幻獣
「こう、ですか?」
「そうよ。そのまま、魔力を高めて」
意識がしっかりする年頃になったときには、シグレはすでに、魔法の訓練を行なっていた。
誰ともしれない、どこか妖麗な女性に、教えを請う日々。彼女の指摘はいつも正しく、鋭く、シグレの魔力関連の感性はますます磨かれていった。
「はい。今日はここまでにしましょう。だいぶ上手くなったわね」
「ありがとうございました」
魔法の訓練や勉強以外の時間は、彼女にとっていつも自由だった。
幼少期から宮廷魔導師団に見習いとして籍を置いてはいたものの、子供にはそこまでハードなスケジュールは組まれない。だから、この後はいつも、庭へと出てのんびり日向ぼっこをしている。
そして、たまにある姿を探すのだ。
その身長では威厳も何もない、どこか子供が格好をつけているようなマントと、立派な剣を構える姿を。
「——いた」
王都の教会の敷地内にある、広大な森の中。
と言ってもそれは子供から見ての話で、そこの職員達から見れば、本当にちょっとした庭のようなものなのだ。
そして、そんな場所に、その少年の姿はあった。
じっと、こっそりと、木陰から彼の姿を盗み見る。
幼い故にがっしりとしていない軽装を身につけて、掛け声もないまま、必死に剣を振り続けていた。空を切るその刃は目で捉えられるかどうかという速度で動き、その風切り音が少年の技量を物語っていた。
しかし、どうやらまだ物足りないらしい。
首を傾げながら、考え込む仕草を見せつけられ、ふとシグレは心が痛んだ。
(私の、護衛になったから)
本来、彼はまだ修行中の身であった。
だが、シグレと歳が近い必要があり、護衛の任に就かせられたのは彼くらいしかおらず、師匠達は仕方なく彼を手放したらしい。
つまり、間接的にとはいえ、彼の成長を止めてしまったのは自分だ。
その考えをやめられないシグレは、知らないうちに少年から視線を逸らし、俯いていた。
そのため、余計に驚いた。
「いるんだろう」
考えて見れば当然だが、気配を気にする余裕がなくなればバレてもおかしくない。
だが、シグレが気を抜いたのは一瞬だった。
「…………」
そもそもシグレは、ゼノとほとんど会話したことがない。
言葉を多く交わしたのは最初の挨拶の時くらいで、それも、互いに社交辞令じみた質問を、幼いながらにしていただけだ。
どこか距離を置いているような、冷たい気配。彼と同じ空間にいる時、それが常にシグレを緊張させていた。
「…………」
だからこそ、今日もまた、互いに黙り込んだまま、ただ時間が流れる。
いつもなら、すぐに彼は素振りを再開するはずだった。シグレが居ようが居まいが、することは変わらないと言わんばかりに。いつもなら、存在を認識していても、見られて恥ずかしい様子もなく、淡々と剣を振るっていはずだった。
だが、今日だけは、いつもより長く感じていた。
お前のせいではない、と。
気づけば、まるでそんなことを言うような眼差しで、すぐ先に立つ少年——ゼノは、こちらを見つめていた。
それから数日後、シグレの魔法が、禁呪であることが発覚した。
訓練中に意識を手放し、気づけば医務室に寝かされていたのだ。
人を傷つけることに特化した魔法。短い間ではあったが、自分が磨いてきたものが、そんなおぞましいものであったことに、幼いシグレは絶望した。
「どうした」
いつものように、木々に囲まれた広場で、1人修行をするゼノ。
そんな彼の元を訪ねていたシグレは、出会い頭にそんなことを言われ、余計に申し訳なくなった。
彼は、こんな自分のために、師匠との修行の日々を失ったのだ。
数秒後には、自分の魔法のことを、シグレは話していた。
護衛である以上、彼も巻き込まれるかもしれない。こんな、人を傷つけることでしか誰かを守れない巫女に、護衛などいらない。そんな、心配と、罪悪感と、不安とを、涙を流すことはなかったが、暗い気持ちで話していた。
「お前のせいじゃない」
稽古をつけられなくなったのも、こんな魔法を習得してしまったのも。
この前とは違い、はっきりと、想像とは少し違った言葉をしっかり聞き取る。
俯いていた顔を上げれば、いつも仏頂面で何を考えているのか分からなかった少し年上の少年は、優しい眼差しで、続けて言う。
「あなたは主人であり、私は護衛です。だから、あなたのことは、何があろうと守ってみせます」
❄︎
「と、まあ、ゼノが私の護衛であり続ける理由は、こんなところかな」
「…………」
幼い頃から、彼は真にシグレの護衛だったのだ。
たった1人の、彼女が心の底から信頼できる騎士だったのだ。
「まあ、結局、ゼノも何もできない状況だったんだけどね」
「…………」
仕方がなかった。
そう言って自虐的に笑うシグレに対し、ヤヨイは何一つ言葉を発さず、考え続けていた。
(なんだよ、それ)
そして、その思考がある結論へと到着した時、ゼノが抱いていた苦悩、その可能性に気がついた。別に二人の仲が良いことに対し思うところがあるわけではない。
それだけの覚悟を抱きながら、あの騎士は、何もできなかったのだ。例え強大な敵に遮られ、決して届かない距離にいるとしても。手を伸ばすことすら、できなかったのだ。
しかし、そこでヤヨイの黙考は止まらなかった。
なぜなら。
(本当に、それだけか?)
たったそれだけが、あの男を蝕んでいるのだろうか。あの男を、頑なに縛り付けているのだろうか。
まだ、何かある気がする。
「何をしている」
それが何なのか考えようとしたところで、そんな言葉が洞窟内に響き渡った。
いつの間にか、2人とゼノの距離は離れていたらしい。小声で話していたし、彼もずっと魔物と対峙していたので気づくとも思えないが、少しばかり不安になった。
「気を引き締めろ、そろそろだ」
徐々に目に見えて明るくなっていく。
仲間の姿も、壁の模様もはっきりと見えていく中、ついに陽光が視界に捉えられた。
近く出口に、思わず足が浮き立つ。
「っ!」
暗闇の外は思った以上に眩しく、ヤヨイは思わず目を庇ってしまった。それも次第に慣れていき、ゆっくりと瞼を上げれば、そこにあったのは、
「——花?」
一枚の花びらが、目の前を横切っていく。
そこは、一面が花畑だった。
「ダンジョン、なんだよな、ここ」
ヤヨイの、ほんの少しだけ弾んだ声に、他の2人も息を飲む。
魔物が住み着いているなど到底思えないほどに、色鮮やかで、綺麗だった。赤、黄、桃、橙、青。まるで虹のように打面を覆う、満開の花。
魔物の姿など一つも見当たらない。
「急ぐぞ」
だが、そんな安全地帯にも思える場所でも、彼らは警戒を怠らなかった。
そう、ここは、ダンジョンなのだ。
洞窟内の魔物はゼノがあっさり切り捨てたが、並みの冒険者ではあの数を相手にするのは難しい。10人以上でようやく突破できる程ではないだろうか。
そんな難関を息を切らすことなくくぐり抜けてしまうこの騎士が、やはり相当な実力者であることを、ヤヨイは身にしみて感じる。
それでも、ここから先は、さらに危険度が増すはずだ。
結界の原理は、魔物が自然発生するために必要な瘴気を取り除く、というものだ。つまり、結界から遠く離れたこの場所は、より強力な魔物が出現する危険がある。
と、そこでヤヨイは思った。
では、なぜ、ここに魔物がいないのか。
「!?」
「これは」
その花畑に踏み入れた、その瞬間。
遠吠えが轟き、彼らの足を封じる。
魔物達がここに生まれなかった理由。
ここに、立ち入ろうとすらしなかった理由。
既にここは、自分たちをはるかに上回る存在の縄張りとかしていたからだ。
「地龍」
クエスト受注後、エイアから伝えられた、ダンジョンの番人。
この山の中腹にて侵入者を最初に待ち構える、洞窟内の魔物より上位な存在——幻獣が、ヤヨイ達の行く手を阻んだ。
お昼までに投稿するスタイルになります。何度も変わりすみません。
次回も3日後投稿予定です。
読んでいただき、ありがとうございます。
ブックマークしていただいた方、これからもよろしくお願いします。
要望等あればなんでも言ってください。




