団長
「ん?」
ゼノの呟きに、しかし何の反応も示さないまま、目の前の男はヤヨイ達の背後を見る。
ヤヨイ達も、その気配に直後気がついた。
視線を向ければ、目には見えないが、圧倒的な存在感を放っている、膨大な魔力が感じられる。
結界。
この国では魔物除けとして使われるそれは、使い方によっては人間を閉じ込めることもできる。
逆に言うのならば、立ち入りを禁ずることだってできるのだ。
「ありゃ結界か。一杯食わされたな」
頭を掻き、けれど全く動揺した素ぶりを見せない男——着崩された軽鎧とマントを纏った騎士は、ゆっくりとまたゼノをじっと見て、口元を歪める。
「久しぶりだな、若蔵」
「なぜあなたが」
男が笑みを浮かべたと同時に、ゼノが驚愕の声をあげた。
誰なのか。
そう問おうとしたヤヨイは、すぐにその必要は無いと思い至った。
大分着崩してはいるものの、ゼノの着ているそれと似通った制服。その特徴的な意匠が、彼がゼノと同じ騎士であることを物語っていた。
それも、かなり格上の。
(ゼノの様子を見ればわかる)
戦いの場においても常に冷静で普段から気を引き締め、決して隙を見せることのない彼が、笑みを向けられただけで呆然としている。
その事実だけで、考えていた勝率が見る見る下がっていく。
シグレの付加ですら、ゼノに傷を負わせることが敵わないのだ。それを超えるであろう彼は、果たしてどれほどの化け物なのか。
「何だよ、師匠に向けてその第一声は。オレぁ心配してたんだぞぉ。お前が逆賊だと報告を受けて」
「その割には、何かの間違いだ、等とは仰らないのですね」
「当たり前だ。お前がそんなミスをやらかすはずがない。こう見えて、俺はお前を評価してるんだからな」
相好を崩す男は顎髭を指先で弄りながら、ゼノ達を流し見る。
そして、その瞳がヤヨイを見た直後、僅かに見開かれた気がした。
すぐさま、男の口元に、狂気に満ちた笑みが浮かぶ。
「ハハァ、なるほど。そういうわけねぇ。こりゃ見逃すわけにはいかなぇ——なっ!」
直後、男の姿が虚空に消える。
それはまるで、今までそ幻影を通して話していたのではないかとヤヨイが錯覚するほど、予備動作もなく行われた。
常人の戦闘では発生し得ない、大量の火花が飛び散る。
ゼノが間一髪、男の大剣を防いでいた。
「ふむ」
いなされた一撃は軽々と地を割り、軽く足元を揺らした。そして、それほどの重量の武器を持ちながら、神速で接敵してみせた男に、ヤヨイは畏怖の念を感じる。
この男には、勝てない。
魔法という相性の問題でもなければ、剣術の力量の差でもない。人間として、どう足掻いても彼には勝てないと、そう感じた。
だが。
だからと言って、諦めるわけにはいかない。
「おいゼノ、防御は頼む。シグレ、お前は援護に徹して——」
「逃げろ」
ヤヨイは、彼が何を言ったのか分からなかった。
決してその選択肢を考えなかったわけではない。だが、それこそ無理だと思っていた。これ程の差があれば、背を向けた瞬間に命を落とすだろう。
「何言ってんだよ、お前」
「…………」
「この状況で、逃げ切れるとでも——」
「だから、俺が食い止めると言っている」
「……は?」
それこそ、意味がわからなかった。
男も敵でありながら、俺達の会話を遮ることなく佇んでいる。
「俺が時間を稼ぐ。だから、その間に彼女を連れて逃げろ」
「何カッコつけてるんだよ!?俺も——っ!?」
抗議しようと、ゼノに向けて足を進めた、その時。
誰かが、いや、シグレが、ヤヨイの袖口を引っ張った。
「お願い」
俯いたまま、ただその一言だけを告げてくる彼女の様子に、ヤヨイは困惑し、そして理解した。
これは、ゼノのためなのだと。
二人揃って、彼らに背を向け、走り出す。
こちらに背を向けたまま語るゼノの表情を、ヤヨイは知り得なかった。
そのはずなのに。
今彼は、今まで見た中で最も落ち着いた笑みを浮かべている。
それが分かった。
「…………」
交わす言葉は、何一つない。
少しでも呟こうものなら、ゼノは二度と自分達の前に姿を表すことはないだろう。そう感じていた。
そして、もう一つ。
覚悟を決めた男にかける言葉など必要ないと、ヤヨイもシグレも分かっていた。
❄︎
守るべきものの気配が消え、しかしそれでもその笑みは消えなかった。
自分がなぜ笑っているのかさえ、ゼノには分からない。ただ、言えることがあるとすれば。
それは、まだ諦めてはいないということだ。
「カッコつけ」
目前に立つ師匠が笑う。
けれど、彼は自分を馬鹿にしているわけではないのだろう。なんとなくゼノはそう感じていた。
「…………」
「…………」
言葉を交わさないままに、二人は己の得物を構える。
そして——瞬く間に、大地の欠片が辺りに舞う。
❄︎
「彼は」
背後から、とてつもない爆音と覇気が感じられる中。
隣を走るシグレが、ふと語り始めた。
「教会騎士団の、団長」
「は?」
「私も、子供の頃にちょっとしか、会ったことないけど」
そんな、あり得ない肩書きにヤヨイは唖然とする。そんな大物が、こんな僻地に自ら赴き、そして偶然にも自分達が遭遇してしまうなど、よっぽど運が悪いのだろう。
だが、
「でも、そうか。それだけの理由がここにあるな」
神薬を精製することのできる、ヒュギエイアの存在。
彼女は自らこの国へやってきて、法皇とも知り合いであるがゆえに、この街で日常を送れていた。おそらく本人の実力も、その理由に含まれていたのだろう。
だが、それにしたってわざわざ騎士団長が出向くことがあるだろうか。
「多分、この街には革命軍がいる。その中には、おそらくあの時逃げ延びた人も」
シグレが言っているのは、バルトレアで宮廷魔導師と交戦していた革命軍のことだ。
彼らがヤヨイ達が出て行くのを確認して、そこに教会の騎士団長もいれば、街を結界で隔離したのも頷ける。
「なら、まずはヒュギエイアのところに行くか。あいつも巻き込まれているかもしれないし」
「それなんだけど」
「ああ」
そこまで言って、二人同時に横へと飛ぶ。
すると、今まで二人がいた場所に、氷柱が生み出された。
「まずは、こいつらを片付けないとな」
魔物。
それも、数十体もの規模。
熊に狼、中には巨大な鳥までがこちらを睨みつけている。
「革命軍が魔物を生み出してるのか?今回のは幻って訳でも無さそうだし」
「多分、少しずつ質が向上してるんだと思う。……やれる?」
「もちろん」
シグレ程の殲滅力は無いにせよ、この数ならばヤヨイでも対処可能だった。
「剥奪」
ヤヨイは右手を氷柱に向け、呟く。
そして構築された魔法陣に、さらに一つ重ねた。
「再構築」
氷柱の一部が魔力へと還元され、魔法陣へと収束し、それは冷気を纏う一本の刀を模った。
ヤヨイが造った造剣魔法の一つ、常氷。
「「!」」
二人同時に、敵へ向けて攻撃を放った。
横薙ぎに大きく空を切ったヤヨイの刀は青色の軌跡を生み、そのままそれが冷気の斬撃となって魔物を両断した。
断面が一瞬で凍りつき、そしてその身体も氷の結晶となって消えていく。
「それ、普通に使えたんだ」
「ん?ああ、まあ——っ!?」
感心したようなシグレの声にヤヨイは振り向き、そして唖然とした。
そこは、地獄絵図と化していた。
シグレの付加によって造り出された無色透明の魔力の刃が、魔物達に降り注いだのだろう。
バラバラになった亡骸が、彼女の背描写を埋め尽くしている。はっきり言って、何かのホラー映画かと思ったヤヨイであった。
そんな彼の様子に、シグレはハッと背後を見る。
自分がこの悍ましい光景を創り出したことに気づいて、落ち込んでいるのか、申し訳ないと思っているのか。
今にも泣きそうな表情でヤヨイに振り返った。
「だって、攻撃方法、これしか無いし」
「いや、気にするな。俺も慣れるべきだった」
斬属性の付加しか手段が無いのだから、これくらい予期できたはずである。
魔物討伐を仕事としていたヤヨイでも軽く引くほどのものではあったが、分かっていれば今後驚くことはないだろう。
だが、彼女の付加にも限界がある。
一定の範囲に限定して魔力に干渉するため、遠距離の敵と近距離の敵を同時に相手することはできない。
自分が彼女の死角を埋める必要がある。
と、考える間にもヤヨイは魔物を両断していた。
いつしかシグレも気を取り直して、殺戮を再開する。
時に背中を合わせて互いの敵を打ち倒し、時にヤヨイが前線で得物を振りシグレが援護する。
「グワォッ!」
大型の魔物が、目の前を過ぎ去る少年へと、爪を、牙を、魔法を振りかざす。
だが、それが届くことはなかった。
僅かばかり単調な獣の動きに合わせ、身体を捻り刃を振り抜く。
「シグレっ!」
地を踏みしめて、ヤヨイは彼女の元へと駆けつけようとする。
そして、声をかけられたシグレもまた、ヤヨイの方へ掌を向けていた。
二人の距離が無くなった時、ヤヨイは剣を突き出した。
その一撃で————シグレの背後にせまっていた魔物は氷漬けになり、結晶と化して消えた。
それと同時に、ヤヨイの遥か後方から魔法を放とうとしていた数体の熊型の魔物数も、その身を八つ裂きにされ命の欠片を散らす。
たった数分で、魔物の群れは殲滅された。
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