王都
「結局、何の収穫もなしか」
「ヤヨイは、あの人の話、信じる?」
いつも通りの透き通った静かな声で、シグレはヤヨイに問いかけた。
以前、今回と同じような経緯で女神と遭遇した時、彼はずっと彼女を疑っていた。
出会い方が悪かったのもあるが、彼がもともと人間不信気味なのも原因の一つだろう。
「まあ、嘘をつく理由が見当たらないしな」
しかし、もう何度もそんな出会いを繰り返したヤヨイは、いちいちそんな考えを持つのをやめていた。
「それに、相変わらず、妙な気配は感じないんだろ?」
「ああ、何か仕掛けてくるにしては、遅すぎる」
人の敵意を察知するのがこの中で最も得意であろうゼノが言うのだから、間違いない。
狩人を村まで送り届けてから、はや三日が経つ。
魔物に襲われたとはいえ、怪我をした男と遭遇しただけのことだ。魔物に襲わせるにしても、警戒させるだけだろう。もしかすると、これは自分たちに向けられたものではなかったのかもとヤヨイは思ったが、口にはしなかった。
「王都に着いたら、そのことについても情報を集めないとね」
この間のこともあるし、と彼女は付け加えた。
シグレが言っているのは、先日戦ったヤヨイの仇敵のことだ。
五年前にヤヨイとその父の存在を役人に密告し、先日は女神を生贄に特殊な魔物を作り出した彼は、その戦いの最中行方をくらましている。その能力の異質さから、おそらく近年多発している魔物の大量発生も彼の仕業だろう。
ゼノの言い分では、アレウスという名の騎士団長が彼を追ったに違いないらしい。騎士らしさが微塵も感じられない男ではあったが、法皇への忠義は強く、任務とあらば全力を尽くすようだ。
「噂をすれば、見えてきたな」
そんな彼らが住まうアイレーン法国の中枢都市が、木々を抜けた先に見えた。
急にあらわれたのは、彼らが歩いていた場所が、山の中腹だからだろう。
中央にそびえる城に、円形の壁に囲まれた町並み。
立派な城壁に囲まれたこの国最大の都市は、崖の上からでもそのすべてを見渡せないほど広かった。
「ここが王都か!」
巨大な壁を潜り抜けた先には、行き交う人の波と絶えない喧騒がヤヨイたちを待ち構えていた。
王都というだけあって通行人たちの服装も装飾があるものが多い。と言っても、この国は共産主義に近いので、実際の収入は皆ほとんど変わらないのだ。服装が違うのは、手に入れられるか、そうでないかの違いだろう。
「最後に来たのは、半年近く前だったか」
「うん」
「なあ、それで、まずはどうする!?」
相変わらずの景色に感想を言い合っていた二人に、ヤヨイが勢いよく今後の予定を相談した。
そのおかしな勢いに気圧されながら、ゼノは
「そうだな、宿をとるのがいいだろう」
「私の行きつけが──あ、いや」
自分が時々利用していた宿を勧めようとして、シグレは気が付いた。
彼女たちは、表ざたに放っていないものの、指名手配されているはずなのだ。検問のようなその場限りで出会う人には認識疎外の首飾りが通用するものの、行きつけの店を使うのは危ないだろう。
どうしたものかと思案していると。
「じゃ、せっかくだからいいとこ見つけようぜ!それも旅の醍醐味だろう!」
そんな彼女に気を使ったのか。いや、気を使っていなくともそうしたに違いない。
ヤヨイはそう言って走り出し、きょろきょろと周囲をせわしなく見回し始めた。
そんな彼の姿を目にして、先ほどから触れられなかった疑問をシグレは口にする。
「なんであんなに輝いてるんだろう?」
「俺に聞くな」
実のところ彼の様子は、あくまでシグレたちが見る限り、王都に着いてからおかしくなっていた。
何かとこれから入る街の様子や建物、料理に関することを二人に訪ね、検問を潜り抜けたところで先ほどの第一声だ。普段からどこか年の割に大人びてた雰囲気を知っている彼らからすれば、違和感がぬぐいきれない。
一体、彼に何があったというのだろう。ここと同じように栄えていたバルトレアで出会った時も、旅の最中も、こんな様子は──
「……あ」
「どうした」
そこまで考えて、シグレはある可能性に行きついた。いや、もはやこれで確定だろう。
「ううん」
シグレは首を振りながら、くすくすと笑っている。
「彼はずっと、隠れて生きてきたんだったなって」
「それはどういう──なるほど」
先ほどからヤヨイのテンションがやけに高い理由。
それは、彼がずっと辺境に暮らしていたことにあった。
この国の人間は、そういった仕事でもない限り、基本的に地元を離れることはない。
山奥に住む者たちは買い物で近くの町まで出ることはあっても、わざわざこんな巨大都市を訪れる必要もないのだ。
ヤヨイは五年前まで父親とどこか遠くの町に隠れ住み、つい数か月前まではケラハという村に住んでいた。
バルトレアは港町として栄えているが、彼にとって都市というものは、ここが初めてなのだろう。
「しかし、いつまでも観光気分で浮かれられては困るぞ」
「うん、まあ、ね。でも」
ちらりとシグレが周囲を見渡せば、ゼノが危惧したようにヤヨイハ視線を集めていた。
のだが、それは彼の行動を怪しむようなとがったものではなく、どちらかと言えば、初めて見る景色にはしゃぐ子供へと向ける、温かい視線だった。
「ちょうどいいかも」
「俺も止める気はない。たまにはこういうのもいいだろう」
「……やっぱり、少し変わったね」
「何か言ったか?」
「なんでもないよ」
弾む声でそうごまかして彼女は、ゼノに表情を見せないように歩き出した。
少し前の彼ならば、やはり気を張り続けていただろう。周囲を警戒し、ヤヨイやシグレにすら、未だよそよそしい態度をとっていたはずだ。
だが、もうそんなことはない。
ある程度先に待つ同年代の少年へと視線を向けた少女は、しかし突如その足を止めた。
(なに、これ)
(見られてる?)
しかし、ヤヨイは相も変わらず見物したままで、ゼノも何か指摘してくる様子はない。
自分だけが、気づいているのか。それとも、ただの気のせいなのか。
得体のしれない感覚を無理やり抑えこみ、気配を探る。しかし、その不自然さの根源がなんなのか、掴めない。
数秒もすれば、その感覚は、何事もなかったかのように掻き消える。
「おーい、シグレ、ゼノ、早く行くぞ」
彼女を現実へと引き戻したのは、そんな浮かれた声だった。
「あいつは」
その後、大声で名を呼ぶな、とゼノに叱られたヤヨイは、子供のようにげんなりして反省を色濃く見せた。
そんな彼らの様子に、シグレは考えすぎだと首を振って、歩き出した。
❄︎
「…………」
「…………」
「…………」
三人とも黙ったまま、席についている。
何か品物を待っているわけではなく、ただシグレが話し始めるのを待っているのだ。
なぜこのような重苦しい雰囲気になっているのか。それは、今三人がいる場所も関係が無いわけではなかった。
しばらく王都を歩き回って見つけた宿は、ヤヨイにとって素晴らしいものだった。
旅館だ。
ヤヨイの知識にある、和風の旅館だ。
王都だからといって他の場所とは大した差がないと言われ普通の宿は断念していたが、これには彼も驚かされた。
見たことのない、知識として知っているだけの建物が、目の前にある。それは嬉しい以外の何物でもない。
ただ、一つ不満があるとすれば。
「何で、三人部屋なんだよ」
そう、この部屋は、シグレも含めた三人部屋なのだ。
ヤヨイの質問に、目の前に正座している彼女は、真剣な眼差しで口を開く。
「実は」
ガチャリ。
机の上に置かれたのは、ヤヨイがシグレに預けておいた、彼の貯金だ。彼女が金銭の管理を名乗り出たのだが、その面持ちとは裏腹に、まだまだ余裕があるように見える。
一瞬、彼女の口から突きつけられる事実が脳裏に浮かぶが、ヤヨイはすぐさま否定した。
有り得ない。あっていいはずがない。
しかし、返ってきた言葉はそのまさかであった。
「もうすぐ、このお金も全部なくなるの」
「ちょっと待て、いや待て!おかしい!おかしすぎるだろ!俺これでも結構稼いでたはずだぞ!現にここにはまだ────もうすぐ?」
「うん」
俯きがちに語り始める彼女の姿は、この話が真実であることを裏付けているようにも見える。
「買わなきゃいけないものがあって」
「まさか」
「そう。ゼノの装備」
前回の戦いで、ゼノの鎧と剣は修復不可能なほどに破壊されてしまった。
つまり、今彼は何の武装もしていないのだ。
「その出費も含めると、貯金が全て無くなります」
「本当にすまない。最悪の場合、俺はその辺の安物の剣でも」
「いやそれはダメだろ」
素手で戦うことも不可能ではないだろうが、不測の事態が起きて騎士団の面々と戦わなければならなくなった場合、不安要素が大きい。騎士団には団長以外にも彼より強いものがいると聞いているヤヨイは、気が気でなかった。
つまり。
「つまり、私達がすべき事は、情報収集でも、敵情視察でもなくて」
その先の言葉を、ヤヨイは聞きたくなかった。
「生活費を稼ぐことなの」
「……ああ、そう」
今度こそついに旅気分が消え失せたヤヨイは、がっかりしながらも現実を噛み締める。
働かなければ生きていけないという、地獄を。
大変遅くなりました。今後は3日毎に出来ると思います




