プロローグ
「——誰」
ある青年が、目前に佇む少女にそう問いかける。
いや、もしかするとそれは疑問ではなく、嘆きだったのかもしれなかった。白と黒が混同した髪など、生まれて初めて見たのだ。
ティアラのように見える髪飾りに、色彩鮮やかなステンドグラスをそのまま写し込んだような修道服。会ったこともない、ぱっと見ファンタジーと言いたくなるような少女と、自分の部屋で初顔合わせすること自体、奇妙な話だった。
朝、しっかりと戸締りを確認したはずの扉は、今尚開け放たれたまま。彼が扉を開けたわけではない。帰ってきた時にはすでにこの状態だった。もしかするとここ数時間の間、この状態のまま放置されていたのかもしれない。
「こんばんは」
少女は、年相応の透き通った声を響かせた。
だが、その声音にはどこか緊張した風がある。それもそのはずだと彼は思った。人様の家にかってに上がり込んで堂々としていられるのは、非常識にも程がある。
少女は、軽く頭を下げて、
「私はサリアと申します。すみません、家主がいなかったので、帰ってくるまでとお留守番をしていました」
丁寧な口調で、謝罪をした。
と、そこで、男は不自然さを感じる。
目の前の少女の、見た目も、言葉遣いも、幼さが際立っているというのに、年上を相手にしているような錯覚を覚えるのだ。彼はもう二十歳を迎えていた。
考えてみればみるほど、奇妙な感覚だった。大人というよりも、もっと近しい——
「いや、そもそもなぜ待っていたの」
考えても仕方がないことなので、思考をやめる。
心配なら、扉を閉めておけばそれでいいはずだ。そう思えたのだが、少女が見た目通りの年齢ならば、まともな判断ができないこともあるだろう。
「実は、私はあなたに会いに来たんです」
「俺に?」
「はい、あなたが……」
「?」
しかし、そこから先を聞くことはなかった。彼女がなぜか、答えるのを躊躇ったからだ。
「でも、杞憂でしたね。これを見る限り、何も問題はなさ——『返せっ!』——ああっ!?」
青年は少女の手から、原稿用紙の束を掴み取る。
それは、彼が書いた小説。いや、そう呼べるほどの自信があるわけでもない。ただの自己満足が生んだ作品だ。
あくまでも、彼の視点では。
「そう恥ずかしがらないでください!」
嬉々とした様子で声を荒げないで欲しい。
「あなたには文才があります!」
恍惚とした表情で褒め称えないで欲しい。
「きっと新人賞だって取れます!」
恥ずかしい夢を大声で叫ばないで欲しい。
そう思った結果、彼は原稿を放って、空いた手で彼女の口を封じた。
「むぐっ!?んー!」
すぐに落ち着いて、青年の手をとんとんと叩いてくる。
こうしていても仕方がないので、嫌々応じることにして、手を離した。
「すみません、暴走してしまって。お詫びと言ってはなんですが、楽しませてもらったお礼も含めて、何かできることはありませんか?」
「できること?」
「はい。私は、大抵の願いであれば、叶えてあげることができます。…………っ!」
微笑ましい視線に気がついたのか、反抗心に火がついたらしい。
私は女神なんです。どんな願いでも叶えられるんです。そんな目を向けないでください。
時に泣きそうに、時に不満そうに、少女はどうしても信じて欲しいのか言葉を紡ぎ続けた。彼は、仕方ないなと軽く微笑みながら言う。
「じゃあ、この人生が終わったら、異世界転生させて欲しい」
そう呟いた時、少女は少し困ったような笑みを浮かべた。だが、その陰りも一瞬のことで、とびきりの笑顔に変わる。
「分かりました。楽しみに待っていてください」
少女がそう告げた時だった。
青年の足元から光が生まれ、幾何学模様の陣が浮かぶ。まさにそれは、物語に出てくるような魔法だった。
「なあ、これって?」
女神を名乗る少女の方を向きながら問いかけた直後、胸の辺りが燃えるように熱くなった。
全身にかかる衝撃に飛ばされながら目を見開けば、彼女の手から放たれた光が、青年の胸を貫いているらしい。
ごめんなさい。
涙を流しながら、そう呟いただろう少女の姿が。
彼が死ぬ前に見た、最後の光景だった。
❄︎
「う、ぁ、ああっ!」
少女——サリアはただ泣き叫ぶ。
「ごめんなさいっ、ごめんなさい」
自分の手で、その命を失った亡骸を抱きしめながら、謝罪を続ける。
「せめていつか、いつか必ず、約束を————果たしますからっ」
そう決意する女神の背後に。
大きな影が、姿を現した。




