訓練
大変お待たせしました。
アイレーン法国の王都。議事堂や形ばかりの裁判所など、豪奢な建物が立ち並ぶその都に、それはあった。
教会騎士団本部。
百を超える精鋭達が、国を脅かす魔物や団体に対処するために待機する、この国で最も安全で、同時に最も危険な場所である。何故なら騎士団には、真っ当な騎士というものはほぼ壊滅的と言っていいほど、いないからだ。騎士とは名ばかりの、各々が相当に癖のある、人外の力を持つ集団。それが、教会騎士団だ。
そんな中に、少年は放り込まれた。
「やあっ!」
まだ十に満たない少年の、甲高い悲鳴に近い怒号が響く。
トコトコと軽い足跡が響く中、突然、シュバッと鈍器が空を薙ぐような音が響き、カランカランと鉄パイプが転がるような音がした。
そして。
「うぐっ」
少年は、頭を抑えて涙ぐんでいる。
この一連の表現では何が起こったのか理解できるはずもないので、簡単に説明すると、少年は訓練用の模擬剣を手にとって、数分間戸惑った挙句に訓練相手へと突っ込んで行き、そしてやられたのだ。
額を指先で叩かれ、その痛さにうずくまったのだ。
やはり、通じなかっただろうか。
「大丈夫?」
「っ、大丈夫です!!」
桃色の髪をした先輩騎士に心配され、少年は思わず啖呵を切った。
再び軽い足音をたてながら、武器を取りに行く。
「……何で、あんな子連れてきたの?団長」
「まあ、成り行きでな」
「?」
そう返す男の反応からは疲労の色が感じられ、女騎士は小首を傾げた。
少年と年の頃は近いが、その落ち着き払った気配はどこか大人びている。もしかすると、単に周りに興味がないだけなのかもしれない。
そんな会話を遠巻きに眺めていた少年は、その手に握った剣を見つめる。模擬剣といえど、勢いよく振れば無傷では済まない。だからこそ、少年は躊躇したのだ。
だが、それではダメだ。
そんなことでは、強くなどなれない。
先輩騎士の正面に立って、剣を構える。
その構えは綺麗ではあったが、実践には不向きなもので、それはまるで決闘に用いられるそれであった。
「ちっ」
少年は男の舌打ちに気づいていながら、何の反応も示さず斬りかかる。
女騎士は、何の動揺も、反応も見せないまま、無造作に武器に選んだ細剣を振り回し、
「いてっ!?」
武器を失った少年の額を、指先で、けれど本気で小突いた。
「…………」
少年は、自室のベッドにぐったりと埋もれていた。
ここは、騎士団本部にあった空き部屋を、騎士団長であった男が勝手に、もとい職権濫用をして少年のために用意された部屋だ。
少年は、この国の出身ではない。とある任務で国外に渡っていた騎士団長が、運良く——彼にとっては運悪く——魔物の群れに出くわし、そこから救い出したというだけだ。この国に滞在する権利すらも、本来なら少年にはなかった。
それすらも男は簡単に手に入れ、そして少年にやすやすと与えてしまった。
この国に来たのが1週間前のことで、可能な限り早く、少年は騎士団の訓練に参加することとなった。結果は今の現状通り、惨敗である。今のところ、剣を握って斬りかかることしかしていない。他の騎士達はもう少しまともに斬り合えているのだが、相手が悪かった。
騎士団にある序列制度。その上位陣で手が空いている者が、率先して訓練相手になるという、他の騎士達がああはなりたくないと揃って口にするスペシャルコースである。
その結果、死んでしまった骸のように動かなくなった少年は、そのまま夕食の時間まで休憩に神経を注ごうとしたのだが。
「よう、入るぞガキ」
その安らぎの時間は、始まって30秒という破格のスピードで終わりを告げた。
「……なん、ですか」
僅かにかすれた声で抵抗の意思を示そうとしたが、見事にスルーされたまま男はベッドの脇に立つ。
「喜べ。さらに早く強くなれる方法があるぞ」
「……?」
恐る恐る、寝転がったまま首だけを彼の方へ向ければ、彼はいたずらの笑みでこう言った。
「さあ、自主練の時間だ」
少年の顔は、さらに真っ青になった。
少年は、農家でのびのびと育った。
確かに、山を走り回ることがあれば、木登りだったしたことはある。川で魚を取ったこともあるし、親と一緒に大きな町に行ったこともある。
だがさすがに、動かなくなるまで走り続けた経験はなかった。
「ぁ…………ぁぁ」
もはや呼吸にすらなっておらず、歩くスピードより遅くなりながら、ついに倒れる。
「なんだ、もう終わりか」
時間にして、30分に満たない。だが、少年の体力では十分長いと言えるだろう。
にもかかわらず、また子供にしては良くやった方だと褒めることなく、この言いようである。まさしく鬼教官ここにあり。
「ほれ、終わったなら帰るぞ」
「ぅ、ぅぐ」
「仕方がないな」
ふと、無理やり持ち上げようとしていた体が軽くなった。
騎士団長が、少年を背負ったのだ。
「少しやりすぎたか。加減がわからんな」
ギュッとしがみついていると、その大きな背中に、ある姿が重なった。
もうこの世にいないだろう、父の姿だ。まだずっと幼い頃、森で転んで歩けなくなった少年を、父は負ぶって家まで連れて行ってくれた。その背中は心地よくて、時々ねだったりもした。
それは、もう繰り返されることのない、失われてしまった、過去の記憶だ。
だんだん、動悸が激しくなった。
叱られると分かっていながら、それでも、勝手に涙が溢れてくる。さらには声を上げてしまうが、なぜか、苛立った舌打ちも、バカにするような声も、少年の耳に届くことはなかった。
少年に与えられたのは、リズム良く揺れる心地いい背中の感触と、離さないという意志が込められたかのような腕の力だけだった。
「はっ」
「うん、今のは良かったよ」
お馴染みの先輩騎士は、僅かに弾んだ声音でそう評価してくれた。
あれから一年、初めは身体がついて行かなかった訓練にも大分慣れ、もうすぐ実戦形式の訓練に移ることができるだろう。
「…………」
しかし、少年は気づいていた。
時折訓練の様子を眺めに来ては、どこか悲しそうに、そして怒りを押さえ込むように表情を曇らせている。
なぜなのか、当時の少年には全くわからなかった。
なぜそんな風に、呆れているのか。
どうして、褒めてくれないのか。
しかし、それはほんの少しだけの希望であり、願いでしかなかった。そんなものは、強くなるという目標を叶えることに比べたら、些細なことにしか感じられなかった。
だが、今ならわかるのだ。少年にとってそれは、大切なことだったと。
今の自分は、まるで機械だ。
機械のように、目的を果たすだけだ。
機械は、意志を持たない。心から叫ばない。それは正しく、自分ではないかと。
型にはまった動き。それは、すでに過去に追いやったはずの理想が、無意識に具現化した姿であった。恐らくそれを、団長は危惧したのだろう。純粋な力も、魔力操作も、並みの相手では到底及ばない。だが、いずれ来る強敵相手に、それが通用することなどあり得ない。
何度も矯正されそうになりながら、しかし気づいてすらいない少年は、男が気づいた頃には元に戻っていた。常にそばにいることもできない。まだ弱い少年には、気づかせてやることもできない。
そんな偶像を追い求め続けた、騎士とは呼べない騎士。
それがゼノ=フラヴィスであった。
次回の投稿は、日曜日になります!
気にいりましたら、ブックマークや評価等よろしくお願いします!
アドバイスや感想があれば、どんなことでもいいので聞かせてください!