夜のまにまに【ヤシャ×ラセツ】
製本版にてカバーイラストを描いてくださっている苺ちゃんへの誕生日に捧げたもの。……2021年?
盛大で豪奢で、たくさんの民にも祝福された結婚式が終わった、その日の夜。
ラセツ・エーゼルジュは可愛らしく真新しい下着とネグリジェを身に着けて緊張した面持ちで、これまた真新しいベッドのふちに座っていた。
待ち人はまだ来ない。
ドキドキというよりもいっそドコドコと大太鼓を叩くような音が胸から聞こえている。……ラセツ自身の鼓動の音だ。
彼が来る前に心臓が胸を突き破って出てくるのではなかろうか。頭にのぼった血液が顔中から噴き出す方が先かもしれない。
落ち着け。ラセツは深呼吸を繰り返し、無意味に手を握ったり開いたりしてみる。
(夫婦に、なってしまった)
とうとう、と言うべきか、やっと、と言うべきか。
とにかく、ラセツは彼――ヤシャと正式な夫婦となった。
(な……なってしまった……)
頭を抱える。
いや、もちろん嫌というわけではない。むしろ逆だ。
かしゃりと腕につけた婚姻の腕輪が小さく音を立てる。
それを撫でて、ラセツはふうと息を吐いた。
夫婦。
それはラセツが昔から憧れていた関係だ。
だけど、彼は――姿を消した。
どうしようもなかったとはわかっている。だけど、連れてってほしかったと何度願っただろう。何度、死を望んだだろう。
彼がいなくなってからは我武者羅に仕事をした。周りが心配しても、体調を崩しても、敬愛する上司に怒られても。
だって、彼がいなかったから。
息を吸う。息を吐く。それだけのことが酷く億劫だった日々。
それが突然砕け去ったのは、当の彼がひょっこりと帰ってきたから。
女も捨てた。恋も捨てた。全部忘れた。なのに。
帰ってきた彼を見て捨てたはずのものがあふれ出した。彼への想いは、捨てられなかった想いは――喜びの声を上げた。
ふと音がして、扉が開いた。
入ってくるのはもちろん、黒髪を靡かせたヤシャ。
「おつかれ」
「おっ、おおおお疲れさまですっ!」
「はは、超緊張してんじゃねぇか」
誰のせいだと。
ラセツはまた熱くなった頬を軽く叩きながら横に座るヤシャを見上げた。
きしりとベッドのスプリングが歓声を上げる。
「悪いな、馬鹿たちがうるさくってなかなか放してもらえなかった」
馬鹿の姿を思い浮かべて、ラセツはくすりと笑った。
「やっと笑ったな」
「誰のせいよ」
「……俺か」
ベッドに深く座ったヤシャに左腕だけで引き寄せられ、ラセツは抵抗もせず彼の膝の上に座る。
身を寄せると耳元で聞こえる彼の鼓動は自分と同じくらい早い。
「――緊張してるの」
「するに決まってんだろ、好いた女がこんなに近くにいるんだから」
ふふ、と笑いをこぼせば、ヤシャは左腕に力を込めてくる。
ぴたりと抱き寄せられて二つの心臓の音が重なりそうだ。
「……やっぱ、駄目だな」
「え?」
「――片腕じゃ、おまえを抱きしめてやれない」
見上げれば、ヤシャは薄い唇を噛んで悔しそうに右肩を睨み付けた。
ラセツはそっとそのなにも続かない肩に手を添える。
「じゃあ、私から抱きしめるわ」
両腕で彼の頭を抱えるようにして抱きしめる。ふ、と腕の中でヤシャが笑った。
「今日は随分と積極的なんだな?」
「……だ、だって、わ、私たち、夫婦、でしょ」
「すっげぇ心臓の音」
「うるっさい。自分だってそうでしょ」
ぽかりと軽く頭を小突いてやれば、またヤシャは小さく笑った。
「なぁ。今日はこのまま寝ちまおうか」
「え?」
「すんごい眠くなってきた」
そういうとヤシャは枕の方へ傾き始める。左腕に引っ張られて、彼の頭を抱いたままラセツも一緒にベッドへ沈んだ。
柔らかい、新しいシーツのシャボンの香りがふわりと舞う。
「これからはずっと一緒なんだ。今日くらいゆっくりしてもいいだろ」
ずっと一緒。
その言葉にラセツの頬も緩んでしまった。
仕方ないなぁ、なんて口では言いながらシーツに包まる。
ヤシャの頭からシャンプーのにおいが香って、それが自分と同じものだと気付いた。
「ずっと、一緒ね」
「嫌だって言っても居てやるよ」
小さな音を立てて、二つの唇が離れた。