31 再会してしまった話
クラウスとナツメが去っていった。ニコラリーは独りになった室内で、静かに椅子へ座りなおす。
ニコラリーが目指しているのは、国一番の魔術師になること。それはつまり、王国にその実力を認めて貰うということでもある。そのためにするべき最有力のことは、王国の付属魔術師採用試験に受かり、王国に魔術師として仕えるということだろう。
こんな辺境の地で力だけつけても、それを認知されなくては意味がない。いずれは王国で出向く必要がある。
その際に、近衛騎士であるナツメの父親、ユヅルと会う機会も必ずあるはずだ。情けない話であるが、彼と遭遇した場合に平常を保っていられる気がしない。そういうところを考えると、クラウスが行おうとしているニコラリーのトラウマを払拭する動きは正しいともいえる。
「……にしても」
ニコラリーはふと部屋の中を眺めた。自分以外誰一人としていない部屋は、どうも少し広いような気がした。
「テオは今日仕事だっけ」
何となく一人の時間が長くなるのに抵抗があって、友人の顔を思い浮かべてみる。それから数分、誰もいない部屋でぽつんと静かに座っていた。
「……外に出るか」
時間帯はまだ朝の部類である。クラウウスがいない以上、修行も危険がない程度にしかできない。彼女の言った通り、彼女がいない間は二人での稽古の中で気づけなかった何かを探すとして、基本中の基本だけを地道に積んでいこうとニコラリーは思った。
まだ完全に体が魔力とかみ合っていないが、最初に比べるとかなり魔力が体に馴染んできている。午前はその訓練を続けながら散歩でもしようかな、と思ってニコラリーは席を立った。
散歩するといっても、特に行く所が複数あるほど都会ではない。そもそも選択肢からして少なく、無難にエインアリーの街並みを散歩することになった。
本当はクラウスに教えてもらっている最中の必殺技について、本格的に取り組みたい。だが、あの練習をクラウス不在でやるとなると、有り体に言えば怖すぎる。暴発でもしたら目もあてられない惨事になることは必至だ。
だからこうして、魔力の繊細な操作に慣れるべく、体内に魔力を循環させて体と慣らしているのだ。
エンアリーの大通りにはいつも通り、多くの人が歩いていた。
人波にまぎれて、適当に散策するニコラリー。ふと、街中の寂れた古本屋が目に入って立ち止まる。
そういえば、本屋に訪れるのはかなり久しぶりだ。約一週間前に、本屋の前になら来たが、実際に入ったのはクラウスであり、あの後三人組にボコボコにされたのだった。
嫌な思い出を彷彿とさせ、ニコラリーは街に入るや否や、げんなりとした気持ちを味わう。あの出来事の後、あの三人組とは顔を合わせていないが、今はどうしているのだろうか。クロードの追い打ちというのを具体的に把握していないので、少し気がかりだった。
ニコラリーはそのまま古本屋の中に入る。老いた店主の適当な「いらっしゃいませー」の掛け声を聞きながら、魔法関係の本が陳列されている本棚を探した。
追い打ちといえば。ニコラリーはふと思いついた。
追い打ちをかけてまで、クロードはニコラリーの相手をしたのだ。あの観衆の目がある中で、言葉通りの惨敗を喫したクロードの面子は、完全に丸つぶれではないだろうか。
「おっ」
魔法の教本が陳列されている本棚に、懐かしい本が入っていて、ニコラリーは思わず手に取ってみた。
懐かしい。ニコラリーが初めて読んだ、魔法を使ったポーション製造法の覚書である。あの時は以前まで一緒に住んでいた、いわば師匠とも呼べる存在――その人がニコラリーに与えた本というのが、まさしくそれだった。
本を開いてみて、ニコラリーはその中身の綺麗さにちょっと新鮮味を覚える。彼の貰ったその本には、師匠が新たに書き加えたり、線を引いて記述を書き消していたりと、かなりのカスタマイズがされていた。
本から目を離し、再び本棚に目を向ける。と、また見覚えのある背表紙を見つけた。『副魔法基本覚書』というその本も、師匠が持っていたのを読んだことがある。別に欲しいわけでもないが、自然とその本へ手が伸び、
「あっ」
「おっ」
隣から伸びてきた腕とぶつかった。懐かしさで周りが見えておらず、近くに人が来ていたことに気づいていなかったのだ。ニコラリーは頭をかきながら、隣の人へ謝罪を口にする。
「すみません。別に買うわけじゃないんでどうぞ」
「ああ、すまない。いただこうじゃないか」
お互いに言葉を交わし、そのお互いが何かの違和感を得る。どこかで知っている声だ。隣を見ると、見覚えのある顔が同時にこっちを向いた。と、
「お前!」
「こいつ……っ!」
向き合った両方が、その顔を認識した途端、苦い顔を浮かべる。
ニコラリーの隣にいたのは、赤髪に黒い瞳の貴族――クロードだったのだ。
彼も隣にいて腕がぶつかったのがニコラリーとは知らなかったようだ。お互いに指をさして驚愕の表情を浮かべた後、同時にお互いは咳ばらいをかまし、無理やり表情をリセットした。
「いやあ、久しぶりだなクロードくん! 傷心してなさそうで何よりだよ」
「ははは。貴族というのは常に悠然としているものさ。君こそ、元気そうで何よりだ。頭の悪さも健在みたいだし、微笑ましい限り」
引きつった笑いと憎まれ口を押し付けあう二人。人が少ない店内で、二人の険悪な雰囲気が蔓延し始めたのだった。