第十九話 「奈落」
「うう……」
暗い。
陽の光が弱々しい、谷の底は暗くて冷たい場所だった。
気が付けば、クレアは岩の上に横になっている。
奇妙なことに傷一つない。
ムクリと起き上がると、目の前には巨大な壁がせり上がっていた。
この崖の上から落下したらしい。
「ここは……」
クレアは辺りを見渡した。
そこかしこに、白骨化した死体が散乱している。
人間だけではない、様々な動物のなれの果てがあった。
そのすべてが、この谷底へと落ちてそのまま死んでしまった者たちの亡骸である。
「わたしは……」
クレアは自分の姿に目を向けた。
たしか、足を滑らせて落ちたはずである。
それが、無傷でここにいるというのはどういうわけか。
「気が付いた?」
突然の声に、びくりと肩を震わせる。
振り向くと、クレアの真後ろにはライトニングがいた。
クレアを見つめながら、レイピアの手入れをしている。
「あ、あの、私……」
「君が地面に落ちる寸前で捕まえたんだ。無事でよかった」
「つ、捕まえた?」
見上げると、崖の頂上はかなり上にある。
この高さから落ちて、傷一つないというのは奇跡に近い。
「壁蹴りって知ってる? 高い所から落ちる際、壁を蹴って落下スピードを落とすんだ。クレアを捕まえたあと、それをやったんだよ」
クレアの疑問を感じとり、ライトニングは教えた。
達人ともなれば、それくらいはできるだろう。
しかし、彼は落下するクレアをつかみとりながらそれをやってのけたのだ。
何事もなかったかのように言っているが、神業に近い。
理論はわかっていても、実際にできる人間はそうはいないだろう。
ライトニングの人並み外れた運動能力に感嘆した。
「あ、ありがとうございます」
クレアは素直に礼を述べた。
彼女が生きているのは、彼のおかげだ。
「別に、どうってことはないよ」
ニコリと微笑むライトニング。
さわやかな笑顔に、クレアの心臓が心なしか高鳴った。
幾分か顔が赤いそんな彼女の様子に気づくこともなく、ライトニングは空を見上げた。
「それよりも、上にあがらないとね」
太陽の光すら弱いほど深い谷底である。
ここを登るのは容易ではない。
「どこかに、上へとつながる道があればいいんですけど……」
谷底といえども、どこかに地上へと続く道はあるはずだ。クレアはそれに期待した。
ライトニングもコクンと頷く。
「そうだね。とにかく、進もう。場合によっては僕らのほうが先にドラゴンと遭遇するかもしれないしね」
ドラゴンは、その有名さとは裏腹にあまり生態が知られていない。
どこで子を産み、どこで生きているのか、一切謎に包まれている。
この薄暗闇の中で出会ってもおかしくはないのである。
一説によれば、ドラゴンとは実在の獣ではなく、邪悪な神官が召喚した召喚獣とも言われているが定かではない。
だが、現実問題としてドラゴンが人々に実害を与えているわけで、一刻も早く打ち倒さねば被害が増える一方なのは確かだ。
クレアは重い腰を上げた。
「今は任務最優先だから、きっと隊長たちは先に進んでいると思う。僕らも急ごう」
「はい」
ライトニングを先頭にして二人は深い谷底を歩き出した。
「それにしても」とクレアは前を歩くライトニングに声をかけた。
「レイピアって、よく斬れるんですね」
さきほどのワイバーンを切り裂いたときのことを思いだす。
急降下して突撃してくる魔物を一刀両断にしたライトニングの技量もさることながら、まるで名剣のごとき切れ味を見せた細長い剣に、興味をそそられた。
ライトニングは鞘からレイピアを抜き放つと、得意げに言った。
「レイピアは突き刺すってイメージがあるけど、こう見えてけっこう切れ味はいいんだよ。ショートソードよりも軽いから、僕のような非力な人間にも扱いやすいしね」
へえ、とクレアは目を見張った。
鞘から抜き放たれたレイピアはライトニングの容姿と相まって、美しい輝きを放っていた。
クレアの持つミスリル製のダガーも、丈夫さや扱いやすさに関しては他の武器に比べれば群を抜いているが、いかんせんリーチが短すぎる。
相手の懐に飛び込むことに逡巡してしまう彼女にとっては、不得手の武器かもしれない。
十二大隊のメンバーから送られたとはいえ、この先もダガーのみで戦い続けることに一抹の不安を覚えていた。
「持ってみるかい?」
ライトニングに言われてクレアはハッとした。
気づけば、目の前にレイピアが差し出されている。
柄の部分に指をガードする金属棒が曲線を描いて取り付けられている。他の武具にはない特徴だ。
きれいな装飾が施された柄に、細い鋭利な刃。
改めて間近で見ると、まるで芸術作品のような存在感を示していた。
促されるまま、クレアはライトニングのレイピアを手に取った。
ぴたり、と吸い付くような不思議な感触だった。
持ってみると、意外と軽い。下手をすれば、彼女の持つミスリルダガーよりも軽いかもしれない。
「軽いでしょ? これでも1㎏もないんだよ」
他の武器がどのくらいの重さかはわからないが、明らかにこのレイピアよりは重い。
クレアはレイピアをひゅん、と回転させると正面に構えた。
すごく自然な感じがした。
樫の木の剣でさえフラついていた彼女にとって、レイピアはまるで身体の一部のように一心同体と化している。
「なんだか、すごく不思議。まるで、ずっと使っていたみたいな、そんな感覚」
彼女の言葉に、ライトニングは満足そうに頷いた。
「それは、相性がいいってことだよ」
「相性?」
「武器にもね、相性っていうのがあるんだ。誰が何を使っても強くなるわけじゃない。剣の達人が槍を使っても素人以下になるのと一緒で、その人がその人に合った武器っていうものが必ずある。君は、きっとレイピアとの相性が抜群なんだろうね」
僕と一緒だ、というライトニングの言葉を、クレアは目の覚めるような思いで聞いていた。
(武器にも相性がある……。そんなこと、考えたこともなかった)
「私も、使ってみようかな」
「じゃあ今度、行きつけの武器屋に案内するよ。手頃な値段で、掘り出し物があったりする名店さ。きっとクレアにぴったりのレイピアが見つかると思うよ」
自分のことのように喜ぶライトニングに、クレアは頭を下げて「よろしくお願いします」と言った。




