猛獣
「っ!」
シグレは思わず走り出した。
自分に何ができるのか、できないのか、そんなことを考えることなく、ただ心配で走り出した。
「なんだ、もう終わりか」
魔人の動きは、停止している。
意識が潰えたわけではなく、まるで叩き潰した感触を確かめるように、一人の少年を殺めた余韻に浸かるように、シグレには見えた。
だから、自然と足が出てしまった。
「嘘」
強化魔法も、何の補助もない故に、離れたその場所に着くまで少し時間がかかった。
先ほど自分をなぎ倒そうとした漆黒の巨腕は既になく、背から生えた別の腕が地に突き立てられている。
目も口もない、見様によっては背筋がゾッとするその造形に自然と足から力が抜けそうになるが、それでも進んでようやく目の前までやってきた。
そして、気づく。
「これは」
青年も気がついたらしい。
腕の中で、濃密な魔力が蠢いているのだ。
「!?」
次の瞬間、それは膨張した。
巨腕から溢れんばかりに闇色のオーラが解き放たれ、そこには、ヤヨイの姿が。
「ヤヨイ!」
息を切らして今にも倒れてしまいそうな少年の隣に、シグレは膝をついた。
「何で、っ」
強化魔法の反動は、あの瞬間、シグレの治癒を上回ったらしく、その言葉は続かなかった。
「無茶するからでしょ!待ってて、今魔法で━━」
「無理だ」
魔法を発動しようとして、ヤヨイはそう告げてくる。
歯噛みしている彼の瞳は、苦渋の色に染まっている。
「あ」
その様子を見て、そして気がついた。
周囲一帯の魔力が、全て枯渇してしまっているのだ。
「なんで」
「はっきりとは分からないが、あの腕の出現と同時に、根こそぎ奪われた。防御に魔力を回して、なんとか防いだが」
もう、魔法は使えない。
発動に必要な魔力が、もう残っていないのだ。必然、シグレの回復魔法も発動することが出来ない。
「そんな」
詰みだ。
2人はもう、対抗する術を持ち得ない。
魔法なしでは、一分ももたないだろう。
相手との体格差は歴然で、武器も持っていないこの状況では、足下に転がる虫を踏み潰すように、あっという間に蹴りがついてしまう。
魔人が、またその姿を醜く変える。
千切れた手足を再生し、闇属性魔法によって半ば消滅した背の腕は、まるで翼のように変異する。
ここにあった魔力は、全て敵のものになった。
「いや」
だが、少年は諦めない。
「まだ、方法はある」
「ヤヨイ?」
「……ごめんな、シグレ」
何の予兆もなく、魔法陣が生まれる。
ヤヨイの周りに次々と生み出される、大小様々なそれは、まるで彼の体を包み込むようだ。
絶対支配。
それは、ヤヨイが使える禁術━━いや、禁呪。
物理的にも、精神的にも限界を超越する、支配魔法の中でも最高位の魔法だ。
そして、この魔法を使えば、術者は多大な代償を払うことになる。
なぜこの魔法だけ発動できるのか、ヤヨイにも分からない。
もしかすると、大きな代償はそのためのものなのかもしれない。今度こそ、命を落とすのかもしれない。
それでも、
「これで終わらせる」
ここで、彼女を死なせる訳にはいかない。
『頼んだぞ』
声に出されることは無かった、あの約束を、守るために。
そして、それは一瞬にして現れた。
木々を薙ぎ払い、山々を抉って、魔人を宙に浮かせ、吹き飛ばす。
「は?」
その間抜けな声は、誰のものだっただろう。
❄︎
鮮血が舞う。
振り下ろされた一撃は、紛い物の騎士の首を刎ねあげる————はずだった。
素手。
老練の斬撃を、魔力が困っているとはいえ、素手で受け止めた。
白刃どりのような、綺麗な止め方ではない。手の平から包み込み、握りしめて止めたのだ。
古豪の騎士は、瞳に映る光景に、笑みを浮かべる。
「ようやくかっ!」
そして、剣を引こうとした騎士団長は気がついた。
その手から、剣を抜くことができないのだ。
魔力操作の練度は、確実に彼の方が上である。
それにもかかわらず、力が拮抗し震えようとも、離さない。
ついに、その力は。
長年彼に仕えた剣を、砕いた。
「ははっ」
だが、騎士としての矜持など、初めから持ち合わせてはいない。
そう、彼は、騎士などではない。ただ欲望のままに剣を振るい、敵を殺める怪物——鬼だ。
笑いながら左拳で鎧ごと殴り飛ばす。
だが、ゼノは数メートルの距離で踏ん張り、反動で一気に距離を詰めてきた。
「ハッ、それでこそ」
魔力を込め、右足を踏み込んで、叫んだ。
「俺たちの子だぁっ!」
「はぁぁああっ!」
互いの拳がぶつかり合う。
その衝撃は突風に変わり、木々を、岩を吹き飛ばした。
拳を交え、蹴り上げ、時に頭突きを喰らわせる。
互いの武器はその役割を果たし、寿命を終え、それでも戦は終わらない。いや、もしかするとこれは、そんな大それたものではない。
ただの、親子喧嘩であった。
「らあっ!」
「があっ!」
誇りなどどこにもない。
ここに、騎士などいない。
ただの猛獣が、鬼が、互いの主張を通そうとその力を振るっているだけ。
「ぐっ!」
知性など感じられない。
ただの怒りに身を任せた、一撃を、重ねていく。
自らの理想を否定した世界を。
最後までそれを信じられず、こうして無我夢中で、泥臭い戦いに身を投じている自分を、許せない。
「あぁっ!」
だが、そこには意志があった。
ずっと昔から抱いていた意志が、残っていた。
(護る!)
自分は護衛。ただそれだけで、護っているのではないかと、自分を疑っていた。
抱いていた想いも、全てが瞞しなのではないかと。
だが、違う。
嘘偽りなど、どこにも無かった。
彼女を救いたい。
彼らと旅をしたい。
そして、いつか。
「がっ!」
しかし、そんな意志すらも、凌駕するものがある。
今、自分は、あの騎士と戦っている。
あの騎士を、怯ませている。
いや、自分を育ててくれた師匠と、渡り合っている。
その事実が、自然と、過去の彼が想った願いを思い出させた。
自分を認めてほしいという、願望を。
「このガキがっ!」
師匠も、強者として全力で襲いかかってきた。
欲望の赴くままに、魔力を込める。
いつしか、地形は変わっていた。
それとも、ここは全く別の場所なのだろうか。
粉々に砕け散って、何も残っていない。ただ、足をつける地面があるだけ。
だが、そんなことはどうでもいい。
ゼノという男は、騎士として生きてきた。
如何なる時も理想を演じ、理想に縛られて生きてきた。
周りの騎士たちは、それを疎んじた。そんな幻想は、どこにもないと知っていた。彼が力を発揮できない原因がそこにあることを、知っていた。
清廉で、謙虚な騎士。
その偶像は、如何なる時も敵に敬意を払い、戦いにすら理想を画く。自らの力を制し、魅せる戦いを、無意識にしてしまう。
けれど、そんな理想は打ち砕かれた。
他ならない彼自信によって、壊された。
もう、彼を縛るものは、何も無い。
「あめぇんだよっ!」
しかし、まだ弱い。
封じてきた感情は、まだ、浅い。
そして、だからこそ、届いた。
強い怒りに任せた、騎士団長の一撃は。
まだ冷静さを失いきれていなかったゼノの左腕━━その籠手によって往なされ。
叫びを上げない、沈黙の騎士の右腕が、騎士団長の鎧へと突き刺さる。
込められた魔力が一気に放出され、攻撃に集中していた彼の体は、彼方へと飛んだ。
ゼノの目は、魔力強化によって、並の人間では目視できない距離でも、ある程度見渡せる。
銀白色の鎧を纏った師匠の姿は、遥か遠くに見える漆黒の魔物に激突し、その巨体ごと更に遠くへと。
「…………」
まだ、終わってはいない。
あの程度で、認めてなどくれはしない。
獣は、激痛が走るその身に、再び魔力を込め、翔ける。
現実の方で忙しく、まだ投稿できません。
遅くとも今週中には投稿します。
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