第十話 「出動」
本当の出動が開始されたのは、翌朝であった。
クレアの部屋に、大きなノックの音が響き渡る。
「起きろ、出動だ」
昨日の失態を繰り返さないために、クレアはベッドの位置を入り口近くに向け、枕を扉の方向へと向けていた。
その甲斐あってか、ローランのやや曇りがちな低い声にも、クレアはすぐさま反応した。
「は、はい! 今、行きます」
今度は十二大隊からもらったミスリル製のダガーを装備する。
価格の高い防具類は用意しておらず、動きやすい布の服に着替えると彼女は部屋を飛び出した。
「はやく来い。ハザン地区にマンティコアが現れたらしい」
「マ、マンティコア!?」
伝説の肉食の魔物。
ライオンの身体にこうもりの翼を持った猛獣で、主に人肉を好むという。
傭兵学校の教科書にも危険度Aクラスで載るほど、有名な相手だった。
「一般傭兵部隊の中でも、すでに相当な被害が出ているそうだ。のんびりしていたら、民にも危害がおよぶ」
「傭兵部隊にも……」
ローランの言葉に、ワッツの顔が思い浮かぶ。
部隊の中では誰よりも剣技に長けていた彼がヤラれるということは考えられないが、相手が相手だけにクレアの心臓は高鳴った。
「急ぐぞ」
「はい」
クレアはローランのあとを付き従って、本部の裏手へと向かった。
※
特務部隊の出動方法は2種類ある。
ひとつは、徒歩。
複雑な地形や、入り組んだ町なら歩いていったほうが早い。
彼らの身体能力の高さは、徒歩でも十分すぎる速さがある。
そしてもう一つは馬だ。
一般傭兵部隊でも、伝令約や隊長クラスは馬をあてがわれているが、特務部隊の隊員たちは全員が馬に乗る権限を与えられている。一刻も早く、現場に向かうためである。
今回、ローラン率いる第八特務部隊が向かう先は、なだらかな丘陵地帯の先にあるハザン地区。迷うことなく馬による出動が選択された。
本部裏手の出入り口には、すでに厩務員の用意した馬が4頭待機していた。
うち2頭にはマルコーとシャナが乗って待機している。
「すまん、遅れた」
ローランの言葉にシャナが叫ぶように言う。
「何してんだい、早く行かないと民間人が犠牲になっちまうよ」
「相手はマンティコアだって? どんどん、とんでもねえ化け物が出て来るな。どうなってんだい、いったい」
マルコーの疑問ももっともだ。
数年前まで穏やかだった魔物の出現も、ここ最近になって活発になってきた。それも、伝説級の凶悪な魔物が示し合せたかのように次々と現れている。このままではいずれ、特務部隊の手が足りなくなってしまうだろう。
「なんにせよ、我々は与えられた任務をこなすだけだ。行くぞ」
ローランの令によって出動しようとしたところ、馬を連れてきた厩務員が待ったをかけた。
「まだ一人、乗れてません」
見ると、クレアが他の厩務員の手を借りて馬に必死に跨ろうとしているところだった。
「何してんだい!!」
声を荒げたのはシャナである。
「す、すいません……。馬に乗るの、初めてなんで……」
シャナもマルコーも唖然とした。
馬にも乗れないヤツが、なぜ特務部隊に入れるのか。
馬の早駆けは、必要最低限のスキルである。
「冗談じゃないよ!! あたいらが到着するまで必死に食い止めてくれている傭兵部隊のヤツらを全滅させる気かい!?」
シャナの怒りを制止して、ローランは言った。
「二人は先に行ってくれ。オレはクレアを乗せてあとから行く」
「で、でも隊長……」
「馬に乗れないという件は、完全にオレがうかつだった。毎回、特務部隊に入隊する面々はみんな乗れていたからな。なんの疑問もなかった。よくよく考えたら、彼女は下っ端の隊員だったな」
ローランは馬から降りてクレアが跨ろうとする馬に飛び乗った。
「え、あ、その……」
慌てふためくクレアを後ろから抱え込むように、手綱を握る。
「少し身をかがめろ。手綱を離すんじゃないぞ」
そう言って、ゆっくりと馬を走らせる。
「しばらくしたらスピードを上げて追いつくから、お前らは先に行け」
隊長の言葉に、部下の二人は従うだけだった。
開け放たれた裏門から、シャナとマルコーの馬がものすごい速さで飛び出して行く。
そのあとを、ゆっくりとクレアとローランを乗せた馬が出て行った。
厩務員は、1頭取り残された馬の手綱を握りしめ、4人のあとを見送っていた。