side グリュック 贔屓目
オルトに連れられ、グリュックは長い廊下を歩いていた。
窓から見える空は雲一つ無い青空で、グリュックは茫洋とした顔付きのまま、ずっと空を見上げていた。
「何か、外にありますか?」
それに気が付いたオルトが話しかける。
しかしグリュックは空を見上げたまま、
「……空が、広い」
と返答にもならない言葉を呟いたのだった。
オルトは苦笑し、
「そうですね、窓が大きい分、見える空の面積は広くなります……一度外に出られてはいかがですか?きっと、もっと大きな空をご覧になられますよ」
と言った。すると、グリュックは立ち止まり、オルトの方へ顔を向けた。
「ほんとに?」
その顔は、好奇心と驚きが入り混じった
表情となっていた。
先程まで目立った感情を見せなかったグリュックだが、やはりまだ幼さを残す少年なのだろう、その表情には年相応の感情が映されていた。
オルトは、そんな彼の表情に少し驚いてから、やがて優しく笑った。
「ええ、本当です。今日は天気が宜しいので後ほど、旦那様にお庭の方に出て宜しいか聞きますね」
そう言うと、グリュックはパァッと嬉しそうに笑ったのだった。
「ありがとう!」
気持ちが高揚しているのか、先程まで恥ずかしくて、言い辛そうにしていたお礼の言葉がはっきりと声に出せていた。
そんなグリュックを見て、オルトは
「いえいえ、主人の望むことを出来る限り叶えるのが私の役目ですからね」
と言ったのだった。
ダイニングルームの前に着くと、微かに香ばしい匂いがグリュックの鼻を掠めた。
と、同時に彼のお腹が大きく鳴ったのだった。
「今日の朝食は、卵とベーコンのスクランブル、サラダ、スープ、果実の蜜漬けとなっています。パンはご自由にお取り下さい」
そう言いながら、オルトは扉を開けた。
すると、先程よりも美味しそうな香りがグリュックを包み込む。
「やあ、湯浴びはどうだったかな?」
奥の席には、あの男性が座っておりグリュックに微笑んだ。
「あ……、よ、よかった」
グリュックは少したじろいだが、なんとか言葉を返す。
オルトが、男性の向かいの席にグリュックを促し、椅子に座らせた。
長テーブルには、すでに朝食が並んでいた。
「大いなる我らが神、メシウスの御心に感謝の念を」
男性が目を閉じ、そう呟いた。
グリュックはポカンとした表情で男性を見つめる。
それに気付いた男性は、少し苦笑して
「祈りの言葉だ。お前はまだ分からなくていい。さあ、頂こうか」
グリュックは、メシウスとは何なのかや、何故今言ったのか、色々と気になったが、男性の言う通り食事に取り掛かることにした。
フォークでスクランブルエッグを掬って口に運ぶ。
しかしーー
「っげほ、がはっ」
グリュックは、味に驚いて噎せてしまった。
オルトが心配そうに、グリュックに近寄る。
グリュックは、少し涙目になりながら、グラスに入っている水を飲んだ。
「どうした?」
男性は、フォークを置きグリュックを見つめる。
ーー味が濃いと、グリュックは思った。
しょっぱいし、油っこい。
町で幽閉されていた時は、固い質素なパンや味気の無い粟を食べていた彼にとって、目の前にある色とりどりの料理は受けつけられないらしい。
グリュックは袖で口を拭いながら、ぽつりと
「……まずい」
と呟いたのだった。
男性は、少し目を細め、やがてグラスの水を飲む。
「味が濃かったか?」
水を一口飲んでから、グリュックに尋ねた。
グリュックは俯き、無言で頷く。
「そうか……では、パンを食べなさい。それは小麦粉しか使ってないから食べられるだろう」
しかし、グリュックは下を向いたまま、首を横に振った。
「もう、いらない」
まだ口に残る気持ち悪さを感じながら、グリュックはそう言った。
瞬間、男性はゴトリとグラスをテーブルに置く。
ただ置いただけなのに、グリュックにはその置いた音が、何だか重く聞こえた。
咄嗟に、男性の方へ顔を向ける。
「人と話すときは、ちゃんと顔を上げて目を見なさい。それと、自分の意見は口に出しなさい」
男性は、低い声でグリュックに言った。
「食べらないのなら仕方無いが、少しでも食べる努力をしなさい。品位に欠ける行為は、このサールベンス家では認めら無い」
グリュックは、男性の灰色の目を見つめた。
「侯爵家の養子となったからには、恥じのない行為をしてもらいたい。お前がこの先、この家の顔となるのだから」
グリュックが難しい顔をしていたからだろう、男性はそれから少し苦笑して
「まあ、今は分からない様だが、これから分かるようになるだろう」
と付け加えた。
それから、男性は思い出したように
「それと私の名は、スターリ・サールベンス。この家の主だ」
と言ったのだった。
「さて、私はこれから用事があって家を開けるが、何か欲しい物はあるか?」
スターリがそう聞くとグリュックは、ハッとした顔付きになった。
それに気付いたスターリは、彼の言葉を待つ。
「……服が、動きやすい服が欲しい」
「服?……ああ、そのゴテゴテした服では動きにくいのか。分かった、後で動きやすい服を用意させよう。他には無いか?」
スターリの問いに、グリュックは頷いたが、それから何かに気付いたように少し焦る表情をしてから、
「……な、い」
と答えたのだった。
そのグリュックの仕草を見て、スターリは微笑んだ。
ーーこの子は、賢い子に育つかもしれない。
そんな贔屓目の考えをしている自分に、スターリは苦笑した。
さあ、行かなくては。グリュックのために、良い家庭教師を見つけて、彼の将来を安定させよう、彼に色んな知識を与えよう。この子は、大切な私の息子となったのだから。
スターリは、そう考えながら食事の席を立ったのだった。
1/31に 商人→男性 に訂正しました。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。