お別れの日
肌を刺すような霙がそぼ降る晩秋の日、朝から大勢の人達がおじいちゃんの屋敷に訪れて来ていました。
お線香の煙が立ち込める部屋で、穏やかな顔で横たわるおじいちゃんは、まるで蝋人形のように見えました。
「おかあさん、おじいちゃんはどうしちゃったの? びょうき?」
おかあさんは僕の問いかけには答えず、次々と訪れる人達へ忙しそうにお茶やお酒を出していました。
「じいさんは彼岸へ旅立ったのじゃ」
女の子がいつの間にか傍に立っていました。
「ひがん……おじいちゃんは死んじゃったの?」
「ああ、天寿を全うしたのじゃよ。良い機会じゃ、おぬしもそろそろ彼岸へ向かうとするかのう」
「えっ、どうして? ぼくは元気だよ? 毎日みんなと一緒にごはんを食べているし、おたんじょう日にはケーキでお祝いをしたよ?」
「それは仏膳じゃ。気付いておらぬのか、それとも認めたくないのか。よいか、おぬしの二親は既に老人となり、兄は所帯を持ち子をもうけておる。なのに、おぬしだけが五歳の童のままというのは、どう考えても変であろう?」
「そんな……ぼく、死んでるの?」
「ああ、そうじゃ。昔、風呂に落ちた事があったであろう。その時におぬしは息絶えていたのじゃ。わしはおぬしを迎えに来たのじゃが、直ぐに連れて行くのはあまりにも不憫でのう、おぬしが自分の死を受け入れられるまで待つ事にしたのじゃ」
「いやだ、いやだっ! 行かないっ! うっうっうっ、おかあさん……こわいよ……」
「聞き分けの無い事を申すな。このまま現世に執着を残せば、おぬしはいずれ心を無くして鬼となり、家族に禍をもたらすであろう。わしはこの屋敷とじいさんを依代にして人形を保っていたが、それも難しく成って来た。そろそろここを去らねばならぬ。案ずるな、わしがおぬしを彼岸まで無事送り届けよう」
「ぼくはもう、おかあさんに会えないの? あかねちゃんとも遊べないの?」
「おぬしと過ごした日々は、なかなか楽しいものであった。想いがあれば、再び会うことも何時か叶うであろう。じゃが、その時は全ての記憶を彼岸に置いてこねばならぬがな」
「あかねちゃんに会えても、あかねちゃんだと分からないの? そんなのイヤだ……」
「そうじゃのう、それでは何か印となる物を……それは……」
語りかける女の子の顔が次第にゆらゆらと揺らぎ始め、その声も途切れ途切れとなり、僕の意識は次第に白い霧の中へ溶けていくように薄れていきました。
意識が消え去る間際、僕はひらりひらりと舞う、深紅の蝶を見たような気がしました。