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夢現

 

 湯面に波紋が広がる。


 急に立ち上がったシグレは、いつでも戦闘態勢に入れるように身構える。相手が自分に気づいたかはわからないが、少なくとも怪しくは思っていたはずだ。

 この国の民に黒髪はいない。

 少なくともシグレは、他国から連れられて来たヤヨイと自分以外に、そんな人物を見たことはなかった。つまり、今この国で黒髪の少女といえば、シグレしかいない。


 と、彼女は思っていたのだが。


(……あれ?)


 しかし、桃髪の女性は後ろで束ねたポニーテールを揺らすことなく、湯船に浸かったままでいる。疑いの視線どころか不審な行動をとったシグレに、警戒すらも抱いていないらしい。ただじっと目を閉じている。


 一体どういうつもりだろうかと、そう考えた時に、その声はかかってきた。


「寒くない?」


「……はい?」


「だから、そんな所に突っ立ってないで、ちゃんと肩まで浸かったら?」


 自然体で注意をしてくるその様子に、何だか自分が間違っているような感覚に襲われて、大人しく腰を下ろす。


 シグレは視線を向けることなく、気まずさを感じながら、しばらく湯面に浮かんだ自分の顔を眺めていた。


「あの子、どうしてる?」


 そんな問いが投げかけられたのは、そんな気分も薄れてきた頃。

 突然の、何の敵対心も感じられない問いに面食らったが、おずおずと彼女は答えた。


「元気に、してますよ」


「そう。なら良かった」


 そして、また静寂が訪れる。

 時々鳴るただ一つの音が、何度も何度も繰り返された。その間シグレは、自分の体に妙に力が入ってしまっているのを実感しながらも、どうすることもできないでいた。


 そんな気配を悟ったのか、相手の方からまた声がかけられる。


「勘違いしてるみたいだから、伝えておく」


 そんな前置きから続いて言われたことは、シグレに驚きを与えた。


「私たちは、君やあの子みたいに、紋章に縛られてない。つまり、ここであなたを見かけたからといって、即捕えて牢屋に送る義務はないのよ」


 それはつまり、少なくとも目の前の女性は、この国で数少ない、自由を得ている人間ということだ。


 シグレはてっきり、教会に籍を置く他の人間達も皆、自分と同じ境遇にあるのではないかと思っていた。仲間だった彼らも、いずれ自分のように気づかされる時が来るのではないかと。

 そんな憶測は、今の女性の一声で一蹴された。


「でも」


 しかし、それが真実だとしても、疑問は拭いきれない。


「今の私たちは、あなた達の敵でしょう?」


 女性は「はあ」とため息をついてから、話し始める。


「私ね、温泉が大好きなの」


 いきなり何を言い出すのか。


 そんな思惑を意図的に込めて眉根を寄せてみるが、それでも彼女は右目だけ開いてこちらを見つめたまま続けた。


「ここはね、敵だの味方だの関係なく、ただ体を清めるためにあるのよ。こんな所でそんな物騒なことをしようだなんて思わない」


「はあ?


「それに、そもそも私は君達を敵だなんて思ってない。だって、身分不詳の少年はともかくとして、君達がそんな悪者でないことくらい知ってるから」


 それは良い方に捉えれば、彼女はシグレたちを信じているということになる。


 敵ではないと初めて告げられたシグレは、どこかホッとしたと同時に、何ともいえない微妙な感覚を覚えていた。

 すると、女性は音をたてて立ち上がる。


「もう上がるんですか?」


「ええ。あ、せいぜい気を付けなさいよ。ここを出たら、気が変わるかもしれないから。あと——」


 ここでのことは、秘密ね。

 そう言って、湯船から上がって、出入り口へと歩いて行った。


 複雑な心境のまま、どうしたものかとシグレは思案する。


「あ、そうだ」


 すると、何かを思い出したような声が聞こえた。

 振り向けば、今度はしっかりと正面からこちらを見据えていた。紫の瞳からは何の感情も見えない。


「最後に一つ、聞いておきたいことがあるんだけど」


「何ですか?」


「あの子は、まだ夢を見てる?それとも——」


 もう、現実にいるの?


 そんな質問を投げかけられて、シグレはどう答えるべきか迷った。

 あの子、というのが誰なのかも。この人物が、何者であるかも分かっている。しかし、今の彼の状態がどういったものなのか、主人であるシグレですら測りきれてはいないのだ。


 ただ、一つだけ言えることがある。


「……少なくとも、魘されるような悪夢は、見てません」


 前のように盲目に、幻想を無理に体現しようとはしていない。

 そんな意味を込めてそんな言葉を放てば、彼女はしばらく黙ったまま、ただ一言呟く。


「そ」


 女性は再び歩き出し、浴場を去っていった。

 シグレは彼女——ゼノの元同僚であり、同時に師の一人であった騎士の後ろ姿が消えるまで、目を離せなかった。



 ❄︎



 サンサンと太陽が真上から照らす中、ヤヨイとシグレは王都の外れにある森の中を歩いていた。未だに武器を持っていないゼノには、別の仕事を任せた。


 魔導師である二人が受けた依頼は、この森の生態調査だ。何かを討伐するでもなく、ただ森を歩いて見回って欲しいというだけのクエスト。依頼人が多い故に、報酬もそこそこ高かったので受けたが、その不自然さに違和感を感じざるを得ないヤヨイであった。


「どうした?」


 もっとも、そんな風に尋ねてしまうほどさらにおかしいと思える存在が、彼のすぐ近くに居たのだが。


「ううん。何でもない」


「そうか」


 どうにも先程から、いや、正確には昨日の晩から、シグレの様子がおかしいのだ。

 何か悩み事でもあるのだろうか。自分では力になれないだろうか。

 そう考えるが、ヤヨイは決して口には出さない。彼女が伝えてこない限りは、そっとしておこうと思った。


「この辺り、だよね?」


 だから、自然でありながら、どこか誤魔化すような質問にも、気楽に答える。


「ああ。この先には鉱山があって、前に迷い込んだ鉱夫が妙な気配を感じたのがきっかけだそうだ。何でも他の住民も人影を見たとかで、依頼が発注されたわけだが——」


 ヤヨイは遠くを見据えて、立ち止まる。


「俺たちが受けて良かったな」


「それって」


「ああ、魔物の気配だ」


次回から結構物語が動き始めると思われます。

アクセス数が多い時があり、嬉しい限りです。

こんな堅苦しい文章ですが、今後ともどうか宜しくお願いします!

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