大盾
大変遅くなりすみません。
光のオーラが王都の一角を覆う様を、騎士達は眺めていた。
その魔力の反応に驚愕する者、感嘆の息を吐くも者、そしてただ無機質な眼差しを向ける者。共通することは、そこに賞賛の意があっても否定的な感情が一切無いことだ。
あれが自分たちの知る聖女の実力だと、信念の形だと、彼らはただ想っていた。
しかし。
「仕留めるには至らないか」
大盾を背負う騎士はそう嘆いた。
何が迫ってきたのかは分からないが、その怖気が降って湧いてくるような獰猛な気配はまだ残っている。
いかに彼女であろうと、攻撃と防御を両立することは難しいのだろう。彼女がいるからといって、南に魔導師の主戦力が送られたことも原因といえる。
けれど、そう時間はかからない。
聖女が力の大半を使い果たしたのと同様に、その魔物も大分消耗しているはずだ。
問題があるとすれば──。
「クレイド」
槍を背負った桃髪の騎士が、彼に呼びかける。
「そろそろ、来る」
「……そうだな」
常日頃と変わらない締りのない顔でフィナがたったそれだけ言うと、クレイドは神妙に答えた。
「え、何がですか?」
そのいかにも深刻そうな会話に、不安そうに二人の顔を見比べる少年騎士が一人。
茶色の髪を揺らして頭の上に疑問符を浮かべるデュークだったが、屋根の上で敵影を探すケイルに宥められた。
「落ち着け。何かあればちゃんと指示が出るさ」
「……ホントですか?」
上司を信頼するような口振りに、デュークは疑いの視線を返した。
普段の、いや、この戦いの最中さえも最低限の仕事だけをこなす姿勢を崩さない先輩の言葉は、彼にとって信用しがたいものだ。
五歳も年下の少年にそんな反応を返されると思っていなかったのか、目に見えて動揺したゲイルだったが、すぐにいつものようなからかう口振りに戻る。
「そもそもフィナ姉はともかく、うちのリーダーは単独じゃ戦えないんだからその分指揮を執ってくれるはずだぜ」
「俺のことを言っているのか?」
短い銀髪と同じ色の瞳は、苛立ちを露わにしている。
けれどそれでも、兼ねてから疑問に思っていたことを聞き出すために、さらに踏み入る。
「そうっすよ。だって先輩、武器持ってないじゃないですか?」
彼を見上げる騎士の背中には確かに身の丈を超えをそうな大盾があるが、それ以外には短剣も含めて武器を一切身につけていない。
それにもかかわらず、彼は騎士団序列三位という実績を持っていた。彼がその地位を獲得したのはもう十年以上も前のことなので、ケイルは彼の実力がどんなものか知らないのだ。
騎士団の序列戦は、年に一回行われる。
これは法皇の提案で始まったものだが、公式戦と呼べるようなではない。下位の団員達ならば少しでも自分の実力を認めてもらおうと動くのだが、上位の騎士達からしてみれば基本的にはどうでもいいからだ。
そして、ケイル=トクターはその例外だった。
少しでも高い場所に辿り着きたい。
その意志は、騎士団に入隊した時から変わらなかった。
だからこそ、序列戦に参加していない彼の実力が気になっている。
「俺には、この盾さえあれば十分だ」
「盾で神獣が倒せるんですか?」
そっと自分の武器を手で撫でる。
そこには何か感慨深いものでもあるのか、その声は独り言のようだった。
それでも剽軽にも見える態度を崩さない若い騎士に、部隊長である彼は笑みを浮かべた。
「なんなら、試してみるか?」
それは神獣を相手にするという意味ではなく、目の前の部下に対する言葉だったが、ケイルは気づかないふりをする。
「それじゃあ、先にどっちが大物を倒せるか勝負しましょうよ」
「いいだろう」
それでも彼は態度を変えなかった。
馬鹿だが頭の回る部下に接する上司としては、正しい対応かもしれない。
今度は上下に忙しなく首を動かしていたデュークだが、その首がふとした瞬間フィナに向いた。
そして、魔物の気配にも何ら動じることのなかった少年は、固まる。
「────」
女騎士の目には光が映っていなかったのだ。
他に変化があるとすれば、それは先程少し戦ってから背負い直した長槍に、ゆっくりと手が伸びているということ。
いつものような感情の希薄さではなく、それこそ無機質な、人形のような顔をしていた。
「──来た」
ただそれだけ呟けば、雷が落ちてくる。
ここら一帯はすでに住民の避難も完了している。
もし、していなかったとしたら。
数十軒もの建物の崩壊に、巻き込まれていたかもしれない。
「うわっ」
慌てて不安定な姿勢で飛び退けるデュークは、空中で敵の姿を視認した。
真っ黒な鱗に覆われた、巨大な龍だ。
屋根にいたケイルも石レンガの流れ弾に当たらないよう高く飛び上がり、頑丈な弓や手足でそれらを退ける。
別の通りの屋根まで後退した彼らの側には、ほかの騎士の姿はない。
「た、隊長!?フィナ先輩!?」
デュークが直前まで自分がいた位置に視線を向ければ、そこには確かに二人がいた。
背負っていた盾を解放し地面に突き立てているグレイドと槍を構えるフィナは、どちらも無傷らしい。
「おまえ」
「──前」
フィナの掛け声に、クレイドは冷静に盾を構え直した。
先程瓦礫から身を守った時とは違い、殴るように突き出された右前脚は彼をしっかりと捉えていた。
巨龍の攻撃はその重量もあって破壊力が高いはずだが、その強い衝撃にもクレイドは易々と耐えてみせた。
そして、フィナは。
「!」
掛け声と共にすでに駆け出し、真正面から巨龍に突進していた。
クレイド目掛けて突き出された脚のギリギリ横をすり抜け、すでに龍の眼前まで迫っている。
渾身の力を込めて、構えていた槍を勢いそのまま突き出した。
耳障りな音が衝撃波となって響く。
龍の鱗は頑強だった。ましてや巨龍のそれともなれば波の攻撃では通るはずもない。
フィナはこちらに敵の意識が向くだろうことを予測し、再度駆け出す。
そして、跳んだ。
龍の召喚によって飛び散った瓦礫は、まだ空に無数にあった。未だ飛来してくるそれを足場に跳躍を続け、さらに高度を上げていく。
「おい、二人とも」
遠巻きにそれを眺めていたクレイドは、後方で唖然としていた二人に声をかけた。
「フィナに続け」
その指示は小言のようだったが、彼らの耳に届く。
逡巡した二人だが、片方は笑い、もう片方は真剣に頷いた。
「では、援護お願いします」
「任せとけ」
デュークは足に魔力を込めて踏み出す。風のように颯爽と翔ける彼の姿は、龍の目でさえ影を捉えるのでやっとだ。
特徴的な形をしたナイフを構え、建物の隙間を、瓦礫の影を走り抜ける。それでも龍は彼に狙いを定め、尻尾で叩き潰そうとした。叩き潰したはずだったのだが、その姿はない。
これは、彼の能力によるものだ。
動揺した龍の首筋に、浅い、しかし長い傷が生まれる。
「グッ!」
自身の体に傷を付けられたことに、何か感じるものがあったのか。龍は魔法で辺り一面を焼き尽くそうと、魔法陣を創り出す。
けれど、その行動さえも封じられることになる。
ケイルが死角から弓を射る。
その弓は魔道具の一種だ。魔力を込めれば自動的に矢が生み出され、それとは別に神の加護も付与された特別製だ。
そして、それを操るのはこの国随一の弓兵である。
その一矢は精確に、龍の目を貫いた。
発動しようとしていた魔法が失敗し、口の中で暴発する。
「トカゲが」
龍は次々と迫ってくる敵影に混乱したのか、暴れ出そうとしたが。
(今度こそ)
龍の首ほどまで飛び上がった女騎士が、流星のように降ってくる。
高度を生かした槍の突きは、魔法すら簡単には通さない鱗を容易に砕いた。
右脚を砕かれた巨龍は、上を向き叫んだ。
龍の威厳が感じられるはずの咆哮からはそれが感じられず、まるで悲鳴のようだ。
「…………」
「凄い」
続けて放たれた一撃は、その三人のものではない。
裂帛の気合で飛び込んできたのは、その重量を思わせないほどに速い弾丸。
本来防御にのみ使われる大盾から放たれた強烈な盾払いは、龍の頭を捉えた。
「……マジかよ」
落雷など比にならない怒号が轟く。
地面に叩きつけられた龍の有様に、ケイルは乾いた笑みを零した。
そろそろ主人公の出番が、来る……?




