救済
ヤヨイがユイと出会ったのは、五年前、まだ村に来たばかりの頃だった。
村の人間と衝突してばかりだったヤヨイだが、ユイとその家族だけは、笑顔で受け入れてくれたのだ。
「うちの子、まだ幼いので、良かったら面倒を見てもらえませんか?」
そう頼まれ、住まわせてもらえるようになった。
父を失ったばかりだったので、誰かと関わりを持つなど、況してや、子供のお守りなど全く気が向かなかった。
「おなまえは、なんていうの?」
最初に話しかけてきたのも、ユイの方だった。
無邪気に笑い、ヤヨイの気も知らないで何度も声をかけてくる。同年代の子供がいないと聞いてはいたが、だからと言って仲良くなる気にもなれなかった。
「どこからきたの?何であそぶ?」
他人というものを嫌っていたヤヨイは、子供といえど気を許せるはずもなく無反応を貫いた。
だが、気づけば彼女は姿を消していた。
そういえば、かくれんぼをしようなどと、了承を得ることなく走り去って行ったように思える。
世話を引き受けた以上、放って置くわけにもいかない。ヤヨイは、渋々ユイを探し始めるのだった。
ここはどこだ、お兄ちゃんはどこだと。
そう泣き叫ぶ声が聞こえたので、隠れていたふりをして服の端が見えるようにしてみると、そのままユイは泣きついてきた。
子供相手に何をやっているんだと、罪悪感に苛まれた。だから、ヤヨイは、そっとしゃがんで彼女を抱きしめて。
「……これからは」
ゆっくりと告げた。
「ちゃんと一緒に遊んでやるから」
❄︎
「ユイっ!」
手を伸ばし、名を叫ぶ。
届いた声に振り向くユイは、ヤヨイの姿を見て涙を流した。
「剥奪っ!」
すぐにユイに迫る魔法を奪った。
いや、それだけではない。
周囲に展開されている火の魔法——その全てを、ヤヨイは支配下に置いた。
「改稿っ!!」
収束させる。
そして、その全てを力に変えて。
ヤヨイは、その腕に豪炎を纏い、振りかぶった。
「らああぁぁぁぁッ!」
巨大な腕の形を保つ炎による、薙ぎ払い。
多くの魔物を巻き込み、ユイの側にいる狼すらをも焼き尽くす。そう、10メートル以上離れた位置にすら、その手は届いたのだ。
しかし、全ての魔物を排除できたわけではない。
空へと逃れた鳥達が、風の刃を飛ばしてくる。躱そうとするが、腕を、足を、僅かに切り裂いた。
だが、立てる。
炎を手放し、次は風を操った。
高く掲げた腕を振り下ろせば、鳥の魔物はその体を2つに断たれた。続いて何度も切り裂き続けつつ、走る。
(この先に!)
魔物の群れの奥に、それはあった。
ヤヨイが扱う魔法陣。それと良く似た模様の陣が、地面に描かれている。ちょうど芝生が禿げた所を狙ったのだろう。
本で読んだことがあった。
魔術。
魔法の前に存在したとされるそれは、まだ人が魔力を扱う術を知らなかった時代に使用されていた技術である。地面や紙に対応する物質で魔法陣を描き、長い詠唱など儀式的な方法で特定の現象を引き起こすものだ。魔法陣を魔力でつくる魔法と違って時間がかかるのだが、魔物を量産するという、継続的な用法にはもってこいと言える。
「はあぁっ!」
ヤヨイはすぐさま、残った風の魔法の効力を注ぎ込んで、魔法陣そのものに空気の塊を叩きつけた。
土煙が吹き上がる。
煙が晴れたとき。
そこには、隕石でも落ちてきたような、大きなクレーターが生まれていた。
安心したヤヨイは、その場に倒れこんだ。
魔物が犇めく森で寝転がるような、自殺願望はない。
あくまでも、魔物がまだ生き残っているならではあるが。
ふと、横を見やれば。
力を失って、眠るように目を閉じて消えていく魔物の姿が見えた。光の粒となって、闇の中を飛んでいく。それはまるで蛍のように、辺りの木々をぼんやりと照らしていた。
戦いを終えた直後に見るには、随分と幻想的な光景だった。
「ユイは」
「ここだよ」
そっと上半身を持ち上げて、声のした方を見れば、木の後ろからユイがひょこりと顔を出していた。
その声はどこか怯えていたが、そっと歩み出てきた姿を見る限り、怪我は負っていないようだ。安心したヤヨイは笑顔を向けるが、しかし彼女は沈痛な面持ちでいた。
そっと、森を見渡して呟く。
「綺麗、だね」
「ああ」
恐怖は消えたようだが、どこか取り繕うような笑顔を、無理矢理作っているらしい。なぜかヤヨイには、今にも泣き出しそうに見えた。
「何で」
「ん」
「何で、村を出たりしたの?」
ヤヨイの想像通りの質問を、ユイは尋ねてくる。
「……」
「門番のお兄ちゃん達を助けに行くためじゃ、ないんでしょ?」
「……ああ」
少し俯きながら答えれば、ユイは僅かに動揺したようだ。悲痛な声が鼓膜を震わせる。
「どうして、そんなこと」
「そりゃ、この国を出るために」
「何のために!?」
涙を流しながら、喚きたててくる。
胸を痛めるはずのその姿を見ても、なぜかヤヨイには何とも思えなかった。
知っているからだ。その声も、涙も、偽りの感情が創り出しているものだということを。
立ち上がって、ユイに駄目元で説明をしようとした。
「俺の親の話は、しただろう」
「だからって——」
「その態度だ!」
今までの怒りが爆発したのか。
ヤヨイは、ユイに向かって初めて、本気で怒鳴りつけた。
「お前らのその態度を見る度に思い出すんだよ!お前らは何も気づかない!何も欲しがらない!ただ言われた通りに、定められた通りに生きるだけで、それが当たり前のように思ってる!いや、そうとしか思えないんだよ!」
「そんなこと」
「あるだろ!」
紋章の効力に隙はない。
どんなに強靭な精神を持った人間でも、赤子の時から刻まれてしまえば完全に支配されてしまうだろう。だからこそ、この国では誰も反感を持つ者がいない。だからこそ、誰1人として自由を夢見ない。
「ここを出ないといけないんだ。ここを出ないと、自由は無いんだ」
「あ、ぅ」
「俺は父さんを助けに行く」
自分のためにと、魔法を教えてくれたあの日々。
ヤヨイは幸せだった。ずっと続けばいいと思っていた。だが、この国の理不尽な法律が、自分たちを悪だと決めつけ自由を奪った。
ヤヨイは、この国が嫌いなのだ。
「あいつも助けに行く。だから、お前とはここでお別れだ」
「嫌」
一言。
小さく呟いただけのその言葉が、ヤヨイの耳にははっきりと聞こえた。
「いいじゃん」
「なっ!」
「ここでずっと、皆と暮らせばいいじゃん!縛られてるとか縛られてないとかじゃないよ!大好きな人たちと、ヤヨイと、お父さんとお母さんと、皆と一緒にずっとずっと暮らせれば私は幸せ!」
「……」
「何でダメなの?確かにここはヤヨイが言うように偽物なのかもしれない。私だって、何で外にでちゃ行けないんだろうって思ったことあるよ!」
尚も言葉を続けるユイ。
泣き叫びながら、自分の気持ちをがむしゃらにヤヨイへとぶつけてきた。
ヤヨイはそうだと決めつけていたが、実のところ、憶測でしかない。その呪いを受け、洗脳された時点で、魔法を使うことすらできなくなるからだ。だが、周りの人間が誰1人信じてくれなかったことが、その考えを助長させていた。
しかし、それでも結論は変わらない。
たとえ抱くことができても、形にはできない。
思うだけで、行動に移さないのと同じことだ。
彼女の言葉を、ヤヨイは沈黙したまま聞き続けていた。
「でも、私は皆と居られればそれでいい!ヤヨイと一緒に暮らして、それで、いつか——」
「——俺は、そんな未来は望まない」
そう告げて、ヤヨイはその掌に魔法陣を浮かばせる。
柔らかな光がユイに向かって放たれると、彼女はふらつき、膝をつく。
「や、よい」
ゆっくりとこちらに手を伸ばし、縋る少女の願いに。
ヤヨイは、答えることができない。