疑心
お待たせしました。
海だ。
左側に、長い水平線と、今にも切り離れそうな朝日がある。日の出と同時にこの町に降り立ったシグレには、それが不思議と普段以上に眩しく見えた。
綺麗だな。そう思って、隣を歩く相棒に目を向ける。
ただ前を向いて、いや少しだけ俯きがちに歩くその姿は、ちょっとだけ違和感があった。
いつもの彼ならば、もっと周りを見て、目を輝かせるのではないか。
「ヤヨイ」
世間話でもして、気を紛らわせよう。そんなことを思っての呼びかけだった。
だが、返ってきたのは。
「ん、どうした?」
シグレの呼び声よりも幾分高い、調子の良い声。そして、屈託のない笑みだった。
「あ、えと……何でもない」
そんな、まるで何事も無かったかのような反応をされれば、シグレもそう返すしかない。妙な不安に心を揺り動かされ、胸が焼かれるような感覚に襲われる。
「そうか?なら、早く行こうぜ」
笑顔を崩さないまま歩き出すヤヨイの背中はどこか冷たそうで、シグレは小走りで追いかけた。
❄︎
この町に、いつぞやの港町のような活気はない。
お祭り騒ぎだったあの頃のバルトレアと比べるのも違うだろうが、同じ町の規模でもえらい違いだった。
何せ一番騒いでいるのは、市場ではない、もっと別の場所なのだから。
冒険者ギルド。
やる気のなさそうな某所のそれとはまるで違っていた。酒を飲み交わすグループもいるが、受付は数カ所あり、長い行列が出来ている。
そのうちの一つに、二人は顔を出していた。
「では、こちらの用紙にご記入お願いします」
一通りの説明の後に、受付嬢が紙とペンを差し出してくる。
身分や年齢、出身地などの項目があるその紙は、冒険者の登録願いだ。二人とも文字を書けるので、すらすらと書き進めて行く。
「なあ、シグレ」
突然声をかけられて驚きでもしたのか、隣の少女はびくりとしてからヤヨイを見てきた。
「な、何?」
「ここ、どうする?」
ヤヨイが指し示したのは、出身地の欄だ。
「嘘は……やめた方がいいよね」
「だな。覚悟を決めるか」
名前などの個人情報の次には、冒険者としてのルールがいくつか挙げられ、まるで誓約書のようになった部分があった。
軽く読み通すが、妙なところはない。二人がサインを済ませて紙を手渡すと、受付嬢は確認を始めた。上からだんだんと視線が下がって行くが、ふとそれが止まる。すぐに二枚目を手に取って、やはりある一点で目を止める。
(駄目か)
眼鏡を指で押し上げてから、ヤヨイ達をじっと見つめてから告げた。
「少し、別室でお話を伺っても?」
冒険者ギルドの応接室は、中々に高級な家具が並べられていた。
上質な絨毯。ふかふかのソファ。王城の一室ほどではないが、相当なものばかりだ。そんな部屋で肩身の狭い思いをしながら、ヤヨイとシグレは受付嬢と向かい合っていた。
この部屋に通されてから、すでに数分が経過している。その間物静かな彼女は声一つ発していない。少しお待ち下さいと初めに言ってから、ただじっと二人を見つめるだけだ。受付を任されるだけあって容姿は整っていて美人ではあるが、その冷ややかな視線には文字通り氷漬けにさせられそうだった。
妙な緊張感に息が詰まりそうな気分を味わっていると、この部屋に一つしかない扉が開く。
「お待たせした」
温和ではっきりとした声がかけられた。
入ってきたのは、緑色の堅いローブを着た青年だった。スーツを着たようなスッとした体つきだが、纏っている雰囲気には確かな鋭さがある。
「彼らが?」
「はい」
「こんにちは。私はこのギルドのマスターのレイロード=フロスベルト。いくつか質問させてもらうよ?」
少し長めの茶髪を揺らすギルドマスターは、だいぶ大人びて見えるが、若い。この歳で冒険者の統括を務めているのだから
頷き返すと、受付嬢の隣に腰かけた彼は、持っていた紙をヤヨイ達に見えるように掲げて問いかけてきた。
「この用紙に、嘘の記述は無いかい?」
「……ありません」
今のところは、正直に答える他ないだろう。
「──なら、聞かなければね。どうやってあの国から出てきたんだい?」
どうやって。
誰の力で、誰の助けでここまでやってこれたのか。
そう考えた瞬間、ヤヨイの視界は僅かに曇り出す。
「私が話します。だから……」
何かを言いかけて、彼女は口を噤んだ。
チラとヤヨイを見つめるその姿勢に、彼は大して苛立ちを覚えたりはしなかった。ただ少し、思うところはあったが。
レイロードは二人が語り出すのを待つようにしていたが、時間が経つにつれて困ったように
「すまない、放浪者を見るのは初めてでね。こちらもどう接したらいいものか」
「放浪者?」
「あの国に連れて行かれ、そして命を落とさずに帰ってきた者のことです。一応法律では、彼らの処遇はギルドに一任されています」
受付嬢が静かに、淡々と説明する。
あの国と呼ばれたことなど気になったことはあるが、一番は処遇についてだった。
捕えられるのか。いや、それで済むのならまだ良い。
問題はその先。またあの国に、戻されるのではないか。
そう思うと、ヤヨイは自然と臨戦態勢に入りかけていた。
「安心してくれ。別に取って食おうってわけじゃない」
だが、相手はあくまでも落ち着いた物腰で対応する。
「ただ、こことあちらとでは、常識が違うだろうから。では、経緯については後で聞くとして……君達は、冒険者についてどういった認識を持っている?」
「魔物の討伐など、他の人にできない仕事をこなす職」
「なるほど、要は何でも屋か。なら、まずはそこからかな。この国における冒険者の仕事は、魔物の討伐、遺跡やダンジョンの調査など。主にこれだけだ」
つまり、魔物に対する戦力、ということなのだろう。
結界で守護されているわけではないため、魔物も普通にわくはずだ。
だが、加えられた一言は大きなものだった。
「あくまでも、普段はね」
冒険者には、他に重大な役割が存在する。
それはアイレーン法国には無い仕組みで、だからヤヨイには気づくことができなかった。
「まず、この国に兵は存在しない」
兵がいない。王を、民を守る力が、他国と争う軍が存在しないと、彼は言ったのだ。
「王の私兵はいるにはいるけど、実質的な戦力は冒険者が担っているんだ。つまり、軍事的な権力はうちが握ってる。国の治安を守ったり、隣接した国との和平交渉をするのは冒険者の役割なんだ」
誓約の一つにこうあった。
『緊急時の招集には、速やかに従う。』
つまりその条文は、魔物の災害による招集を指すのではなく、国同士の戦いに駆り出されることを意味していた。
「だから、冒険家として君たちを受け入れるには、それなりの覚悟がいる」
素性も何も分からない移民をやすやすと受け入れることはできない。それは当然で、だからこそヤヨイ達は今まで素性を隠してきた。
「少し、手合わせ願えるかな?」
その突然の提案に動揺したのは、ヤヨイ達だけではなかった。受付嬢が隣の彼を見て声をあげた。
「マスター、何を!?」
「もし彼らが私が食い止められないような手先だったなら、この戦いはもう負けたも同然だ。この町は滅びるだろう」
戦って手の内を見せる。それが、彼らの信頼を得る唯一の方法だ。
つまり、初めから拒否権などない。
「受けて立ちます」
生き続けるために、ヤヨイはその決断をした。
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