29 交渉の話
早朝。
ナツメは朝の稽古をするため、いつも早朝には起きている。今日もその例に違わず、鳥の鳴き声が朝を教えるようなころには、すでに朝食を取り終えて出発の準備を整えていた。
彼女が起きるのに合わせて起きてくれているリリアーナの見送りに笑顔を返し、玄関の扉を開ける。
「あっ」
ドアを開けた先には、早朝特有の薄い青に包まれた朝の風景を背後に、一人の銀髪の少女が立っていた。自分がベルを鳴らす前に扉が開いたものだから、その少女はびっくりして目を丸くしている。
「……どうしたの? クラウス。こんな時間に」
部屋の前に立っていた少女――クラウスに、ナツメは苦笑いを浮かべながら問いかけた。
「いやな、実はナツメに頼みがあっての。主殿に聞くに、基本は早朝に家を出て鍛錬をしているというから、その前に話をつけておこうと思ってな」
「話……?」
ナツメは玄関で怪訝そうな顔をしているリリアーナに、手を振って大丈夫だとジェスチャーをしてから、外に出て扉を閉める。それからクラウスをじーっと見つめて、ナツメは歩き出した。クラウスもそれに続く。
「わたしにお願いって言っても、今は取り込んでるから前みたいにニコの修行相手とかは無理だよ?」
ナツメは前日の父との出会いを回想しながら、拳をぎゅっと握った。
騎士昇格試験が数日後にまで迫っているのだ。悪いがニコラリー構っている暇はない。
それに、ナツメは考えていた。昇格試験というのは、候補の人材が現役の騎士と決闘をし、審査員がその様子を見て騎士に昇進するか判断する、というかたちで実技のみで判断される。
恐らく、ナツメの相手は父親であるユヅルだ。彼の性格はナツメの脳裏に染み付いている。合理的で冷徹。自分の家から、中途半端な騎士を出すようなことはしないだろう。そんなことをしたら家名を汚すことになる。
だから、彼は少なくてもナツメの審査だけはひいき目がないどころか、必要以上に厳しく審査するに違いない。それに最も適しているやり方は、ナツメの決闘の相手を自らが行い、実際に対戦をして判断すること。
その裏付けとして、街の騎士昇格試験なんかに近衛騎士であるユヅルが参加するという張り紙を街で見た。試験の相手はユヅルだ。――そう思うと、自然にナツメの頬が引き締まる。
「時間は取らせないつもりだ。無理ならば、遠慮なく突っぱねてくれ」
クラウスはやんわりと断ろうとしていたナツメの言葉に食いつき、その願いを口にした。
「近日の騎士昇格試験とやらを見に行きたいのだ」
速足で傭兵の訓練所に向かうナツメの足が止まった。そして、追いつき彼女の隣で止まるクラウスの方へナツメは目線を向ける。
「……なんで」
騎士昇格試験は自分にとっても大事な催しである。というか、そのためにクラウスの頼みを断ろうとしていたのだ。しかしその断ろうとしていた頼みが騎士昇格試験に関係しているとなると、興味がわいてくる。
「主殿の修行の一環だ。どうしてもその試験場に入りたいのだが……。傭兵のツテでどうにかなったりはしないか?」
ナツメは黙ってクラウスの瞳を凝視した。
クラウスはナツメがその試験に参加することを知っているのだろうか。いいや、知るはずがない。参加者の情報は無関係者には伏せられるはずだ。
ということは、恐らく試験の決闘を見せて、ニコラリーに実際の騎士の戦闘様式を肌で感じさせたいのだろう。
実際問題、試験場に彼らを招待する程度なら可能だ。実際、現場の試験場には毎回貴族の見物人がよく見に来ている。試験を受ける者、試験運営に携える者には、見物人として知り合いを招待することができるのだ。
できないことはない。が、そのためにはナツメが直接、運営の方へ申請を行わなければならなかった。しかもそれには大きな時間が取られることになる。ナツメはその時間を習練に当てたかった。
――いいや、これは交渉素材になる。ナツメは、はっとしてとある感気に行きついた。
聖剣には、師範としての才能がある。ニコラリーの魔術を短時間であそこまで成長させたのだ。しかも、彼女は元々聖剣であり、魔術以上に剣術への理解があるに違いない。
「いいよ。条件付きだけど」
「ふむ。何なりと」
「私の剣術を指導してよ。――もちろん、本気で」
ナツメはこれまでにない真剣な鋭い威圧をクラウスにぶつけた。クラウスはそれを感じ取ったのか、一瞬ほんの少したじろいだものの、すぐに嬉しそうに笑う。
「どういう理由があるかは知らないが、良いだろう。――その意気込み、とても気に入った」
二人の間で熱の籠った視線が交わされた。そこには不純物のない、圧倒的な純度の闘志が含まれていたのだった。