30 修行前の話
ナツメはクラウス達を騎士昇格試験場に入れることへ手引する。クラウスはナツメの剣術を指導する。――そういう約束で二人の交渉は終わった。
朝の人通りの少ない道の端で、壁にもたれかかったナツメにクラウスは言う。
「剣術指導はお安い御用だが、今から、という訳にもいかぬだろう。ナツメにも傭兵としての仕事があるはずだ」
クラウスの言うことは最もだった。ナツメは傭兵に所属しており、最近副隊長という立場にまで上り詰めた。立場的にも、普段ならば職務を放棄するなんて許されることではない。
しかし、それなりの事情があれば休むことも許される。例えば……人生を変える転機ともなるほど、肝心で大きな試験の存在だとか。それに傭兵と騎士――二つの立場は、密接な関係を法律が結んでいるといっても過言ではない。貴族と平民、その差をなくそうと法律が動き、その結果が傭兵と騎士の繋がりでもあるのだ。
傭兵から騎士へ、騎士から近衛騎士へ。そのような昇格の筋道を作った。つまりは、優秀な傭兵は騎士へ上がり、優秀な騎士は近衛騎士へと上がる――貴族と平民の壁を断ち切ろうとした国は、そういう仕組みを通したいのだろう。だからこそ、騎士に上がるための試験のため、傭兵業を一時的に欠勤することも許されるのだ。
「問題ないよ。傭兵のお仕事からは一旦離れる、ってことで認めて貰ったし。すぐにでも修行するつもり」
「……ふむ。傭兵の仕事を休めるほどの事情か。となると……なるほど。ナツメは騎士昇格試験に……」
「そういうこと。全力で迎え撃つ」
快速な頭の回転と勘の良さを併せ持つクラウスに、ナツメは一種の心地よさを感じながら、彼女の言葉にうなずいた。見た目は少女で、少し意外で破天荒な面があろうとも、聖剣であるという本質は変わらない。
「今から傭兵の訓練場に夜まで籠ろうと思ってたんだけど、クラウスがいるなら話は別。――まずはクラウスの指導方針が聞きたいな。それに合わせるよ」
「そうだな。人気があるところだと変に注目されかねない。……いっそ、自然の中で四六時中修行しても良いかもな」
「山ごもりみたいな感じ? いいね。そうしようか」
クラウスの提案を、ナツメはすんなりと受け入れる。ナツメには修行の場として思い当たる場所があった。エインアリーから西南にある、森林地帯だ。あそこは木々だけでなく丘も川もあり、テントを張るにも自給自足の生活を行うにも適していたはず。そうと決まればナツメの足は軽い。
もたれかかっていた壁から離れると、ナツメはクラウスを連れて来た道を戻り始めた。
「試験場の入場についてはこっちでやっておくよ。修行の場所は思い当たる場所があるから、準備できたらニコの家に行くね」
「了解した。確か試験は十日後だったな。修行の期間は八日間する。準備だけでなく、家の人とかにもその事をちゃんと報告しておくのだぞ」
「うん。じゃ、ニコの家で待っててね」
それだけクラウスに伝えると、ナツメは自分の家に向かって駆け出した。
家に帰ったら、まずはリリアーナにこの事を報告しておこないといけない。それにニコラリーとクラウスの試験場への招待状の申請も彼女にお願いするのが良いだろう。確か、招待状の発行は必要なものさえあれば、本人ではなく使いの者でもできたはずだ。
期限は十日。その間に何としても今以上の剣技を会得しなければいけない。
ナツメは明くる日々に対する覚悟を、より一層燃え上がらせた。
ナツメとの交渉を終え、クラウスはその足でニコラリーの家へ戻っていた。
玄関の扉を開けると、中で朝食を終えてイスに座り、だらりとした様子で朝のコーヒーを飲んでいるニコラリーが目に入る。
「ただいま」
「おう、おかえり。どこ行ってたんだ?」
「ナツメのところだ」
クラウスはそのままニコラリーの向かい側のイスに座った。クラウスの分のコーヒーを淹れようして、立ち上がるニコラリーをクラウスは制止し、口を開く。
「しばらく家を空けることになった。すまないが、修行は独りでやっててくれないか?」
「……うーん。クラウス無しじゃ、成果が上がらない気がするんだよなあ……」
「必殺技を叩き込むと言ったばかりだが、すまない……。でも主殿の急成長は間違いない。我の指示のもとでやった時には感じなかったことを発見できるかもしれぬ。……そういうことで、手を打ってくれないか?」
腕を組んで悩むニコラリー。クラウスは姿勢を正して、彼の回答を待つ。
騎士昇格試験場へ入場券を手に入れたのは、ニコラリーとトラウマを払拭する目的もあった。だがそれ以外にも目的はあるのだ。
少しの間、沈黙をもって悩んでいたニコラリーであったが、ため息をつくとクラウスのほうを向いた。
「まあ、いいよ。一週間ぐらい空けるの?」
「八日開ける。本当にすまない。もしも何かあったら……そうだな。この家の傍で煙でも炊いてくれ。飛んで行く」
「お、おう……。そんなことは起きて欲しくないけど」
クラウスは自然とテンションが上がってしまい、身を乗り出してニコラリーの許可に喜んだ。そんなクラウスを前に、ニコラリーは苦い笑みを浮かべる。
そんなこんなでそのまま雑談に発展し、時間は過ぎていった。そして数十分経ったところで、玄関の扉がノックされる。
「来たか」
クラウスは立ち上がり、扉を開けた。その向こう側には、大きなリュックを背負うナツメが立っていた。
「ナツメとどっか行くのか。まあ、程々に楽しんできなよ」
コーヒーを飲み干して、ニコラリーが笑う。そういえば、彼にはナツメと修行することを教えていないから、そういう考えに至るのも納得だ。クラウスは慌ててその内訳を話す。
「ナツメが騎士昇格試験に参加するらしくてな。八日間修行するのだ。それが家を空ける理由だ」
「……騎士昇格試験か。これまた、おいそれとないチャンスだな」
「うん。ごめんね、ニコ。クラウス借りる」
「そういうことなら仕方ない。幼馴染の夢のためだしな。俺の分も頑張れよー」
そのわけを知って、完全に納得をした様子のニコラリー。クラウスとナツメはそんなニコラリーに挨拶をしてから、ニコラリーの家を発ったのだった。