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反転

 

「ふむ、やはり何千年経っても、慣れないものだな」


 先程と違い、体の主だった法皇の声で『影』は呟いた。

 何千年。慣れない。彼が何を言っているのか二人には理解出来なかったが、ただ一つ分かったことはある。

 彼らの敵は法皇ではない、ということだ。


「……法皇様に、何をしたの?」


 警戒を解かないまま、シグレは問いかける。そこには、彼女の身を案ずる様子が伺えた。

 一連の光景を目にすれば、そうなるのも無理はないが。


「さあ。何、説明する必要は無い」


 敵意を表すことも、嘲笑うこともしないまま、彼は静かに告げる。


「君は今から、死ぬのだから」


 直後、膨大な闇が彼女の右手から生み出される。

 それは直ぐにシグレへと向かって伸びてきた。


 シグレは魔力の斬撃による迎撃を試みようとしたが、すぐにやめた。闇という概念に、物理攻撃は通用しないだろうと考えたからだ。

 しかし、それを避けるには反応が遅すぎる。見る見る縮まっていく二つの距離は、今の迷いで半分を切っていた。彼女の身体能力では——通常の人間の動きでは、カバーしきれない。


 ヤヨイには、それを上回る方法があった。


 『影』が現れた直後から発動していた強化魔法によって、闇より早くシグレに手を伸ばす。甲高い声を上げる彼女を抱いて再び地を踏んだ。


「ッ!」


 一泊遅れて二人がいた位置を通り抜けた闇は、しかしそのまま消えるはずがなかった。

 不自然なほど鋭角に向きを変え、ヤヨイ達を付け狙ってくる。これでは避け続けたところで意味がない。

 そう悟ったヤヨイは、自身の残存精神力に舌打ちしながらもその魔法を発動した。


「剥奪!」


『影』ほどの手合に、支配魔法が通用するかはわからない。

 だがそれでも、軌道修正くらいはできると踏んでいた。


 が。


「何で」


 結果は、彼が思いもしないものだった。

 確かに発動している。自分の支配魔法は、『影』の闇に干渉している。その手ごたえはあるのに、一切その様子が見られないのだ。


 体にかかる負荷もいとわず、強化した身体を酷使して避け続けているうちに、あることに気が付いた。


(魔力じゃない)


 うまく感知できないのは、影の技量によるものだとばかり思っていた。だが、どうやら違ったらしい。

 この闇は、そもそも魔法ではないのだ。


 ヤヨイの支配魔法は、魔法に干渉するものだ。魔法を学び、それに関する膨大の知識を得たからこそ、それがかなっている。つまり、神の奇跡に対して彼の魔法は通用しないのだ。

 彼は、神の奇跡の実態がどういったものか、知らないのだから。


 ヤヨイの強化魔法は、ゼノ達騎士が扱う魔力強化とは別物だ。魔法記憶容量を一切使わない彼らのその手法は自身の技量によって左右されるが、これは魔方陣というシステムによって制御された強化だ。神秘の力とも比喩される魔力をその身に宿し力に変えるのではなく、強化という概念を持たせて肉体に作用させている。ヤヨイの強化魔法の熟練度は、それを極めた者からすれば石ころも同然──つまり、限界ははるかに浅い。


 闇に捕えられる直前、彼はシグレを突き飛ばした。


「ぐっ!」


「まずは、お前からだ」


 苦悶の声を発するヤヨイを、闇を操作して高く宙へと持ち上げる。

 なぜすぐにとどめを刺さなかったのかは分からない。ただ、死はそう遠くないのだと感じられた。

 闇がその体積を広め、密度を増し、大きな手へと変わったからだ。


 闇色の手がヤヨイを握り潰そうと力を込めた────その時、妙な感覚が、彼の全身を流れていった。

 細い、細い、一本の糸が、ぷつりと音を立てることもなく、しかしはっきりとした感触と共に、千切れるような。


 それでも、時は止まってはいない。意識が溶けるような、眠りに落ちるようなぼやけた視界の中、闇は確かに彼の体を蝕んでいた。


 まだだ。そう呟くことすら叶わないらしい。違和感のせいか痛みを一切感じない中、彼の意識は途絶えそうになって。

 視界の端に、風を捉えた。

 漆黒の嵐が、目の前を横切ったのだ。

 それは闇の手首を素通りし、大きな曲線を描いて『影』を飲み込もうとする。


 どうやらそれは避けられたらしい。

 それでも、ヤヨイを苦しめていた闇は、霧散していた。


「うん、やっぱり」


 その声は、彼のすぐそばから発せられた。


「私の魔法は、やっぱり、人を救うためのものじゃないんだね」


 現実に戻ってきた意識はまだくらくらと揺れていたが、それでも彼女の言葉を、一言一句違うことなく聞き取っている。


「でも、いいよ。この力で──」


 だが、その夢から覚めたような感覚も、少女の姿を前に消え失せた。


「あなたを、守るから」


 漆黒の風が、彼女の周りを、浅く渦巻いているのだ。

 それは忘れるはずもない、彼女と出会ったころに、彼女の心を蝕んでいた、彼女の力。

 死をぶ魔法。それが具現化されたものだった。


 ヤヨイは、たった一つだけ嘘をついていた。


 シグレにかけられた呪いは、未だ解かれていない。

 彼に出来たのは、あくまでも書き換えることだけ。何者かの思惑で仕組まれた彼女の魔法を『逆転』することで、人を救えるものに変えただけなのだ。それが、闇に握り締められる直前、解かれてしまった。


 しかし、今、完全に能力を支配下に置いた彼女の姿を見た瞬間、ヤヨイには彼女の能力の一端が理解できた。


 彼女の魔法が持つ概念、それは、『奪う』こと。

 生き物ならば生命力を。魔法ならば魔力を。

 対象のエネルギーを取り込み、喰らい尽くし、奪う。それが彼女の魔法の根底にある概念なのかもしれない。そうヤヨイは思ったが、あるいは──。


「あなたを守るために、私は戦う」


 それは、きっと、彼女の覚悟で、彼女に力を与える魔法の、詠唱文だ。そのようにヤヨイには感じられた。


 漆黒の風が舞い踊る。

 襲い掛かってくる闇に触れれば最優先度を誇るはずのそれさえも消滅させ、勢いを増しながら、『影』へと躍りかかった。物質の性質など関係なく、エネルギーそのものを奪い取って、力を増しているのだ。


「我が闇さえも喰らうか」


 その様を見て、『影』には何か思うところがあったらしい。

 それを口にすることはなく、ただ音も立てずに俯いて、しばらく。


「ならば」


 無機質な殺意を瞳に揺らして、闇を束ねた。


『影』の右手に、闇色の光が凝縮されていく。

 それはまるで炎のように爛々と輝き、眩さを増していき、そして次の瞬間、弾けた。


「貫け」


 光を超える速度で、彼女めがけて迸る。

 魔法を我が物にした彼女は、それさえも見切っていた。彼女の前に立ちはだかった半透明の風の障壁が、闇を喰らっていく。


 だが、全てを防ぎ切ることはできなかった。受け止め切れなかった闇が零れ、彼女の脇腹を切り裂く。


 血が舞って、体の力ががくんと抜けた。

 それでも、彼女の眼は死んでいない。

 明確な意思を宿し、立ち上がろうと地に突いた手に力を込めている。


「そうか」


 そんな彼女に、無情にも闇は牙をいた。


「であれば、死ね」


 数えきれないほどの闇の槍が、彼女に向けて放たれた。

 戦いの最中、敵は勘を取り戻してしまったらしい。速度も、鋭利さも、先ほどとはわけが違う。


 無駄だとわかっていながら、それでもヤヨイは、走る。

 この身では、受け止めることなどできはしない。だが彼女を抱えて全ての避けるなど、それこそ不可能だ。


 彼女の前に立って、両手を広げて、彼は目を閉じた。


 ────真っ暗な視界に埋もれ、どれくらいの時が経ったかもわからない、ある瞬間。


「俺の子に、何してる」


 聞くだけで彼の体を、心を震わせる声が、その部屋に響いた。


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