洗脳
すみません、遅くなった上、少し短いです。
お前は、自分がどこで生まれたのか、知ってるか。
その問いは、とても大きな意味を持つ。
先ほどまでの遠回しな質問とは違った、返事次第でヤヨイのこの先の選択が大きく変わるものだ。
じっと、シグレが答えるのを待つ。
しばらくしてから、彼女は答えた。
「知らない」
「じゃあ——」
「でも、今の私には関係ない」
続く言葉に、ヤヨイは絶句した。
目の前の少女は、自分の出生に関して興味がないと言ったのだ。なぜ、そんなことが言えるのだろうか。家族が帰りを待っているかもしれないのに。
慌てて、ヤヨイは言葉を続ける。
「お前の家族が、お前の帰りを待ってるかもしれないんだぞ!それなのにどうして」
「私が教会で育った理由だったら、知ってるよ」
「!」
知っていて、それでも答えを曲げないのか。
動揺するヤヨイに構わず、シグレは話し出した。
「私の両親は、私を捨てた」
「は?」
「だから、私の帰りを待ってるなんて、分かったようなことを言うのはやめて」
真剣な眼差しで、そう告げられる。
が、黙っているわけにはいかない。今の言葉ではっきりした。この国は、教会は、
「何でそんな言葉を信じたんだよ」
「え?」
「あいつらが言ったでまかせを、何で信じたんだ!」
怒り吠えるヤヨイに、しかしシグレは奇妙なものを見るような視線を向けてくる。
その様子は、同じだった。あの村の人間と、そっくりそのまま瓜二つだった。
だが、それでもここで止めるわけにはいかない。
真実を告げなければ。そんな使命感が、ひたすらにヤヨイを囃し立てる。
「お前はこの国で生まれ育ったんじゃない!お前は!」
しかし、その言葉は、重要なところに触れる前に途切れた。
誰かが攻撃してきたわけでも、ヤヨイの声が出なくなったわけでもない。話を続けられなかったのだ。
ヤヨイの目には、シグレが涙を流しながら、頭を抱える姿が映っている。
「ぁ、っ!」
痛みに悶え苦しむように、吐き気を必死に抑えるように、小さな悲鳴をあげている。
「お、おい」
何が原因かは分からない。
とりあえず落ち着かせようと、ヤヨイはシグレに触れようとした。
しかし、その手は、か細い一声で行き場を失う。
「少し、1人にして」
「……」
「お願い」
シグレが、ヤヨイの目を見て、悲しそうに呟いた。
その目はまるで、絶望に染まっているようだ。そのとき、ヤヨイはあることに気がつく。
(この魔力)
しかし、おそらくそれに触れることすら叶わない。
今のヤヨイにできること、それは、彼女に何もしないことだった。
ベンチから立ち上がって、来た道を戻る。
「少し、飲み物でも買ってくる」
「……うん」
未だ辛そうであるにもかかわらず、少女はヤヨイの独り言に答えた。
「どうする」
誰にともなく嘆いて、その言葉は空気に消えた。
何となく手頃な飲み物を買おうと思いながら、行く当てもなく歩き続ける。
ヤヨイの頭に今も尚残っているのは、先ほどの感覚だった。
魔力だ。
いや、濃いわけではなく、純粋に強力すぎて、魔力と呼んでいいのかも分からない。
ただ、ヤヨイには一つ分かったことがあった。
(また紋章か)
シグレの腕には、おそらく紋章が刻まれている。それも、ヤヨイたち一般人に対するものではなく、特別製の強力なものだ。
あれこそまさに洗脳だ。
自分達の言葉を鵜呑みにさせ、思考を誘導し、行動を抑制する。おそらく、ヤヨイの言葉は何度伝えても彼女の心には届かないだろう。いや、そもそも言葉を聞貸せることすら叶わない。
もし。もしあの状態で、真実を知らせれば、彼女はどうなるのだろうか。
試そうとは思わなかった。だが、興味はある。教会の人間は、どれだけ残酷な呪いを彼女にかけたのか。彼女をどれだけ苦しませるつもりなのか。
そして、もう一つ気になることがあった。それは、あの護衛騎士の存在である。果たしてあの青年は、シグレの状態を知っているのか。幼馴染でありながら、知っていて放置しているのか。いや。
(もしかしたら、あいつも)
動くに動けないのかもしれない。
とすれば、やはりヤヨイの支配魔法しか対処法はないだろう。
しかし、あの底知れない何かの力を真近で感じたヤヨイには、それができないということがよく分かっていた。
ヤヨイの技量では、あの強固な魔法を解除することはできない。
根本的に、次元が違うのだ。それこそ、まるで神を相手にしているような気にさえなる。
いや、もしかするとそれこそが、事実なのかも知れない。
この国に統べる法皇というのは、この下界に降りて来た神の1人だ。
この世界に生まれてから、神というものに会った覚えはないが、その力は本当に人智を超えるものなのだろう。
もちろん、対処法がないわけではない。
ないわけではないのだが、かといってそれを実践するわけにはいかない。そうすれば、半分を越える確率で、ヤヨイの未来は無くなる。
かといって、彼女を置き去りにして父親を探しに行く気にもなれない。
(魔術で長時間支配魔法を再現して、解除……いや、あの魔法陣を描こうとすれば、相当な時間がかかるし、シグレが素直に言うことを聞いてくれるとも限らない)
やはり、もう少し様子を見るほかない。
そもそも、彼女がこの町に来た理由が未だ不明なのだ。戻ったらそれだけでも問わなければならない。あの口ぶりからして、ヤヨイを捕らえるために来たわけではないようだし、紋章を見ても中途半端な理由で派遣するはずもないのだ。
彼女の魔法の解除に、父親の捜索、さらにはこの先起こりうる大事件。毎日クエストをこなして資金を稼ぐだけの毎日に、いつの間にこんなにも仕事が増えてしまったのだろうか。
と、ヤヨイがそんなことを嘆いた時、外国から輸入された数々の本が並べられている店が目に入った。
小説から哲学、芸術に絵本などもある。と、そこでふと思い浮かんだ光景があった。村から抜け出す前に見た、不思議な幻覚のことだ。
夢のようでいて、けれど自由に体が動かせるわけでもない。ただ、見てきたものをそのまま映し出しただけの光景。果たして、あの少女は何者で、あの夢における自分はどうなったのだろうか。
そんなことを思っていると、いつの間にか歩き出して目的のものを見つけていた。
色々な果実が使われた、トロピカルジュースだ。
少しばかり高いが、運悪く紅茶などが辺りに置かれていないので、我慢せざるを得ない。注文しようと近づいた時、ふと、視界の端に奇妙なものが写った。
白と黒の二色の髪。ティアラのように見える髪飾り。そして、さらに特徴的な修道服。それは正しく、夢に見た少女のものだった。
「!」
すぐにそちらに向き直るが、その姿は人混みに呑まれてしまう。探し出すのはそう難しくないが、ヤヨイの脳裏には待ち人の存在がちらついていた。
(悪い、シグレ)
思い違いならば、それでいい。
だが、もしあの少女が実在し、今この場にいるのならば、会って話をしなければならない。例え厄介ごとをさらに抱え込むことになろうと、その意思は変わらなかった。
ヤヨイは、人混みを掻き分けて走る。
だいぶ速度を上げていると言うのに、一向にその姿は見えない。
路地裏に隠れている可能性もなくはないが、この辺りにはろくに隠れられる場所もない。それに、ヤヨイは可能な限り、見えるところは全て確認していた。
そうやって、さらに時間が流れて行く。
すでに昼は終わり、夕刻もそう遠くない時間帯だ。
それほど制限時間も残されていない。見間違いかもしれないのだ。割ける時間にも限りはある。何度も辺りをくまなく見回し、また走り出す。
すると、また少し遠くにその姿を捉えた。
誤認ではない。明らかに、それは人々から浮いていた。彼女の元へと、ヤヨイは足早にかけていく。
ふと、見られた気がした。後ろを向いていないはずなのに、彼女は慌てて走り出したように見える。何故自分から逃げるのか。それとも、全くの偶然なのか。どちらにしろ、ヤヨイにしてみれば腹立たしいことこの上ない。また追いかけていると、今度こそ確実に、路地裏へと入るところを目撃した。
「はあ、はぁ」
息を切らしながら、暗がりへと突き進んでいくと、そこにはベッドのシーツやら何やらが、多くはされていた。空からは太陽の光が差し込み、石畳の地面を照らす。
壁に囲まれた、行き止まり。そこに、少女の姿はあった。
「ようやく追いついたぞ!」
「……」
「誰なんだ、お前は」
尋ねるが、少女は答えない。
名前を聞いていた気がするのだが、いつもは不思議と浮かんでくる知識と違い、その情報は都合よく姿を現すことはなかった。
答えないまま、彼女はそっとヤヨイに振り向く。
青い瞳に、幼い顔立ち。
明らかに人間とは違う、独特の雰囲気。
やはりヤヨイは、どこかでこの少女にあっている。夢ではなく、どこか遠い現実で。
「久しぶりですね」
ふと、少女はヤヨイに微笑みかけた。
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