敵対
お待たせしました。
日も大分傾いてきた王都の道をひたすらに走る。体が悲鳴を上げているようだが、止まるわけには行かない。揺れる視界の中、ヤヨイは妙に周りが静かなことに気がついた。
「人払いの結界だろうな。こっちとしても都合がいい」
前を走る女剣士がそう言った。
人混みに敵の気配が消えるのを防げるからか、距離を取れさえすれば追っ手を撒けるからだろう。
だがヤヨイは、それ以外の事実にも気づく。
(だとしたら、この人達はどうやって)
人払いの結界は、よほど強く意識していなければ防げない。魔法や魔術の知識、そして感知が得意な人間が集中していれば気付けるかもしれないが、なぜ彼らはあの時乱入することが出来たのか。疑問に思ったが、口ではなく足を動かす。
それからすぐに着いたのは、他の建物と同じく煉瓦造りの建物だ。扉の鍵を持っている様子から、彼女の家か何かなのだろう。
「ここなら安全だ」
通された部屋は、ベッドと本棚、机などある程度家具があるだけの部屋だった。促されるままに背負っていたシグレを寝かせる。気を失ったというより眠っている状態に近いが、まだ目が覚める気配はない。
ヤヨイが彼女を見たまま俯いていると、横から濡れたタオルが飛んできた。よく考えてみれば、戦闘のあとだ。使えということだろう。
「あの化け物相手によく耐えたな」
「……魔法を使ったので」
顔を拭いている間、二人はそんな言葉を交わしていた。
女剣士は椅子に座ったまま、ヤヨイとシグレの様子を伺っているようだ。特にシグレの方に目がいっているのがわかる。その妙な距離感に嫌気が差し、ヤヨイは尋ねた。
「えっと、あなたは?」
彼女が何者で、なぜ自分たちを助けたのか。それが今、一番最初に尋ねるべきことだ。
問われてからしばらく彼女は黙ったままだった。鎧を着たままこちらを睨みつけるその気迫が何を思って放たれているのかは分からない。だが、その目はヤヨイが目を逸らしてすぐ伏せられた。
「堅苦しい言葉遣いは無しにしよう。私はアキラ。冒険者だ」
それよりも、その名前の方に興味が向いた。
アキラ。
その名前を聞いたのは、初めてだ。だというのに、何故か違和感を覚える。この国に、この大陸に、果たしてそんな名前の人間が何人いるだろうか。
しかし今考えるべきことではない。たったそれだけで自己紹介は終わったのか、彼女がヤヨイをじっと見つめているのだ。
敬語はやめて、自分達のことを説明しようと試みる。
「俺は、ヤヨイだ。この子はシグレ」
だが、そこから先は言えなかった。まだ彼女を信頼しきれていないからだ。
アキラと名乗った彼女も、深く尋ねるようなことはしなかった。代わりにベッドに寝かせた少女を見て聞いてくる。
「……怪我はないみたいだが、精神的なものか?」
「分からない。でも、さっきの女と知り合いだったみたいだ」
「そうか」
返ってきた声がどこか違った声色で、やはり警戒は薄れなかった。彼女もあの女性を知っているようだったのでそのせいとも思えるが、気を抜くことはできそうにない。
会話が途切れたが、特に話す必要も無いとヤヨイは思った。話すのは後でもできる。
寝かせたシグレを二人して見守っていると、突然アキラが呟いた。
「ん、戻ってきたな」
それからすぐに、誰かが建物に入ってくる気配がした。扉に近づいたアキラが扉を開けると、そこにいたのは先程窮地を救ってくれた少年だった。
「どうだ?」
「手を引いたみたい。ギルドの方からも何人か来たみたいだし」
彼女に外の様子を説明すると、少年はヤヨイの方へと歩み寄ってきた。だが、敵意も緊張も一切無い。
ヤヨイの目は、ただ一点を見ていた。
「ん、僕の顔に何か付いてる?」
「…いや、何も」
首を振って誤魔化すが、それでも視線は動かない。
戦闘中は見えていなかった、少年のその黒髪から。
まだ幼さが残った顔立ちで、年はよく見ればヤヨイと変わらないくらいだろう。人のことは言えないが、この年で冒険者をやっているせいだろうか。どこか年相応ではないその雰囲気に違和感を覚えた。
無事で何よりだ。そう言って、彼はアキラの近くに腰掛けた。
また沈黙が降りてくる。それきり誰も口を開かなくなったからだ。
チラと二人を見れば、どうしたものかと目線を交わしあっているようだ。
「えっと、なんで助けてくれたんだ?」
雰囲気に耐えきれなくなり、ヤヨイは単刀直入に聞いた。
戦闘中の口振りからして、少年には何らかの理由があるようだった。
しかし、答える前に部屋の雰囲気が変わった。
誰かが階段を上がってくる足音がしたのだ。
「敵襲、か?にしては堂々としてるが」
警戒しつつ、アキラは壁に掛けた長剣を取り鞘から抜き、構えた。
数秒後、勢いを消さずに扉を開けたのは──。
「ヤヨイさん!」
ここ数日行動を共にしていたフィオレだった。
大慌てで走ってきたのだろう。二人の姿を確かめるなり、息をぜいぜいと切らしながら膝に手をついている。
「どうやってここに」
「追跡の魔法で追ってきたんです。それよりも──」
怪我はないのか。何があったのか。大方その辺の事情を聞こうとしたのだろう。しかし、彼女の目は、先程まで映っていなかった第三者の方を向いて。
「「あ」」
少年とフィオレの声が、ピッタリと重なった。
建物の壁は崩れ、舗装されていたはずの道は瓦礫が散らばっている。もうすぐ日が暮れるというのに、そんな場所にたった一人で佇む女がいた。壁に背を預け、踵の高いブーツをコツコツと鳴らしながら目を閉じた様子は、まるで待ちぼうけを食らって拗ねているかのようだ。
それからまたしばらく時間が立ち、太陽が山に隠れ始めた。それと同時に、吐き捨てるように女は言う。
「一体どういうつもりだ」
言葉にわずかな怒りを乗せて誰もいないはずの路地裏に届ければ、次第に足音が聞こえてくた。建物の影から出てきた人物は、何の気なしに問いかけてくる。
「何か問題でも?」
女は顔を向けず、左目だけで男の姿を見た。
いつも通りの生真面目そうな顔だが、今は何かを抱えているようだ。深緑色のローブを着て、右手には魔導師の力を引き出す杖が握られている。
それは、敵対する意志のの証明だった。
「手配した逃亡者を引き渡す。そういう手筈だったが」
女がこの国を訪れてから大分経っているが、こんな事態は初めてのことだった。国同士のいざこざを嫌い今まで野放しにされていたはずの自分に、あろうことか冒険者の剣を向けられた。手のひらを返された状況に少なからず驚いているのだ。彼らに、そんな度胸があったのかと。
「こちらで再検討した結果です」
重苦しい雰囲気で、男はきっぱりと告げる。
「あまりこの国を、舐めないでいただきたい」
「……そうか」
喧嘩を吹っかけられたような状況にもかかわらず、女は呑気に頷いて、男に背を向けた。こちらから手を出さなければ、男も戦おうとはしないだろう。
「ならこちらも、勝手にやらせてもらう」
協力など鼻から期待していない。今までは、都合よく彼らが動いてくれただけのことだ。大使として遣わされた彼女の目的は、彼らを見張り、必要とあらば手を下すこと、ただそれだけ。
いずれ来るべき、いや、再び始まる戦争に向けて。
だが、女の脳裏には命令の外、あの少年少女達の姿があった。
(あの一瞬)
思わず腕で遮るほどの極光──一つの星が降ってきたあの瞬間、彼女は見たのだ。自分の使い魔が展開した魔法陣が、ひとつ残らず分解されていく様を。
おかげで、彼女は使い魔を失う一歩手前まで追い詰められた。最も、すぐに呼び戻せばいいのだが。
「少し、面白くなりそうだ」
彼女の国を襲った異常事態の元凶。そして、この国で見つけた存在。それらがどうこちらの事情に関わってくるのか。
女は笑みを零しながら、影に隠れるように姿を消した。
次回は日曜日の投稿になります。
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