25 騎士の話
ナツメが帰り、ニコラリーとクラウスのわだかまりも解けたところで、いつも通り、二人は朝食で使った皿を洗っていた。
今回はクラウスが洗い、ニコラリーが拭くという役回りだ。
ニコラリーは、なんというか、この役回りも慣れてきた。
「そういえば、ナツメが副隊長昇進が完全に決まっただとか言っていたな」
そんな中、ボソリとクラウスが言った。
彼女に渡された皿を布巾で拭いながら、「へぇ~」と軽く流してしまいそうになったニコラリー。
すぐに言葉の意味に気づいて、はっとした。拍子に皿を落としそうになる。ギリギリ空中でキャッチし、事なきを得たが。
「……あいつ、そんな大事なことを俺に言わないのかよ……というか、いつ聞いたの?」
「うむ。主殿が帰って来る前だ。いつかは知られるものだから、とも言っていたから、話す気はなかったのではないか」
皿を拭きながら、ナツメのそういうマイペースさにちょっとため息が出た。知らせる知らさずは本人の自由ではあるが、一応幼馴染なのだから、知らせてくれてもよかったのではないだろうか。
「うん? ……あー、そか」
ちょっと不満げなニコラリーだったが、一つの考えに到達し、その不満は一気に霧散した。
納得した様子のニコラリーに、クラウスは疑問の視線を向ける。その視線を受けて、ニコラリーは口を開いた。
「あいつ、目指してんのは王国近衛騎士団総長なんだよ。それ以前の役職なんかは、それまでの道に過ぎないから、報告なんてする意味ない、っていうスタンスらしい。あいつが傭兵になったとき、俺にそれを知らせてくれなかったもん。薬屋のおやじから聞いて知ったんだ。しかも入隊二日前ぐらいに」
「中々肝が据わってるの。だが、気になることがある」
クラウスは最後の皿をニコラリーに渡す。濡れた両手をタオルで拭いながら続けた。
「近衛騎士総長を目指しているのなら、何故ナツメは傭兵になどなったのだ? 最初から近衛騎士とやらに志願すればいいだろうに」
「それは色々と事情があんだよ」
クラウスから渡された、最後の皿を拭いていつものところに立てかける。それから手から水分を払い、クラウスから手を拭く用のタオルを受け取った。
「騎士っていうのは貴族が持つ役割で、基本的に庶民は傭兵にしかなれないんだ。だが、最近はそういう地位の差別をなくそうとする動きがあってな。まあ傭兵と騎士の上下関係はまんまなんだけど、年に何度か傭兵から騎士に昇格させなきゃいけない、ていう決まりができたんだ。つまるところ、庶民でも傭兵の身で成果を残せば、騎士に上がれる仕組みになったの。それを使ってナツメは天辺を取ろうとしてる」
「ふむふむ。だが、傭兵にも貴族はいるようだが? あの、えっと、名前を忘れてしまったが……」
「貴族……? ああ、クロードね。そうだよ、傭兵にも貴族がいるよ。そこがその『傭兵から騎士に上がらせなきゃいけない』っていう決まりの穴でね」
二人は話しながらテーブルに戻り、席についた。
ニコラリーは、キッチンの棚から新しく出した自分たちのコップに、元々テーブルの上にあったポッドから麦茶を注ぐ。注いだコップのうち、片方をクラウスの方へ渡し、もう片方を自分の手に持って、一口含んだ。
「貴族は貴族で、そういう決まりはあれど、『騎士は貴族のやる職務だ』ってプライドみたいのがあるんだよ。だから庶民に騎士になってほしくないわけ。でも、年に何度か傭兵を騎士に釣り上げなきゃいけない決まりができちゃった。これに対抗して貴族は、わざと傭兵の中に自分たちの子供とかを入れて、そいつらを騎士に釣り上げる傭兵に選ぶんだよ。誰を騎士にするか相談するのは現役の騎士、すなわち貴族だからな」
「なるほど。では、ナツメが騎士になるというのは、相当難しいことなのか」
「……いや、どうだろうな」
ニコラリーは話を一旦やめて、再びコップを手に取り麦茶を喉に流し込む。
クラウスは訝し気な顔でニコラリーを見ながら、彼を真似するように麦茶を飲んだ。
ニコラリーはじーっと空になったコップの底を覗いている。そのうっすらと残る水滴に、彼のトラウマに残った恐ろしい顔が映ったような気がして、ぶるりと肩を震わせた。
「ナツメの父親は、近衛騎士だ」
「ほう。……ということは、ナツメは貴族ということか……?」
「そういうこと。俺も最初知ったときはマジで焦った。子供ながらにめっちゃ焦った。というかビビった」
あの般若のような顔を底に映すコップを置いて、ニコラリーは力なく笑う。額にはうっすら汗が浮かんでいた。
「……マジで怖かった。あいつの親父さん……」
青い顔で少年時代の、というより、今までの人生で最大のトラウマを口にしたニコラリーを見て、クラウスは聖剣ながらにゴクン、と唾を呑む。
「貴族……というより、なんというか……。ボス……?」
「ぼ、ぼす?」
「とにかく怖いし厳しい……。俺あの人ほんとに苦手……」
机にうなだれるニコラリー。
そんなニコラリーを傍らに、クラウスはまだ見ぬナツメの父親を彷彿とさせ、一人戦慄したのであった。
「……何の用?」
ニコラリー宅を出発し、街への帰り道。ナツメは草むらのほうに、よく知る微かな気配を感じて足を止めた。
その暗がりの先に潜む者に備え、ゆっくりと携えている剣に手を伸ばす。右足を下げ、いつでも抜けるように構えた。
「――前祝だ」
瞬刻。背後に回った気配は、声を発した。
ナツメは弾かれるように前方に飛んで、振り返ると共に距離を取る。
その先にいたのは忘れもしない、万年シワを寄せている強かな面の男。――ナツメの、父親だ。
目に見えぬほどの高速移動。全身を貫く双眸。
ナツメは冷たくなった自分の背筋を悟られぬように、剣から手を離す。
「わたしの昇進のこと? ただの傭兵の、副隊長になったことに祝い?」
「違う。わしはお前を、騎士に推薦したのだ」
二人の間に、ナツメの激しい動悸を冷ますかの如く、涼しい風が通り過ぎていった。