幻想
「あなたは、いらない」
そう呟いて、フィナは槍を振り上げる。
それが下りた瞬間、ゼノの首は飛ぶのだろう。彼女を師として慕っていたからか、きっと痛みすら感じないに違いないと彼は思った。
近くに立つ二人の騎士が息を呑むのを感じて気づく。
今のこの状況は、やはり彼らの本意ではないのだ。
騎士団や魔導師団は、法皇の威光の陰に潜む犯罪者達を幾度となく罰してきた。彼らがどういった処罰を受けたのか、ゼノは知らない。彼は訓練を終えてからずっとシグレに付いていたからだ。
少なくとも今までの罪人は、このような形で死を迎えてはいない。その事実を、騎士達の様子が裏付けていた。
だが、どちらにせよ。
ゼノの人生は、この一振りで決まる。
フィナがその手を止めないことは、弟子である彼が一番よく分かっている。他の師匠達も同じくだ。だが、それが命令であればの話である。
なぜ、彼女が命令に従わずに行動しているのか。
それを考えると、やはりその理由は、騎士としての忠誠に近いものだと感じられた。彼女の瞳に、僅かだが意志のようなものを垣間見たからだ。何のためにその槍を構えているのかは分からない。
ただ——ゼノも、ここで終わるわけには、旅を終えるわけにはいかなかった。
「はっ!」
無駄だと知りながら、それでも一片の希望にかけて、その駄剣を仰ぐ。
騎士に与えられた、宝剣と肩を並べるほどの槍と、訓練用の鉄剣。どちらが優れているかは語るべくもない。
衝突した瞬間、魔力制御の賜物か一瞬動きを止めるが、すぐに片側がその刃を散らす。
刃先はそのまま、ゼノ目掛けて突き出された。
が、それでもまだ、彼の意志は消えない。
その瞳に光を宿したまま、待ち構える。
──その時、その場の誰もが予想だにしない出来事が起こった。
落雷。
紫色に輝く光が、次々と空から降ってきたのだ。
「ッ!」
それは、見ていることしか出来なかった騎士達にさえ躍りかかる。
(今!)
そのイレギュラーに、ゼノはいち早く反応した。
雷がフィナを襲ったことで、隙ができたのだ。
三人から距離を取るために跳躍した。
全身に走る激痛を無視して、木々を足場に跳び続ける。
だが、彼女達もこの国の、騎士団の精鋭だ。
雷を瞬時に見切って、背を向けたゼノに向けて各々が攻撃を放つ。
弓を構えていたケイルはもちろん、デュークは短刀を飛ばし、さらにはフィナは槍を投擲した。
魔法による弓は、彼の魔力感知でもその動きを機敏に把握出来た。奇襲で心が乱れたのか、生成された矢に込められた魔力が荒かったためだろう。
だが、続く二つの追撃はそうはいかない。
恐らくデュークは、矢を避けることさえ読んでいた。心臓に向けて的確に放たれたそれは、体勢が悪く四肢で防ぐことさえままならない。そしてフィナの槍に至っては、逆に狙っていないからこそ不可避の一撃になっていた。
ゼノには分かる。
恐らく、あの一撃は──。
近接戦闘とは思えないほどの爆音が、森に響き渡った。
「やったか!?」
ケイルが叫ぶように問いかける。
彼の目には、いや、騎士達にはその瞬間が見えなかった。
フィナの投擲をぎりぎり彼が避けた直後、槍は地面に突き刺さり、そして乱暴に押し込められた魔力が一気に放出された。爆発系統の魔法でさえ、これ程の威力を出すには相当の技量が求められるだろう。彼女はそれを、ただの魔力制御だけで成し遂げた。
土煙が晴れていく。
デュークは、外していないことを確信していた。
まだまだ未熟ではあるが、速度重視の彼でもあの攻撃
は避けられない。少なくとも手足の一本は持っていけたはずだ。
だが、そこに現れた光景は、またも予想外に過ぎたものだった。
「え?」
彼が──武器を構えているのだ。
そしてその背後には、一人の少女が凛と立っている。
その手で長剣を握り締めていた。
訓練用のものではない。そんなものとは比べ物にならないほど輝く、青い刀身。装飾は少なく、武骨だが、それ故に強さが嫌でもわかった。
彼がこの剣を手にした方法。それは、召喚したわけでもなければ、魔法で生み出したわけでもない。
剣の方から降ってきたのだ。
一足先に槍が辺りを吹き飛ばし、その衝撃が彼を襲う直前のことだ。虚空から突然剣が現れ、彼はすぐにそれを手にとって魔力を込めて振るった。
他に方法が思いつかないのでただ適当に薙いだだけだが、その一撃は衝撃を完全に相殺していた。現に彼が踏みしめた大地は、彼の手前までしか砕けていない。
そして、更に驚いたのは。
「どうやってここに?」
彼が忠誠を誓った少女──シグレが、彼の目の前に姿を現したことだ。少し離れた場所から、身を隠すことなく彼に掌を向けている。その手には魔法陣があり、ゼノの身体は少しずつ回復していた。
問われた彼女は魔法を行使したまま口を開こうとするが、それは遮られてしまう。
「何で」
「っ!?」
小さいが、それでも体の芯まで凍りつかせるように響いたその呟きが、彼らの動きの一切を止めたからだ。
「何で、ここにいるの?」
その瞳には光が無く、憎悪のようなマイナスの感情は見られなかった。
「もう彼を、傷つけさせない」
しかし、問いかけにシグレは答えない。
自らの覚悟を語り、目を逸らさないままきっぱりとそう告げた。
その時、傷が完治し、痛みも消え。
それを目視したフィナは、空中に手をかざした。その手の辺りに影が指す。気づいた時には、まるでどこかからか取り出したように大斧が握られていた。
シグレをもう一度見やれば、彼女もゼノを見つめて頷く。頷き返し、彼は目の前の敵に剣先を向けた。
「…………」
見つめ合ったまま、しばし時が止まったように動かなくなる。やはりここは別空間なのか、ゆっくりと吹く風音と、木々の葉が擦れる音だけが鳴っていた。
その瞬間は、突然訪れる。
少し前の開戦とは訳が違う。鎧の有無を除いては万全の状態でゼノは斬りかかった。
刃がぶつかり、盛大に火花が散る。魔力が込められた長剣は、大きさに怯むことなく相手の一撃に耐え、それどころか勝っていた。
「!」
軽く退けられた女騎士が僅かに目を見張る。
正直な所、彼自身も驚いていた。
身の丈に、そして彼の腕に、技量にさえ合わせて創られたその武器は、正しく彼と一心同体に戦っていた。
(これは、あの人の)
これならば、全力を出せる。
そう確信して、ゼノは空気中にある魔力を、可能な限り剣に注ぎ込んだ。
それを隙と捉えたか、元師弟の戦いを呆然と見ていた二人は攻撃を仕掛けて来た。
風を纏った鋭い矢の嵐。短剣による無数の斬撃。
だが、防ぎきれる筈もないその攻撃を、彼は完全に見切り、そして、受け止めきった。デュークに勝る速さで受け止め、それ以上の力で押し切る。矢はその剣の魔力に、たった一振りで逸らされた。
「なっ!」
拳に荒ぶる魔力を込めて、少年の腹に叩き込む。
吹き飛ばされた騎士は木々を薙ぎ倒しながら、やがて止まった。
「嘘だろ」
呟くケイルの背後に一瞬で回り込み、剣を振り下ろす。弓で防がれたが、続けて斬撃を放ちつつ、蹴り飛ばした。
彼の戦闘スタイルは、最早先程とは別物だ。
彼らには、ゼノの姿がある騎士と重なっていた。
騎士団長、アレウス。この国最強の男だ。
その力の使い方は、彼に近いものがある。だが、それとは明らかに違っていた。彼と違い、ゼノは技量を落とさずに力を発揮している。暴力ではなく、圧倒的剣技でもって使いこなした力で、彼らを打倒している。
今この瞬間、彼は理想にたどり着いた。
憧れた、騎士団長と、物語の騎士。
それらが合わさった、師匠らさえもをを上回りうる幻想の騎士が、覇気とともに剣を構える。
今後この時間で行きます!
やっとこのシーン書けた!
すみません、訳あって投稿が月曜に遅れます。
楽しみにしてくださっている方、本当に申し訳ありません。




