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26 お嬢様の話


 ナツメは自宅に着いて玄関の扉を開けた。


 彼女の家は集合住宅アパートメントの二階の一室である。その集合住宅は四階まであり、大通りに面していた。


 一階のフロアは花屋が店として使っており、大通り側についている窓から顔を出すと、お店の花の香りが薄っすらと匂ってくる。


 そして一人暮らしではない。ちょっぴち狭い一室には、彼女ともう一人の大切な家族が住んでいる。


「ただいま」


「あら、おかえりなさい」


 帰ってきたナツメを迎えたのは、短い黒髪をしていて、黒い布地のドレスに白いエプロン――いわゆるメイド服――を着こんだ女性だった。


 ナツメは靴を脱いで、そのまま台所に向かう。洗い場の蛇口をひねり、手を洗った。


 それから隣の冷蔵庫に手を出すも、ナツメの家のお手伝いさんである彼女――リリアンナにそれを阻まれる。


「私がやりますよ。紅茶ですね?」


 リリアンナはカサカサな手で冷蔵庫の中から紅茶の入ったポッドを取り出し、ナツメに渡した。


 渡されたナツメは細目で口を尖らせると、リリアンナを見つめる。


「この程度、自分でもできるよ」


「そうですね」


 ナツメの小さな捻くれも、適当にあしらうリリアンナ。リリアンナとナツメの関係もすでに十年以上になる。リリアンナにとって、彼女の扱いはお手の物だ。


 それはナツメ自身もわかっていた。ナツメにとっても、一番信頼を置ける人は間違いなくリリアンナであり、彼女と二人っきりでいるときだけに見せられる表情やしぐさもある。


 リリアンナに取ってもらった紅茶のポッドを持って、リビングのイスに座った。


 目の前のテーブルには、当然のことのようにナツメが使う空のカップが置かれている。ナツメはそのカップに紅茶を注いだ。


「あのさ、リリアンナ」


「いかがなさいました? お嬢様」


 ナツメは紅茶を呑みながら、リリアンナを呼ぶ。


 呼ばれたリリアンナは、まるで呼ばれることが分かっていたように速攻で返事を返し、ナツメのもとへ小走りで歩み寄った。


「あのさー、リリアンナ」


 紅茶の入ったカップを置き、リリアンナの顔を見る。


「お父さんと会ったんだ」


「そうですか」


 ナツメは目を伏せて父との再会を語った。それはとてもじゃないが、嬉しそうなものではない。


 彼女の事情を身に染みるほど知っているリリアンナは、その事実に衝撃を受けるも、表情に出そうとはしなかった。それは、ナツメの判断や考えを鈍らせないための手段である。


 ナツメはお手伝いであるリリアンナを、家族のように扱おうとするが故に、いらない考えまで至ってしまうのだ。リリアンナは従者で、ナツメはその主人。その上下関係をリリアンナは普通以上に重んじていた。


「ねえ、覚えてる? 私が屋敷を抜けて、この街に来たときをことを」


「ええ。もちろんでございます」


 ナツメは伏せた瞳の奥で、その日の光景を思い出していた。



 彼女は貴族故の優遇がとても気に入らなかった。何もせずとも褒められ、ちょっと何かをしただけでも褒められる。数十人いるメイドは全くといって良いほど、彼女を叱ることはなかった。 


 ナツメは、そんな環境が大っ嫌いだった。


 それに加え、父親の苛烈なほどの合理的手腕。それを前に、無慈悲に意見すら吐くこともできずに屋敷から追い出されていく支配地域の農民を、たくさん見てきた。


 父親――ユヅルの示したことは、確かに正しかったのかもしれない。しかし、それを見た幼いナツメは、それに恐怖と嫌悪しか感じることができなかったのだ。


 そんな日々が続いたある日、ついにナツメはその屋敷を抜け出す覚悟をする。


 ナツメは夕食のときにくすねたナイフを護身用に、必要最低限なものをバッグに詰めて、早朝に寝室を抜け出した。そして、


「りりあーな」


「……どうかしましたか? お嬢様」


 ――まだ角ばった表情しかできなかったリリアーナをほとんど強制で連れ出し、馬を使って領地から逃亡したのだった。



「まさか、お嬢様があんな大胆な行動に出るとは思ってもみませんでした」


「うん、知ってる。すごく驚いた顔、してたもんね」


 リリアーナが澄ました顔で言う言葉に、ナツメは笑って返した。そんな彼女を、リリアーナは温かい感情のこもった瞳で見つめる。


「あの時、数あるメイドの中で、私を選んでくださったことに、驚きと戸惑いと嬉しさと恐怖がありました。お分かりでしょう?」


「分かるよ。でも、リリアーナは驚いたと思うけど、私は連れ出すなら誰を連れ出すのか、とっくに決めてたんだからね」


「それは光栄なことでございます」


 ナツメがリリアーナを選んだ理由。それは単純明快だった。ナツメを唯一叱ってくれたメイドだったから。


『お嬢様、遊んだ積み木が出しっぱなしになっていますよ。すぐに片付けないと……』

『お嬢様、いつまで起きていらっしゃるのですか? 早く寝ないのなら……』

『お嬢様、壁に落書きをしましたね? ……へぇ、身に覚えがない、と。……へぇ、そうですか。へぇ、なるほど。へぇ……』


 本当は一緒にいたくなかった。褒められることに飽きて、嫌いになっていたとしても、叱られることが好きだったわけではない。


 でも、ナツメは裏でリリアーナがメイド長に怒られているところを見てしまったのだ。リリアーナがナツメを叱ったことで、彼女は長い時間怒られていた。


 それでも、リリアーナはナツメを叱ってきた。ナツメは、彼女が不思議でならなかったが、いつしか彼女がいないと寂しく思うことも増えていった。


 そして、その気持ちがいつしか信頼と好感に変わっていたのだ。


「ありがとね。あの時、手を取ってくれて」


「えぇ、感謝してくださいね」


「うん。ありがとう。お父さんに見つかったとき、私の代わりに話を付けてくれたことも、傭兵になるために剣を教えてくれたことも、こうやって家の事をやってくれることも。全部、ありがとう」


 ナツメの感謝に、リリアーナの眉がピクリと動く。不満に思ったわけではない。リリアーナは彼女の言動で、彼女と父の間で何が起きたのか確信したのだ。


「……騎士に推薦されたのですね?」


「このタイミングでね」


 そう、まさに傭兵の副隊長昇進のタイミングで、とんでもないことを彼女の父親、ユヅルは仕掛けてきた。いや、彼にとってはずっとこれを待っていたのかもしれない。


 彼女の実力が目に見えて上がったと認められた、この時を。


「お父さんは、絶対に筋を通してくる。家族だとか貴族だとかを捨てて、わたしが騎士に相応しいかを見極めてくる」


 ナツメの視線には、かつてないほどの熱が込められていた。


 リリアーナはその視線が、かつて幼い彼女にも宿っていたその瞳の力が、何より好きだった。美しいと、そう思った。


「全力を、見せつけるよ」


「――ええ。果報をお待ちしております」


 ナツメの野心が、一瞬にして大火となりて燃え広がったのであった。


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