脱出
窓から差しこむ僅かな光だけが照らす、薄暗い部屋。
そんな自室で、ヤヨイは目を覚ました。
「俺の部屋か?……いてっ!」
無理して起き上がろうとして、全身に走る痛みに呻く。強化魔法をかけていたとはいえ、少しばかり無茶な動きをしたのが原因だろう。
おとなしく寝ようとして、ふと思い至る。
なぜ、自分はこんな所に居るのだろうか。
「ヤヨイ!?」
先程の悲鳴を聞きつけたのか、トコトコと階段を鳴らしてユイがやって来た。
「体は?大丈夫なの?」
肩をガシッと捕まえて、問い詰められる。
その衝撃で、芯に響くように身体が痛むが、なんとか耐えながら言葉を返す。
「だ、大丈夫だから。それよりも」
「あ、村の人が爆発に気付いて、守衛さんが向かったの。そしたら、倒れてたヤヨイを見つけて——」
守衛がそのまま背負ってきたらしい。
ヤヨイが魔物と遭遇してから、既に2日も経っていた。ずっと寝込んでいたらしい。
家に運ばれてからは、ユイとその母親のユーリが看病してくれたようだ。父親のロイは行商人の仕事をしているため家を空けることが多く、丁度遠くの街まで働きに出ていた。
しかし、ユイの説明を聞いているうちに、ヤヨイは少しずつ焦り始めた。
魔物のことはまだ良いとしても、森を焼いたのが自分だと知られるわけにはいかないのだ。決して、村人たちに怒られるからではない。ヤヨイが魔法を使えることが知られれば、父親と同じように宮廷魔導師が捕らえにくるに違いない。そうなれば、練りに練った作戦も無駄になってしまう。
冷や汗をかきながら迷走していると、その様子に気付いたユイが不安げに聞いてくる。
「本当に大丈夫?魔物にやられた傷が痛むの?」
「いや」
傷の方は、強化魔法で自然治癒力を高めたため、ほぼ治りかけている。その分、体がだるく感じるが——
「待て、何で魔物がいるって分かったんだ!」
倒した狼型の魔物は、森とともに溶け消えたはずである。残骸は無いはずなので気付かれることはないはずだ。その場で見ていない限りは。
魔法を見られたと思い苦悶の表情を浮かべたヤヨイは、しかしユイの返答に耳を疑うことになる。
「何でって、今この村は」
窓の外。
そこに広がっている森を見据えて、呟いた。
「魔物の群れに、取り囲まれてるからだよ」
その時、あの狼の遠吠えが、彼方から聞こえた気がした。
❄︎
ある町の路地裏。
そこに、ケープに身を包んだ人物が一人、紋章を刻まれた石を手に、言葉を発していた。
『聞こえるかしら』
「はい」
石から響いてくる音声に、返事を返す。
ノイズがかかってはいるが、石から聞こえる声の主は女性らしい。返事をした声もまた少女のものだが、どこか冷たい、静かな声色だった。
『もう耳に入ってるとは思うけど、魔物が発生したわ。至急調査に向かってもらえる?』
「承知しました。しかし、ここからでは数日程かかりますが…」
今少女がいる町から、件の村までは馬車を利用しても時間がかかる。ならば、自分でなく、近くにいる者が処理すれば良いと思ったのだ。
『大丈夫よ。それに、貴女で無いと不安要素が残るの。騎士団が別の案件で手が離せないというのもあるけれど、どうも裏があるようだから』
「過ぎたことを申しました。では、早速任務にかかります」
『頼んだわよ』
❄︎
村の人々が寝静まった頃。
少女の寝顔を、じっと見つめていた。
「…………」
幸せそうに眠っているユイを起こさないように、ヤヨイはそっと頭を撫でる。
「じゃあな」
しばらくそうしてから、起こさないように部屋を出た。
深夜にもなれば、外を出歩く人はほとんどいない。
忍び足でそっと守衛の持ち場へ近づき、伺う。
しかし。
「?」
そこに、守衛の姿はなかった。
彼らは複数人で、交代で仕事に当たっているはずである。にもかかわらず、一人も見当たらないのは不自然だ。
この村の一帯。いや、この国の人里の周辺には、常に結界が張られている。魔物避けの効力を持つため、その中では魔物が発生することはあり得ない。
そのため、守衛もわざわざ外へ出る必要などないのである。
しかし、この好機を逃すわけにはいかないのだ。
ユイの話によると、宮廷魔導師が村へ向かっているらしい。村長の家には緊急連絡用の魔道具があるので、それを使用したのだろう。
あと2日。
その間に、村が魔物に包囲され、村人が一人行方不明になった。そう偽装すればいい。ヤヨイがこの国を出る、数少ない機会なのだ。
不審に思いつつも、そのまま村を出て道なりに歩いていく。そして、ある程度進んでから、森の中へと入った。
奥へ奥へと進めば進むほど、段々と不安も大きくなっていく。
(……おかしい)
魔物がいない。
昼間に聞こえたように思える遠吠えも、それ以外の雑音も、今は止んでいた。しかし、この村は魔物に包囲されていると、ユイは言っていた。後に来たユーリもそう話してくれたし、間違いない。
だとすれば、これは。
ヤヨイが考えを巡らせていると、ガチャリと金属音が森の奥から響いて来た。
それも、一つではない。複数の音が、同時に重なるように聞こえたのだ。正しく、抜きかけた剣を、鞘ごと地面に落としたような音が。
木からまた別の木へ。
身を隠すようにそっと進んでいくと、そこに複数の人影が分かった。
「!」
ヤヨイから見て左側、宙を見つめたままぼうっと突っ立っている守衛達が、そこにいた。
予想通り、彼らの足元には携帯していた剣が放られている。
ヤヨイは周辺に気を張ってみるものの、やはり敵影は無かった。まだ安全が確認されたわけではないが、彼らには2日前の借りがある。
さっと近づいて、肩を揺らして目を覚まさせようとするが、効果はないらしい。時間が止まってしまったわけでも、体が動かせないわけでもないようだ。
やはり魔物の仕業に違いないと、支配魔法での解除を試みようとした、その時。
「ッ!」
何かを拾い上げる音とともに、ヤヨイ目掛けて得物が振り降ろされた。
余裕でかわすことができたが、目の前で起きた光景に唖然とせざるを得ない。
そこには、先程とは打って変わって、敵意の視線を向けてくる守衛達がいた。彼等は、地面に転がっていた剣を手に取り、ヤヨイに斬りかかってきたのだ。
だが、驚くべきところはそこではない。
「魔物め、のこのことっ!」
敵は、人間の知能を利用して、同士討ちを試みるほどの知能と技を持っている。
この国では、魔物が出現すること自体ほぼあり得ないと言われている。高い知能を持つ、幻獣以上の魔物など以ての外だ。
過去にこの地を統べた神々が魔物を退治したと言われているが、真意は定かではない。しかし、ヤヨイが魔物に出会ったのだって、ここ数年でも先日だけだった。
つまり。
(魔物を生み出す、術者がいるっ!)
守衛の斬撃を強化魔法を使って躱しながら、そう思い当たる。しかし、それはとても信じ難い事実だった。
自分以外にもこの国に反旗を翻す者がいる事に加え、その人物が、魔物を従える術を持っているという事が。
「少し痛いが我慢しろよ、剥奪!」
次の瞬間、彼等は痛みに悶えるようにして、意識を失った。
幻惑魔法の干渉を無理矢理遮断したため、脳に負荷がかかったのだ。最も、ヤヨイ自身、気絶させるつもりではあったのだが、それは気にしないでおこう。また傀儡になられては、たまったものではない。決して、守衛達ならこれくらい別にいいや、等とは思っていないのである。そもそも彼等は、訓練こそしていたものの実践経験は少ないのだ。
(それにしたって、こんなんで根を上げるとはまだまだだな)
しんと、辺りは静まり返った。
伸びている彼等をじっと見つめた後、そっと心の中で謝罪する。
その時。
ヤヨイの背後から、大きな気配が迫ってきた。
雪崩のように一瞬でその存在を露わにして、ヤヨイを包み込む。
魔力だ。
何か巨大なものが突然出現した事で、それに付属する魔力と空気中に元からあったものが混ざったまま、流れ込んできたのである。
「これは——」
ヤバい。
気配に続けて、今度は複数の火球が飛んできた。
最低限避けて、残りは魔法で操作権を奪った後、打ち消す。
魔法を放ってきたのは、魔物だ。
先日戦った巨大な狼だけでなく、その小型、更には鳥型のものまでいる。
すぐに自身に支配魔法をかけるが、無駄に終わった。つまり、今ヤヨイが見ているのは、幻ではなく、正真正銘の魔物だということになる。
「やるしか、ないよな」
今の自分の実力では、こうも囲まれてはまともに戦えるかどうかすら怪しい。
魔物が再び魔力を操り始め、魔法陣を構築しようとする。
しかし、そんな窮地に、悲鳴が響いた。
「きゃッ!」
一匹、小型の狼が、ある少女に牙を剥いていた。
少女はなんとか魔物の攻撃をかわすが、魔物は続けて火球を生み出す。
炎に照らされ、彼女の顔が露わになる。
それは正しく、先程家で眠りについていたはずの、ユイだった。
魔物が、少女に向けて魔法を飛ばす。




