凍土
応接室から出て、来た道とは逆の方へ彼らは歩き出した。
どこか心地の良さを感じさせる冒険者達の喧騒は遠ざかり、わずかにざわつく程度に収まる。そう遠くはないが、ギルドの裏にあること建物はそれだけ孤立していた。
大きな扉を抜けた先にあるのは、それこそ何も無い空間だった。
「ここは」
「冒険者のための訓練場、というよりは試験場だ。君のように実力が不確かな者を試す場だよ。危険度の高いクエストを受けるには、それ相応に実力が認められていないと」
床は土一色。闘技場のように踏み固められたそれは、この場所が使い込まれていることを示していた。小さな天窓から差し込む光と魔道具による光源のおかげで、外とそう変わらない明るさだった。
冒険者も職員も誰一人としていないのは、レイロードが取り計らったからだろう。
レイロードはヤヨイの服装をさっと見てから壁に近づいて、掛けられた物を取って放り投げてくる。
「見たところ武器は持っていないようだし、それでよければ使ってくれ」
木剣。
使い古されたその道具は、それこそ訓練用のもの。殺傷性はないが、
「良いんですか?」
こんな物でも、魔法を用いれば簡単に人を殺せる道具になるだろう。しかし、レイロードは頷き返した。
「ああ、それと」
皆から離れ、定位置に着いた彼は笑いながら告げた。
「それこそ、殺す気で来るように。でないと——」
殺してしまうから。
演技が上手いのか、それとも本心からなのか。ヤヨイ達には、その言葉が真実にしか思えなかった。
「ヤヨイ、大丈夫?」
シグレが小声で問うてくる。
心配を隠せないその声音にヤヨイは困った。元宮廷魔導師であるシグレと、それと同等の技量を持つヤヨイ。だが、二人は外の世界を一切知らない。自分達の力がどれほど通用するのかも。
だからこそ、笑って返した。
「良い機会だ」
今度はシグレが困った顔をするが、ヤヨイは無視して歩き出す。
支部とはいえ、一つのギルドを任された彼の力量は確かなものだろう。今後この国で魔物を討伐していく上で、この決闘は無意味なものにならない。
剣を構えるヤヨイは、泰然自若と杖を手に立つレイロードを見据えた。
「それでは、合図は私が」
壁沿いに立つ受付嬢が、鋭い声で言う。
「────始め!」
受付嬢の宣言が試験場に響き渡った。
しかし、じっとしたまま双方共に動かない。
(様子見か)
薄く笑う敵は、杖を構えたままヤヨイを見つめるだけだ。
この戦いは、ヤヨイの力量を測るためのもの。わざわざ自分から動く気などないのだろう。仕方なく、ヤヨイは魔法を発動させた。
「強化」
一瞬でカタをつける。
相手の予想の先へ行くために、自身の肉体に魔法をかけて右足を一歩踏み込んだ。文字通りに距離を詰め、木剣を振りかざす。
ゆっくりと進む時間の中で、ふと天井付近に違和感を感じた。
「ッ!」
とっさに飛び退くと、氷の槍が空から降ってくる。ガラスが割れるような音を鳴らしながら、それは地面へと突き刺さり氷柱を生み出した。
ザザッと地面を踏みながら部屋の端まで跳躍したヤヨイは、それを見て絶句する。
魔法名は不明だが、確かなことが一つあった。目の前の青年は、今の所業を無詠唱でやってのけたということだ。それも、ヤヨイが攻撃を仕掛けるわずかな隙を狙って。
これが、フラキオの魔導師の実力だ。
(やるしかないか)
歯噛みしながら、ヤヨイは再び走り出した。
❄︎
(すれすれで避けるとは)
今度は迂回しながら駆けてくる少年を見ながら、レイロードは分析していた。
今のところ、彼が用いているのは強化魔法だけだ。それも、その性能から見ても彼の奥の手とは呼べない。まだ何か決定打を隠し持っていると見たが、不用意に接近させれば一本取られてしまうだろう。
(だが、これならどうかな)
近づかせずに、相手の手の内を明かすには──追い込む他ない。レイロードは、自分を中心に、等間隔に六つの魔方陣を展開させた。
冷気の刃。
ある仕掛けを施したそれらを、一斉にヤヨイ目掛けて射出する。
彼は方向転換しそれらを避けた。そして地面が軽く砕け土が飛び散る中、速度を殺さずにこちらへ迫ってきた。
その後ろを、水色の軌跡が追う。
追尾。
ヤヨイを対象に魔術式に組み込んだそれが、彼を逃さない。それこそ、軌道を逸らし続けるというような無理な動きをしない限り、避けることは困難だ。この効果が付与された魔法は、操作する必要が無い。そのため、また別の魔法を彼にぶつけられる。
避けられないと踏んだか、ヤヨイが魔法陣を展開させた。だが、その魔術式を見て、レイロードは動揺する。
(何だ、あの魔法は?)
見覚えが無い記号。王都の学院を出た彼ですら知らない文字の組み合わせ。無属性魔法には違いない。それでも何の効果も現れないことに違和感を覚えていた。けれど、それは違う。ヤヨイの魔法は既に発動し、効果を発揮しているのだ。
それに気づいたのは、彼が急接近してきた時だった。
「これは」
追尾の機能が失われていた。
獲物を失った魔法は少しずつ軌道がずれ、地面に落ちていく。
どんな魔法を使ったのかは分からない。だが、こちらの予想を上回ったことは確かだった。
つまり、ここからどれだけ正体を探れるかが、重要となる。
突き出したその木剣は、確かに届くはずだった。
氷の塊が、それを飲み込まなければ。
「ちっ!」
剣を手放し、ヤヨイはまた距離を取る。
小さな氷山に武器を奪われては、攻撃のしようがなかった。たった一つの武器を失えば、後は自分の力に頼る他ない。
(さあ、どうくる)
目を伏せて拳を握る少年は、何かを呟いて右手をかざした。構築される魔方陣は、やはり彼が知らない記号で埋め尽くされていたが、今度はその効力がどんなものか視認できた。
冷気が集まり、武器が生まれる。
「その剣は」
水色の刀身。凍てつくような冷気。その魔力からは、レイロードの魔法に似た気配が感じられた。
詳細は何も分かっていない。ただ、自分の魔法を利用されたことだけは確かだ。
ヤヨイが刀を一振りすれば、冷気の斬撃がレイロードに向けて放たれた。あれに込もった魔力はそれほどに強い。
「氷盾」
魔法で生み出した盾でそれを防ぐが、冷気は僅かに貫通して届いてきた。
ヤヨイは走りながら尚も刃を振るう。全て防ぐことは造作もないが、これでは近づかれて終わりだ。
氷柱を落とし、冷気を爆発させても彼は止まらない。むしろこちらが放った攻撃は、彼の魔法に吸収されているようだ。
(やはり通用しないか。──なら)
杖を地面に突き立てて、目を閉じる。
後で職員に怒られる気がしたが、ここで手を引く気にもなれなかった。少年の覚悟がどれほどのものか、その目で見届けなければならない。
「凍結せよ。その時も、生命も全て」
レイロードが詠唱を始めると、魔法陣が幾重にも彼の足元に生まれた。
そこに踏み込んだヤヨイの足が、一瞬で霜に覆われる。
「絶対凍結」
その瞬間、彼らの周りから熱が消え失せた。
❄︎
「マスター!」
試験場に満ちる冷気に震えながら、受付嬢は呼びかけた。
キラキラと輝くそれのせいで、視界は雲がかっている。見えるのは背後の壁と、すぐ近くに立つ少女──シグレくらいだ。
念の為彼女の様子を窺ったが、彼らの決着を静かに待っているようにしか見えなかった。今のこの状況にも、一切動じていない。
(何かに、気づいて?)
時間が経つにつれ、冷気は霧散して魔力に戻る。それは、魔法が解除されたことを意味していた。
「参ったよ。僕の負けだ」
両手を上げるレイロードと、その首筋に冷気の刀を突きつけたヤヨイ。
氷に覆われた地面に、彼らを取り巻く氷山。術者と彼だけが、魔法の干渉を受けていなかった。
ヤヨイはその判定を聞いて得物を降ろす。どうなるか分からないが、戦いはここまでだと思ったからだ。
そんな戦意を失った彼を、突然地面から現れた氷柱が襲う。
「ッ!?」
それも、彼に触れる寸前で止まる。
どうして。戦いはもう終わったはずだ。
その疑問は、目の前のギルドマスターの顔を見れば打ち消された。
彼が見ていたのは、シグレだった。
こちらに掌を向けている彼女は、見えない魔力を彼に突きつけている。戦いを終えたはずの仲間に刃を向けられ、牽制しようとしたのだろう。
状況はどうあれ、普通ならそれでも罪を着せられるだろう。にもかかわらず、ギルドマスターの宣言は呆気ないものだった。
「うん、確信した。君たちは悪人じゃない」
刃を向けられているとは思えない、安堵の笑みを彼は浮かべていた。
けれど、レイロードは気づいていなかった。
実力を示した彼らの心の内に膨らんでいたものは、見透かされたことへの羞恥でも、その手に踊らされたことへの悔恨でもない。
殺せなかった。
もし、ここが戦場なら。もし、ここがあの場所なら。自分たちは、ただ立ち竦む事しかできない。
そんな現実だった。
投稿遅くなりすみません。体調が悪く寝込んでしまいました。
皆様風邪にはお気をつけください!
追記
勝手ながらすみません。
風邪かと思っていましたがインフルエンザでしたので、今週水曜日の投稿はお休みします。




