重ね重なり纏まる
物事とは必ず1つの出来事がそれだけで完結している訳では無い。見方による。大小差もあるだろう。時間と言う一定方向の軸に合わせて事象は重なり…重なり、時に絡まり合い、混ざり合う。どんなことにも何かの終着を見せられるだろう。それはその時点での纏まりと言うだけだ。
はてさて、紅子の滞在が始まり、母が帰宅するまでに残り数時間となった。連休中に仕事と言って出立したが内容はそこまで濃くはなく、仕事はじめの打ち合わせとプランの仮設定などで済んだとの事だ。今日を合わせた2日は紅子が居る。母は念願叶って俺の彼女と初めて会う訳だ。心眼の力で姿形は見れていたようだが直接の対面は初めてのはず。
様々に運命が重なり始めた。母もそう語る。類は友を呼ぶと言う。その繋がり、連なり、重なりはとても大きな纏まりとなり、俺達当事者を包み込んで行く。家に来てから紅子も少し変化したのか…俺に対して以前よりも積極的な態度を取るようになった。こうやって物事は動いていくのだろう。
「お、お母様って何時頃……お茶とか……」
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」
「それにお母様って……。お姉はもぅ家にお嫁に来る気満々なんだねぇ」
「ひぃぇっ!? お、お嫁さん?!」
「姉さん、とにかく落ち着いてください。確かに母には威圧感は少しありますが優しい"人"なので」
若干呆れ気味な紫杏。取り乱す紅子を落ち着かせる紫神。悪戯心好きな双子の妹達すら弄らず、そんな2人から心配してしまうくらいに情緒不安定な紅子。そろそろ母が来る時間だ。妹達と話しをさせ、落ち着かせるように空気を整える。そんな中で俺は母の荷物持ちをしに家の駐車スペースまで歩いていく。母は必要以上を求めず、浪費や散財、贅沢を好まない為、車などの嗜好品になりやすい物も生活への利便を優先した物だ。
そんな母なのだが……。何故か私服は着物であるため着替えや荷物などは嵩張る。まぁ、本人のこだわりだろう。気にしたら負けだ。それを預かり、会話をしながら母の居住スペースまで歩いていく。……母はよく紫杏を注意する。…がこの母にこの娘有りと言うように紫杏は母と父の大雑把でおおらか、何より悪戯心を色濃く受け継いだ。弄り癖は絶対にこの人由来だろうよ。
「私の未来の可愛い娘はどう?」
「別に母さん個人の娘ではないし、そうなれば俺の嫁で二人には姉だよ」
「……そうね。貴方の決める事だから反対はしないけど、あの娘は普通の人間ではないみたいね」
「だろうね」
「あら、随分とわかった様に……」
「俺には一族の力はないよ。でも、人間はよく見て来たつもり。母さんや一族の大人がする見分け方も理解してる。俺ももうガキではないよ」
少し現れたイライラを母は感じ取ったらしくニヤリと笑う。俺が母にそのような態度を見せることが珍しいらしく、母は俺がそういった態度を取ると逆に嬉しそうなのだ。奇妙な事にね……。
母は応接間に紅子を通す様に伝え、紫神、紫杏はともかく、俺まで払って2人で話したいなどと言い出した。まぁ、紅子が無事ならそれで構わないのだが。先に通され、お茶とお茶菓子を前に置かれた状態でフリーズしている紅子。そこに母が入って行く所までは俺も近くにいた。
母屋の設備で最も広い応接間。広いのはいいのだが何に使われていたのか……。会食用と思われる大きなテーブルが2台。側面に華美な彫刻の施されたローテーブル。その横に更に小さな木製のテーブルが1台。ソファや椅子もそれに併せて数がある。そんな中で二人きりだ。
「緊張するなって言うのは無理でしょうけど……ね。ガッチガチなのは私も話しにくいから柔らがないかしら?」
「ひゃ、ひゃいっ!」
「……ぁぁ、えぇとね。とりあえず、お菓子食べて、お茶飲んで、深呼吸して」
「……フー」
「『何っこの子、面白すぎるわ。何より小動物的可愛さッ!!』……えっと、紅子ちゃんでいいのよね? 私が悠染の母で紫苑と言うわ。よろしく」
「は、はぃ。こちらこそよろしくお願いします。お母様」
俺も落ちつかず、工房で近所のお爺さんに依頼されていた品を手入れする。盆栽を手入れする剪定バサミの手入れだ。元から丁寧に使われていた品であるため、大して手は入れていないが切れ味は格段に違うはず。それをそのお爺さんの所へ持って行く所まで仕上げたところだ。思い入れでもあるのだろう。使い込まれていてボロボロな皮の鞘を作り替え、元の鞘も一緒に持ち、そのお爺さんの家へ向かう。
ここは茶畑や何かの野菜を育てている施設などの農地が広がる場所だ。近所とは言うが自転車を使ってちょうど良い距離なのである。そのお爺さんはもう結構なご高齢で畑などは息子さん方々へ譲り、隠居状態なのだという。そこへ脚を運んだ。
「やぁ、いつもすまんね」
「いえいえ、これくらいでしたらお安い御用ですよ」
「うん。いつもいい仕事をしてくれる。これなら金を払わなくちゃならんくらいなのだが……」
「まだ、僕は修行中ですので。それから鞘を作り替えたのですけど、以前の鞘も一緒にありますから」
「……何から何まですまんねぇ」
紅子は大丈夫だろうか。
仕事や俺自身の事よりもそちらが心配で仕方がない。母がどうこうと言うより、紅子が自滅していないかが不安なのだ。紅子はとにかく恥ずかしがり屋で初対面の人などに大して少々大袈裟なリアクションを取る。妹達はかなり急激に慣れた特殊な例だ。我が母は見た目は少し堅い表情で気難しい人……。紅子はかなりビクついていた。
たしかに悪戯や人を弄るのは割と好きな事は否めない。そんな母だが、たしかに意地悪な所はあるが流石に俺達を育て上げた人だから無茶苦茶な事はしない。どのようになっているのか……。
落ち着かないのはどうやら俺だけでは無いらしい。
不安な事や焦りなどから紫神は刺繍を始めていた。彼女は気持ちを落ち着けたり整理したい時、何かを我慢する時なんかによく刺繍をしている。クオリティも高いのでそれらは家のそこら中に飾ってあったり使われていた。紫神は繊細で神経質な分だけ気持ちの揺らぎにも弱く、敏感なのである。
表面上は明るく物事に動じず、若干粗雑なイメージのある紫杏だが……実はこの子は紫神よりもより神経質な所があるのだ。彼女の製作スペースに入り込んで、ずっと彫刻にサンドペーパーを使った仕上げ作業をしている。紫神は整理をつけるのが比較的早い。だが、紫杏は違う。母に紅子を強奪された事も重なってできたささくれを自身がそれを超える達成感や喜びで上書きできるまで何があっても動かない。彼女なりの折り合いが着くまではずっとそうなってしまうのだ。そういう意味では紫杏の方がかなり不安定と言える。
「紅子ちゃんはあの子のどこが好きなの?」
「あ、はい。落ち着いてて優しくて……。でも、悠ちゃんしか僕にくれない独特な話し方とか…間合いとか。そんな悠ちゃんです」
「……『あの子が本心を見せてるのね。それにあの子の小さな感情表現をこの子は見れてる』」
「あ、あの」
「あら、ごめんなさいね。いえね、あの子はあまり外の事を話したがらないのよ。そんなあの子に彼女ができたなんて言うから興味が湧いちゃって」
紫神と二人で昼飯の支度をしていると紫杏が合流してきた。まぁ、今回の事は急に紅子を取られた小さな苛立ちが原因だった様だからな。気持ちの沈静化が短時間ですんだようだ。簡単な物にしかできないがとりあえず人数分の食事を用意し、1時間近く話し込んでいる2人の所へ配膳する。扉越しに母の楽しそうな声と少し戸惑いも感じられるが会話を楽しむ紅子の声が聞こえた。一安心だ。
扉をノックすると母から返事があり、昼食を持って2人の間に配置する。その最中で母へ一応釘を指してもう一度台所へと戻って行く。どうやら母の見極めは終わった様だ。どの様に取ったのかは紅子が帰ってから解る。……母が何と言おうとも俺は、紅子を離すつもりは無いけれども。
「晩酌まで付き合わせるのか……」
「たまの事だしいいじゃない。それとも彼女を取られたのが不服?」
「はぁ……。何とでも言ってくれ」
「それじゃぁ、当事者しか居ない事だし本題に入ろうかしら」
「ん?」
「はい?」
「仕事の前に紅子ちゃんのお父さんに会ってきたの」
紅子は『はっ?』と言う表情のままフリーズ。俺は言わずもがな大きな溜め息を……、初日に紅子が電話してきた時の作為的な流れに納得していた。だが、母はいつもの様な軽口をそこからは交えない。そうなれば幾分か真面目な会話だと言う事だ。どの様な内容かはさておき、母は酒を飲みながら紅子にまずは視線を移した。その時は柔らかな物だ。どんな内容の会話を切り出すつもりなのかはあの表情からは解らない。我が母は心を見る事ができる。それだけにその辺の防御もかなり堅固だ。
「まずは紅子ちゃん。貴女は家に来たい?」
「え、えと、それは……」
「もちろん、悠染の嫁として家に入るかって事よ。貴女のお父さんから切り出された会話はその辺の事なの」
「……」
「まぁ、本人も居るし少し戸惑いも有るわよね。それじゃぁ先に悠染。貴方の覚悟を聞きたいわ」
「覚悟?」
「えぇ。仮に今私が死んでしまったとするわ。貴方は2人の妹とこの子を養って行くだけの覚悟はあるかしら?」
「……当たり前だろう。俺は事がなる様に動く。全てがより良い方向へ流れて行くように務める」
母の表情が一気に柔らかくなる。
その直後に隣に居る紅子に視線を返すと……。
図られた……。どうやらこれは母の策略だったらしい。母は俺が言葉にしたり何かを表すのが苦手な事を良く知っている。俺から言葉を引き出すには緩急が必要な事。何より大切な物を天秤にかける様な事案を用意した方が引き出しやすい事まで見越してね。昼の二人で話したいと言うのはこの為の下準備だったのだろう。紅子は正直で包み隠さない。対して俺は物事を隠す節が強いから。紅子の意思と俺の意志をこれからの指針としてより明確にしたかったのだろうな。
母はそこでもう一度紅子へ視線を戻した。
紅子が俺へ遠慮しているのは俺もよく解っている事だ。俺に合わせてくれている。無理にこの関係に進展を付けるよりゆっくりと変化を付けた方が良いと俺は思っていた。俺も紅子も急変に強くはない。対応はできたとして狼狽えたり、何かしらの弱点を晒す事になる。それを抑えていたのだが。母は彼女の…外部からの刺激で俺と紅子を自立させようとしたのだろうな。
「悠染は気づいたわね。まぁ、紅子ちゃんの嫁入りはお話としてはあるわ。でも、悠染はもちろん、紅子ちゃんにも大学は出て欲しいし、時期もある。だから、紅子ちゃんのお父さんから提案があったのよ」
最近は紅子のお父さんが仕事で色々な土地を飛び回るようになったらしい。そんな中で年頃の娘を一人暮らしさせるには不安が残る。ただ、紅子を預けられる信用できる知人も周りに居なかった。……が、度々彼女から出る俺の名前と母との仕事の兼ね合いなどから紅子を家に預ける事を考えつき……母が否定するはずも無く。
何歳の子供の話をしているのだろうか……。
俺は呆れているが母は恐らく別の意図が見て取れたのだろう。そこには触れずにただただ過保護なお父さんと言う切り口で話を進めている。紅子も若干呆れ気味だが母や家の家族が良いのであれば……などと言っていた。そして、酔っ払いが紅子にトドメの一撃を刺す。
「初孫も早く見たいしねっ。ふふふっ」
湯気でも出そうな勢いで赤面している紅子を双子を呼んでから預け、酔っ払いの振りをしている母に視線を返す。この先は紅子抜きで話したいと言うことなのだ。紅子が居ると都合が悪く、俺と話さなくてはならない事。紅子にも関わりがあるのだろうがまだ彼女には触れさせたくない。そんな部分だ。
「貴方は自分の力に気づいているわよね?」
「?」
「とぼけても無駄よ。母の目が誤魔化せるとでも? あなたは"目"を受け継いでいる。しかも、とても強力で…彼女達の様な女神を惹き付ける物を」
母を謀る機会が来ない事を願うばかりだ。我が母ながらとても恐ろしい。それに母が紅子のお父さんから伝えられた内容と俺の父の血筋との兼ね合い。……俺が男として生まれ、本来ならば母の血筋で女性以外には受け継がれない"目"の力を持つ事。様々に絡み合い始めた。現代、こんな世界にも隠れ、捻れた者達の生活がある。隠れているだけだ。さて、身の振り方次第で事が転がる。慎重に進めなくてはな。
「……と、言うことよ。貴方は私達"蛇神"の物を超えた存在。始祖の血が貴方のお父さんの持つ力に影響されて覚醒した力。貴方は聡い子だから私は縛らない。でも、覚えて居て。力は……加減を間違えると……」
「解ってる」
重なり始め、混ざり始めた。
さて、日常へ帰ろう。俺は荒れた空は嫌いだ。昼寝日和…あの子と出会ったような朗らかな日和を俺は好む。