っていた血がポタリと垂れて真っ白なシーツを汚した。
「……ごめん、なさい、シーツ、汚して……」
ぽろりとこぼれたのはシーツの謝罪。
それを聞いた女性ははっと顔を曇らせるが、ハウンドは俯いたままシーツの汚れた部分を眺めている。擦ってみたら、汚れが広がっただけで綺麗にはならなかった。
なんだろう、さっきまでは少し温かい気持ちだったのに。
ぎゅっと唇を噛む。
「噛んじゃダメ」
シーツを擦り続けるハウンドを止めたのは白くて細い手だった。
見上げれば、女性が眉を下げてハウンドを見ている。
「シーツは汚してもいいの。気にしないで。……さぁ、怪我の手当てをしましょうね」
女性に触れられている右手がなんだか温かい。
その温かさに何故だか泣きそうになって、ハウンドはこくりと頷くふりをして俯いた。
犬耳を模した帽子が取り払われ、焦げ茶より濃い色の髪があらわになる。手入れもなにもしていないからボサボサだ。
女性は丁寧な手付きで頭の怪我を確認し、薬をぶっかけて絆創膏を貼った。
「いったぁぁぁぁっ!?」
「ああっ、ごめん、ごめんなさい! いきなりはびっくりするわね……ごめんね、次はちゃんと言うから」
違う、そうじゃない。……とは言えなかった。
何故、薬を塗布するときだけ雑になるのだろうか。実は怒ってる? なにか怒らせることをした?
どきどきと早鐘を打つ心臓を押さえながら、ハウンドはそっと女性を伺い見る。
優しそうな赤目と目が合った。
「大丈夫。ちゃんと治る傷よ。しばらくは頭に負担がかからないように生活してね。……少しだけ、後ろに下がってもいいようにロウさまに進言しておくわ」
言いながら、女性は頭に包帯を巻いてくれる。その手付きはやはり苦しいほどに優しい。
「……いい、デス……」
「え?」
「別に、オレなんて末端の雑兵だし。そんなに気を使うもんじゃないでしょ」
ぱちん、と両頬を女性の温かい手が叩いた。そのまま挟まれて女性と向き合うようにされる。
「誰が、そんなこと言ったの」
「へ?」
「この神族に雑兵なんていない。みんな、みんな大切な神族の民なの……必要な存在なの! ……駄目よ、そんな風に言っちゃ」
きょとん、とハウンドは目を瞬かせた。
大切? 必要?
今まで言われたことのなかった言葉だ。
いつもだったら鼻で笑って手を振り払っただろう。けれど、それが出来なかったのは、女性の目がとても真剣で、真摯だったから。
「……オレでも、大切なの?」
「ええ、もちろん。大切じゃない人なんて、この世界には存在しないわ」
「…………必要、なんだ……」
もちろん、と女性は顔を綻ばせる。
一際大きく、心臓が跳ねた気がした。
どきどきと存在を主張する心臓を手で押さえつけて、ハウンドはじっと女性を見上げた。
綺麗だとばかり思っていた女性の肌は疲労と環境の悪さのせいで少しかさついている。そっと手に手を重ねてみれば、あかぎれを絆創膏で覆っているのが見えた。
上流階級だと思っていたロウの姿を思い出す。――彼も、腕と足に包帯を巻いていたし、頬に大きな絆創膏が貼ってあったのに気付いた。
(怪我をしているのに、オレを助けてくれた……名前も知らないだろう、オレを)
胸に置いたままだった手をぎゅうと握り締める。
女性はハウンドの頬から手を離すと、傷口に触れないようにそっと頭を撫でた。
子ども扱いそのものなのに、嫌な気持ちはしなかった。
「名前を聞いてもいい? ――わたしはニアリー」
「……ハウンド」
「強そうな名前ね」
そう言ってくすりと笑う女性――ニアリーから目が離せない。相変わらず心臓は早鐘を打っていた。
そんなことを言われたのは初めてだ。
撫でられていた頭から手が離れていくのが寂しい。
「……………………ニアリー、撫でて、ほしいって言ったら、また撫でてくれる?」
ニアリーは目をぱちくりと瞬かせ、目を細めて微笑む。
「それくらいのことでよければ、いつでも言ってね」
やっぱり心臓はどきどきと大きな音を立てている。
それがなんなのか、ハウンドが自覚するのは――そう、遠くない未来だ。
+++
○年後。
「ニーアー♡ オレ、ロウさまについてってちゃんと任務こなせたよ! 撫でて、撫でて!」
「はいはい、そんなに慌てなくても……ちょっと身長伸びた?」
「ふふーん、もうすぐニアの身長なんて追い越しちゃうもんね」
ふふ、とニアリーは笑って、ハウンドの頭を撫でる。帽子の耳がピコピコと嬉しそうに動くのを見て、ニアリーは目を細めて笑う。
「ロウさまは怪我をしてないかしら」
「……だーいじょぶだよ。だって、オレが護衛でついてたんだもん。怪我なんかさせるもんか」
「そうね。……ハウンドは、怪我してない?」
「もっちろん!」
ハウンドは知っている。
ニアリーの「一番大切」は上司であるロウだってこと。
だって、ずっと見ているから。
(オレの方がずっとずっと、ニアのこと見てるのに)
腕を伸ばしてぎゅうとニアリーを抱きしめる。きゃぁとニアリーは小さく声を上げた。
「大好きだよ、ニア♡」
「っ……もう、からかわないで」
「からかってないのにー」
腕の中の女性はくすくすと笑っている。
いつか、その笑顔も瞳も心も、全部自分のものになったらいい。
ハウンドはそっと、腕に力を込めた。
ハウンド:友人苺
(このあと通りがかったロウに札まみれにされて転がされるハウンド)