魔法
あれから数日が経つ。
暗い気持ちを掻き消すためにも、ヤヨイは近くの森へと赴いていた。
今の季節は春の半ばだが、いつもより日が強い気がする。
「穏やかな日だな」
周囲を見回せば、ところどころ木漏れ日が差し込んでいる。風が吹くたび、葉と葉が触れ合う音が響く。道なき道を歩いていると自然と暑さを感じるはずだが、その音が相まって、風とともに涼しさを助長させていた。
アイレーン法国はやはり平和なもので、生活に支障が出るような事態は一向に起きない。
村での仕事も、農耕や狩猟などがほとんどで、のんびりとしたものだ。元々この村の人口は少なく、商人などでわざわざ遠くへ仕事に出ているものも少なくない。現にユイの父親は商人で、町から町へ、時には都会へと転々としているため、家を空けることも少なくない。
そんな中、ヤヨイは狩猟を担当していた。
何を狩るのかと問われれば、主に草食獣だろうか。時折狼などが山から下りてくるので、剣でそれを狩ったこともあった。
ヒュウと矢音が響く。
矢は、そのまま標的目掛けて飛び続けたかに見えた。
が。
「あ」
トンという音と共に、木に突き刺さる。
その音でようやく気がついたのか。
目標の草食動物。いや、魔物は、のそのそ地を踏み離れていった。
矢を回収しつつ、ヤヨイは嘆く。
「なんで俺、狩猟とか出来ないんだろうな」
体を動かすことが苦手というわけではない。
遠くにある的を、体を使って狙う。昔から、そういったことがどうしても苦手だった。他のことに関して言えば、器用な方だという自負はある。
そう。体さえ関係無ければ、当たるのだ。
「やば、このまま帰ったら怒られる」
主にユイに。
別に、ここまで業績を出さなければならない、ということはない。いや、この国で定められた法でそういった効力を持つものはある。
しかし、狩猟という利益が不安定な職業に、そういった規定があること自体がおかしいのだ。
もちろん、ヤヨイは出来ることは大体やっているつもりだ。だがなぜか今日は、獲物と遭遇すること自体が少なかった。
(……まさかな)
ふと浮かんだ憶測を、即座に否定して歩き出す。
そう、この国は、自由はないが徹底的に支配されているのだ。だから、
(だから、支配者がそんなことを許すはずが——)
安心していた。
背後から感じた殺気に、慌てて前のめりに飛んで回避を試みる。が、やはり遅かった。背中に嫌な感触が走っていく。
「ッ!」
僅かに血が飛び散った。
どうやら思ったよりも傷は浅いらしい。緊急回避のため着地はまともに出来なかったが、ヤヨイはすぐさま背後へと振り向く。
そこにいたのは、黒い狼だった。
体長は2メートルほどで、身体中を巻き付くように絡みついた黒い骨格が、無骨なアクセサリーのようだ。
唸って威嚇しているその牙には、血糊がべったりと付いている。先ほど反応が少しでも遅れようものなら、決して軽傷では済まなかっただろう。
「神様達は何やってるんだか」
そう呟き、気力を高める。
それと同時に、ヤヨイの体が、ほんの少しだけ光を帯びた。
「ガルゥッ!」
その巨体にもかかわらず、通常の狼より素早く、魔物は再度飛び付いてきた。
背負っていた鞄を投げつつ、横に避ける。
爪をすんでの所で回避しながら、鞄から抜け落ちた矢を掴み、魔物の目に突き刺した。
痛みに悶えだした魔物を警戒しつつ、また一定の距離を取る。逃げていない。戦う意思がそこにはあった。
「来いよ」
挑発の意味も込めて、ヤヨイは不敵に笑って見せる。
最も、それが理解できたのかは分からないが、魔物は唸ってから口を開いた。
すると、その先に熱が生まれ、煉獄の炎が現れ、吸い込まれるように火球が創り出されていく。
赤黒い火球が一定の大きさまで膨張した時、それは途轍もない速さでヤヨイ目掛けて飛ばされた。
少しばかり離れた木々をも、焦がしながら。
「————」
何事か呟きながら、ヤヨイは右の掌を火球へと向ける。
そして、
「剥奪」
最後の一言と共に、ヤヨイのすぐ近くで、灼熱の炎は凄まじい熱量と共に爆散した。
木々を焦がすどころか、木っ端微塵に吹き飛ばし、ヤヨイもろとも、辺りは炎に包まれる。
だが。
「お前らに使えるなら」
その炎は、再び一箇所へと収束し始めた。
「俺たち人間にだって使えるだろう」
魔法を使えるのは、魔物だけではない。
その証拠だとでも言うように、ヤヨイの右手に、魔法陣と共に火球が留まっていた。
この世で起きる現象を、目で見えることだけで全て説明することなどできないだろう。神の力や魔法が、最も身近で感じられるそれらの現象だ。
魔法とは、空気中に存在する魔力を動力源として魔法陣を作り出し、その種類に応じた事象を発現することだ。この現象は、魔力を補足することができなければ説明することができないが、そもそも補足する術そのものが魔法によるものなのである。
また、神の力に関しては、人類にその情報が開示されていない。しかし、それを見たことがある者によれば、人智を超えた力としか言いようが無いらしい。だが、この国の人間たちが神の下で平和な日々を送ることができるのは、その力が使われているが故であることは確定的である。
そう、縛り付けているのは、あの神だ。
そこにどんな事情があろうとも、自由を奪い支配しているのは彼らなのだ。
だからこそ、ヤヨイは、その力に対抗する術を覚えなければならなかった。
ヤヨイが使える魔法は、支配魔法と、少しの強化魔法だ。
支配魔法は、端的に言えば、魔力そのものに干渉して、相手の魔法の操作権を奪う魔法である。
そして強化魔法は、魔法に対しては何の効力も持たない。ヤヨイの実力では、肉体を少しばかり強靭にする程度だ。
初撃を避けきることはできなかったが、その後の追撃はこの魔法を使って凌いでいた。
大きく地面に踏み込み、駆ける。
先ほどとは違う全力の速度に、魔物は僅かばかり反応が遅れた。
だが、ヤヨイの強化魔法では、人並み外れた速度で走れるほど強化できない。火球を押し当てるように右手を突き出すも、難なく右に躱される。
少しばかり勢いが余ったのか遠くに滑りながら着地した魔物は、地を削りながらも体勢を取り、
「ッ!?」
そのまま、制御している右腕を噛み砕こうと牙を向けてきた。
魔物の身体能力に驚愕しつつ、ヤヨイも魔法を発動させる。
「改稿」
直後、ヤヨイの掌にある魔法陣と火球が光の粉になり、
「ガ!?」
ヤヨイと魔物の間に、炎の壁が生まれた。
いや、正確に言えば、盾だろう。
魔法は、魔法陣に描かれた神聖文字に応じて、その効力が変わる。
ヤヨイが使えるのは、ほとんど支配魔法だけだ。だが、例え自分が習得していない魔法でも、その力で魔法陣を書き換え、好きなように効力を変えられる。
これを、円状に囲む壁にするには、最初の火球に込められた魔力が少なかった。しかし、暑さを増した盾として発動することにより、魔物も容易に突破することができない。
「さて」
問題は、この後どう留めを刺すか、だ。
(変換するたびに魔力が減っている。爆破しようにも、威力が足りない。アレはまだ完全にものにしてないし)
しかし、それは杞憂だった。
何故なら、相手は魔物。動物と違う点は、ほんの少しだけ知能が高いことと、魔法が使える点のみ。
どうやら、ヤヨイも火属性魔法が使えるだけだと思い込んだらしい。
魔物は、再び火球を放ってきた。
「剥奪」
支配魔法の弱点。
それは、相手が魔法を発動するたびに、それ以上の魔力を消費して、魔法を返さなければならないことにある。
気がつけば、ヤヨイの周囲には、すでに5つほどの火球が滞留していた。
そして、
「はあ、はあ」
もう一つの弱点は、許容量に限界があることだ。
魔法を使う際には、魔力だけでなく、精神力——いわゆる集中力も消耗する。
「そろそろか。合成」
残りの精神力が尽きないように加減すれば、どうにかなるだろう。しかし、盾を持続することができない。相手が魔物とはいえ、隙ができてしまえば終わりなのだ。
残りの精神力を全て費やす勢いで、ヤヨイは火球から新たな魔法を創り出す。
「改稿」
それは、炎とは呼び難かった。
飛び出してきた魔物に向けて差し出された掌にあったのは、業火の色を帯びた巨大な魔法陣。
「消し飛べ」
全てを焼き尽くす熱線が、魔物もろとも、森を一直線に薙ぎ払った。




